【絵本レビュー】 『あおい目のこねこ』
作者:エゴン・マチーセン
訳:せたていじ
出版社:福音館書店
発行日:1965年4月
『あおい目のこねこ』のあらすじ:
青い目の元気な子ねこは、ねずみのくにをみつけにでかけます。途中、さまざまな困難にあっても、前向きに進んでいく子ねこは、同じく、ねずみのくにを探す黄色い目の5匹のねこたちに出会い、一緒に暮らすことにします。ある日、犬に襲われた黄色い目のねこたちを助けようとした子ねこは、急に吠えた声に驚いた拍子に犬の背にとび乗ってしまいます。犬は背中に青い目の子ねこをのせたまま駆け出し、そして行きついたところは……。
『あおい目のこねこ』を読んだ感想:
「ポジティブなネコ」
これが私の最初の印象です。ねずみのくにを探すことの苦労をものともしないというだけではありません。他の猫からのからかいの言葉もポジティブにさらりとかわしてしまいます。
ふつうの、いいねこは、きいろい目だまなんだよ
そういうねこたちに対し、こねこは水に顔を移して確認します。
青い目はきれいだし、かおもへんてこではありません。
そう思ったこねこは嬉しくなったばかりか、他の猫たちにこう言ってやろうと思って走ります。
ぼくは、へんてこなねこじゃないよ
弟子入りさせていただきたいです。母から「デコッピ」とからかわれた私は十代前半をコンプレックスで固めて過ごしました。おでこはしっかり髪の毛で隠し、誰にも笑われないようにと構えて過ごしていました。おかげでニキビにも悩まされましたが、それでもおでこを出そうとは思えませんでした。
幸いある同級生が私のおでこの形をきれいだと褒めてくれて、私は呪縛から解放されたのですが、当時鏡を見て「私のおでこ、へんてこじゃないよ」と思えたらどんなに気持ちが軽くなったことでしょう。
もう一つこのあおい目のこねこから見習いたいのは、目的に焦点を置いていることです。「エネルギーをつぎ込んでいる方にことは進む」という話を聞いたことがあるのですが、あれもこれもと焦点が定まっていないと目的達成からだんだん遠ざかっていくような気がします。「できる」と自信過剰になるというよりも、「できた自分」をイメージしてそこへの道を切り開く、という感じかもしれません。
ロンドンに移住してから六ヶ月して、住まわせてもらっていたホストファミリーの家を出ることにしました。シェアハウスへの移動となったのですが、語学学校へ通いながら生活費も稼がなくてはなりません。何ができるんだろうと考えていたところ、ホストマザーが言ったんです、
「写真が好きなら中心地にはたくさんフォトスタジオがあると思うよ。訪ねて行って聞いて見たら?」
二十代の私はそれを聞いて疑いませんでした。いとも簡単そうに言ったホストマザーの口調も助けになったかもしれません。私はその夜ウェブサイトでロンドン中のスタジオを調べてリストにしました。そして翌日から、語学学校の後それらのスタジオを歩いて訪ねたのです。もちろん歩いていくし、着いてもマネージャー格の人がおらず待たなければならないこともあったので、一日に行けたのはせいぜい二、三ヶ所でした。
もちろんYESをすぐにもらえるほどラッキーではありません。「うちはフォトグラファー足りてるから」と断られたら、お礼を言って次に向かう。そんな日々を一週間ほど続けました。今だったら最初のNOで挫折しそうなのですが、その時は全く気にならなかったのです。「今日は食パン売り切れ」くらいのダメージで、さっさと次に移動していました。そしてとうとうあるスタジオが、一ヶ月間毎日スタジオに来て座って仕事を学ぶという条件でYESをくれたのです。リストにはまだ三分の一くらいスタジオが残っていました。
ホストマザーに報告するととても喜んでくれましたが、同時にちょっと驚いていました。思っていたより早く見つかったことと、彼女自身本当に見つかるとは思っていなかったのかもしれませんね。
最近NOと言われることが怖くてYESをもらった自分をイメージできていないなと思うことが多いです。NOばかりに焦点を置いて本当に思っていることが言えなかったり頼みたいことを頼まなかったりして、自分で自分をイライラさせているように思います。世界は私中心に回っているわけではないから、NOがあって当たり前。でもYESも必ずあるんです。そのYESに向かって気持ちを集中させていたら、NOはただ過ぎ去っていく景色にしか過ぎなくなるのではないでしょうか。あおい目のこねこを見ていてそんなことを感じました。
『あおい目のこねこ』の作者紹介:
エゴン・マチーセン(Egon Mathiesen)
1907年、デンマークのエスビエーア生まれ。デンマークの代表的作家として知られ、「あおい目のこねこ」をはじめ、「さるのオズワルド」「おうむ」「フレデリックとバス」など数多くの優れた作品を発表し、デンマーク政府から絵本賞を受賞している。画家である夫人との間にひとり娘がある。1976年没。