京都、洛東
100 million aberration
Berekの代表作はElmarなのでしょうか。
このElmarは戦前に作られ、のちにLeitzでコーティングが施されたものです。メッキはクローム、50-3.5ですから鏡胴はできるだけ長いものを探しました。
希少価値のない、ふつうのものですが、それがよいのです。
戦前のレンズとはいえ、Berekのテッサーなのでよく写ります。
開放からキレますが、ボケ方にBerekの秘密が隠されており、Berekとしては少し写実的ですが、京都、洛東に合います。
線が細く、Elmarの特徴がでています。
マクロでも艶を隠しません。
SummaronではElmarほどの奥行きは出ません。広角にも味わいを求めるのであれば、これもよいものです。
BerekのLeitzはElmaxで始まりましたが、Summitarで終わりました。
本来はSummaritなのでしょうが、そうは思わないのです。
SummitarのレンズデザインはBerekのものといえそうです。
このSummitarは戦前に作られ、のちにLeitzでコーティングが施されたものです。
最初期のものですが、ふつうのSummitarです。
カメラはFuji GFX100Sですが、沈胴させます。
これも開放から十分にキレますが、少し絞るとよいと思います。
その背後にある生活までも滲みます。
やはり、京都、洛東に合います。
これは開放で撮りました。
こういうときは絞るのがよいと思いますが、そうしませんでした。
濃い鉛筆で描いたようです。
白鷺という種類はないのですね。
これは青鷺と思います。
ワンピースの女性と寝そべっている男性のせいで、まるでジブリの世界のようです。
三条、祇園の老舗です。
しゃぶしゃぶ屋のショーウィンドウにはハレの日の、象牙屋の看板には象牙の、呉服屋の暖簾には染めものの、そしてお茶屋には一服の、それぞれ気品があらわれます。
花見小路では開放での撮影になります。タクシーが祇園らしさを手伝ってくれているでしょうか。舞妓さんが降りてくればと期待しましたが、そううまくはいきません。
この女性はどなたですか。てる子ではありませんよ。
ここだけ時が止まっているようです。
戦前のレンズですから、よりモノクロに適しています。
カラーでもよいと思います。
開放と大陸絞り3.2での比較です。
ずいぶん描写が異なります。
絞ると当然引き締まりますが、Summitarは絞っても味わいを失いません。
橋脚の影にそれがあらわれています。
順光と逆光の比較です。
生前、父との最後の旅行でいただいたゆどうふです。
おいしいゆどうふです。
疏水は、当時、水力発電などとして、現在は水道水でしょうか。
おいしいゆどうふでしたが、それは疏水と関係がありますか。関係ないでしょうね。
ずいぶん経ちます。
疏水で暮らす生き物です。人もそうです。
Summitarで写すと、どこか誇らしげに感じられます。
どちらかと問われれば、朝がゆとこたえます。
強い光はうまく捉えられません。全てニ線ボケのようです。
どうしてでしょうか。これはこれでよいのでしょうか。
よくないと思います。
夏の夜ですが、暑ささえも写ります。
そう感じられるのも暑さのおかげでしょう。
おしまいに山とみと白い鷺。
惜しまれつつ。
おわり