【絵本レビュー】 『あこがれの星をめざして』
作者:ラッセル・ホーバン
絵:パトリック・ベンソン
訳:久山太市
出版社:評論社
発行日:1999年10月
『あこがれの星をめざして』のあらすじ:
嵐で海辺にうちあげられた、ウミドリのヒナ。ヒナは海への恐怖から、海にもぐることも飛び立つこともできない。友だちになったカニも心に悩みをもっていた…。認めたくない自分の本当の姿や、受け入れたくない現実に向きあわなければならない時、この小さなヒナが勇気と希望をくれます。
『あこがれの星をめざして』を読んだ感想:
誰もが受け入れられない現実や誰にも話したくない痛みを持っていると思います。大抵はそれを見ないようにして毎日過ごしていますが、所々で顔を出して、その度に気持ちが沈んだり怒りが湧いて来たりするのです。一生避けていけたらどんなにいいだろう、と考えることもあります。
私はかなり大人になるまで人の前に立って何かをしたり、話したりすることがとても苦手でした。毎年あった子供の時のピアノの発表会では、緊張しすぎて戻してしまいました。学芸会も嫌いで、できるだけセリフの少ない役を選びました。いちばんのお気に入りは、かさこじぞうの地蔵役。立っているだけでいいんですからね。その後中学、大学とあった入試の面接も嫌でした。待っている間も膝がカタカタ震え、スカートを握りしめていた手から出た汗で、立ち上がったらプリーツが全部なくなっていたこともありました。就職活動中に言った面接でも同じでした。待ち時間中にかいた汗で、スーツの中のシャツはクタクタでした。おまけに面接中は声が震えに震え、目には涙が浮かんで来ると言う始末。何度自分に「大丈夫」と言い聞かせてもこんな状態だったので、段々面接に行くことが憂鬱になってしまいました。
幸い(と言うべきか)私の就職活動は全くうまくいかず、七十二通送った履歴書の中で面接に呼ばれたのは二、三社でした。毎回会社からの通知を開くたびに「どうか面接に行かなくてもいいように。。。」と親不孝な願いをしていました。結局職がないまま大学を卒業し、それから半年ほど履歴書を送り続けましたがなしのつぶて。秋口にアルバイトを募集していた業界新聞社に落ち着きました。仕事自体は簡単だったこともありますが、勝負は朝という業界で、大抵十一時半くらいにはすることがなくなっているという毎日だったので、これが本採用につながるという希望もありませんでした。でも私は「もう面接をしなくてもいい」という安心感で、根本的な問題と向き合う必要はなかったのです。
そんな私にも転換期が来ました。日本関係のイベントで書道のパフォーマンスをして欲しいと頼まれたのです。生まれて初めてのライブパフォーマンス。しかも垂直に貼り付けた紙に書くのも初めてです。私の頭の中には「失敗したらどうしよう」という悪いイメージしか浮かんで来ませんでした。
運よくイベントの直前に私は帰国して、先生に会うことができました。先生の「コンチクショーって書けばいいんです」というアドバイスを持って挑んだイベントでしたが、慣れない袴の中で私の膝はカクカク震えています。血の気も引いて両手は氷のように冷たくて、筆がちゃんと持てるのだろうかと心配になるほどでした。イベントの偉い人たちが通りすがりに「楽しみにしてるよ」と声をかけてもらうたびに緊張度も上がり、頭から血の気が引いていきます。控え室で何度「コンチクショー」とつぶやいたかわかりません。
一緒にパフォーマンスをする歌手と尺八演奏者は、私とは対照的にとてもリラックスしていて、楽しんでいるようにさえ見えます。私は自分がとても小さく感じられました。会場の舞台の床が素足に冷たく感じられました。舞台に上がってお辞儀をするときも、できるだけ会場にいる人を見ないようにしました。音楽が始まるまで私はコンチクショーを頭の中で唱えました。
ボウルの中の墨を筆でかき混ぜ始めると、墨の香りが立ち上がって、それとともに徐々に周囲の雑音が消えていきました。カメラのシャッターを切る音や、他のパフォーマー達の歌声も聞こえていますが、なんだかテレビの中から聞こえて来るようで、私とは違う次元の出来事のようです。筆を構えて白い紙を見つめると、周囲のことはすっかり忘れてしまいました。気が付いたらすっかり書き終わっていて、私は音楽が終わるとともに観客にお辞儀をしました。それでやっとイベントにいたことを思い出したくらいでした。
そのあと色々な人が話しかけに来てくれて、たくさんの人と握手をしましたが、私の手はもう冷たくはなくなっていました。
今でもパフォーマンンスの前にはそれなりに緊張します。声が震えないかなと心配にもなりますが、以前のように服が冷や汗で重くなったり、緊張しすぎて涙が出て来ることはありません。目をつぶって深呼吸を何回かするだけで、私はどんなパフォーマンスもすることができます。もちろん頭の中では、あのときの先生の声がします。
コンチクショーって書けばいいんですよ
水が怖くて頭も洗えず、泳げもしなかった私が父の(スパルタな)手助けで克服した時の気持ちと似ているかもしれません。あんなに高く見えていた壁をひらりと超えてしまったような、そんな身軽な気持ちです。恐怖で抑え込まれていたものが吹っ切れたからなのでしょうか。時間はかかったけれど、また一つ壁を越えることができました。
みなさんの勇気のきっかけはなんですか。
『あこがれの星をめざして』の作者紹介:
ラッセル・ホーバン(Russell Hoban)
1925年、アメリカ ペンシルバニア州生まれ。大学を中退し、フィラデルフィアの美術学校で学ぶ。「フランシスのいえで」「フランシスのおともだち」(好学社刊)などの作品がある。2011年没。