自己紹介:けいし
はじめまして!アソボロジー共同代表のけいしです。
兵庫県生まれ、大阪、アメリカ、奈良で育ち、大学進学で東京に出ました。
その後も、結婚や、東日本大震災等で、東京都内を転々としながらシステムエンジニアとして働き、2012年転職を機に関西に戻ってきました。
今は、京都の自治体で働きながら、大学講師、キャリアメンター、プロジェクト支援、ファシリテーション的なことをやっています。
こどものころから僕は常に文化接触の前線で「異分子」として生きてきました。
生まれてすぐ父親の仕事の関係で、大阪からアメリカのインディアナ州に引っ越し、3歳ごろまで過ごしました。
その後茨木市、奈良市と転居し、奈良に住んでいる小学3年生の時には1年間再びアメリカのインディアナ州に引っ越しました。
さすがに3歳までの記憶はなく、英語も全く記憶にない小学生の時に、1年間突然アメリカに引っ越したことはとても衝撃的で記憶に残る体験でした。
日本人がそもそもほとんどいない中西部の田舎町。通訳もなく、現地の小学校に放り込まれ、算数と体育と音楽以外は何をやっているのかわからない授業。その中で唯一の助けだったのは、表情で気持ちを全部わかってくれる黒人の友達 Tony でした。これが僕の異文化の中に異分子として入る記憶上の最初の体験です。
その後、日本に帰ることになりもう「異分子」じゃないぞと思っていたら、今度は「帰国子女」という異分子になりました。
大学で東京に出ましたが、関西人 in 東京は、雑多な人種のるつぼの東京では「異分子感」はそれほど感じずに済みました。
文学や比較文化や音楽やお酒との付き合い方やを学んだ学生時代を経た後、IT企業に入社し、SEとして働き始めました。周りに文学部はおらずここでも多少の「異分子感」はありましたが、結局仕事に大学の学部は全く関係なく楽しく仕事をしていました。
そうこうするうちに東日本大震災を機にふと人生観が変わり転職活動をしていて、ご縁があり関西に戻ることになりました。転職先は関西の自治体です。
経験者採用という「異分子歓迎枠」で入庁したので、その点で色眼鏡で見られる心配はなかったのですが、その後、こどもの育休を1年近くとったり、役所で働きながら副業として大学のプロジェクト科目の講師をはじめたり、自ら「異分子感」を出し始めました。
僕は常に異文化の接触、そこから生まれる摩擦や、価値観に興味を持っています。そして異分子として文化接触の狭間を行き来することが楽しくなってきています。
異文化の接触とはつまり、自分にない価値観や考え方と出会い、驚き、時に拒絶し、時に理解し、自分の価値観を鑑み、どこかでそれらが溶け合う場だと思っています。
アソボロジーの活動を通じて、自分ではない他者、異物、異文化に触れ、価値観が変わる場や体験を提供したいと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いします。