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漫画や小説から、死と生について考えるワークショップ【むぬフェスレポート】

2024年5月17日〜26日@大阪・應典院にて「産む」から「死ぬ」まで、生きるをめぐる10日間のイベント『むぬフェス』をひらきました。
「産む」にまつわる価値観・選択肢を問い直す展示『産まみ(む)めも』の大阪巡回展に加え、人類学者•哲学者•お医者さん•仏教者•デザイナー•起業家など多彩なゲストとともに、「産む」から「死ぬ」まで、ぐるりと想像力を拡げ、生きるをめぐるための対話セッションやワークショップ...といった表現の場。

延べ人数、500人近くの方に足を運んでいただきました。熱が冷めやらぬうちに、と言いつつはや1ヶ月が立とうとしていますが、企画担当者・運営・参加者..といった視点を交えた当日の様子を振りかえっていきます。

さて、今回は、ワークショップ「漫画や小説から、死と生について考える」のレポートをお送りします!

ワークショップ「漫画や小説から、死と生について考える」

こちらのワークショップは二部構成に分かれており、前半にゲストである哲学者 谷川さんから、「漫画や小説から、死と生について考える」というテーマでのトーク。
後半はそのトークを踏まえ、自身の死生観に影響を及ぼした小説や漫画などの作品について、参加者同士で紹介し、語り合いました。

企画した背景

このワークショップを企画した背景ですが、まず「企画者自身が漫画好きであったこと」です。私自身が生き方や日頃のふるまいについて、無意識的な部分も含めると、少なからず漫画に影響を受けて生きています。

その上で、「産む」から「死ぬ」まで対話していくむぬフェスの中で、一見切実そうに見えるこのテーマを、ゆるく扱える場をつくってみたいという気持ちがありました。そういった漠然のイメージと企画の素案があった状態で、哲学者の谷川さんに企画のゲストを打診し、快諾いただきました。

谷川さんにお声かけした理由としては、谷川さん自身が年間900冊近い漫画を読まれている漫画好きであるということ。加えて、普段から、漫画や映画などの幅広い作品についての解釈を交えながら、哲学に関する文章を寄稿されていたからです。

谷川さんとやりとりしながら、ワークショップの企画概要文章に記載している、核となる文章が完成し、無事企画が実現することになりました。参加者は、むぬフェスのワークショップで最多の30名!会場も満席で、熱気に包まれた状態で始まります。

日常系漫画から、生と死について考える

会の冒頭は、谷川さんによるインプットトーク。なんと、今回のために、漫画の内容の紹介も含めて、スライドを80枚もつくってきてくれました。

「どんな作品が紹介されるのだろう?」とワクワクしている参加者。そんな中、印象的だったのは、トークで紹介された漫画の多くが、一見すると「死生観」を語ることから少し距離を感じる「日常系の漫画」だったことでした。

いくつかの日常系漫画の話に加えて、話は、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学卒業スピーチの中で語る「死」についての話に展開していきます。「自分がもうすぐ死ぬということを思い出すことは、人生の大きな選択をする上で、これまで出会った中で最も重要なツールだ。」というフレーズで有名な、スピーチです。

それら一連の作品について触れながら、谷川さんはこのように語ります。

死生観を気にされてる方は、「覚悟」のような話をしがちだと思うんですが、そういう勇ましい話は今日はいいんじゃないかと思っております。スティーブ・ジョブズのせいではないんですが、死について私たちはちょっと真剣すぎるんじゃないか。もちろん重たい重要な話題ではあるんですけど。重要で深刻な話題を前にすると、私たちは真面目な顔をしたくなってしまう。

そういうものだと思うんですが、 この場ではそれはもういいんじゃないか、少なくとも今回の90分ほどの間ではあんまり気にしないでおこうってことです。

もちろん、死という局面は、私たちの人生に必ず到来するわけです。自分もいつか死ぬし、自分の大切な人も大切じゃない人もそうです。ただ、そうじゃない日常っていうのが常に存在していて、「死生観」という言葉で取りこぼされてしまう側もぜひ考えてほしいなと思って、今回はできるだけ死が登場しない漫画を紹介しました。もうちょっと気楽に、くだらないものの中に、くだらなさを愛らしく見つめるような視点みたいなものが大事なんじゃないかと日々思ってます。

漫画や小説を中心に置いて語る

このような視点が谷川さんから投げ込まれた後に、会は後半戦へ。参加者それぞれで自身に影響を与えた作品を整理する時間を少し取った後、参加者同士の語り合いの時間に移ります。

ワークショップの参加者の声を見ていると、漫画などの作品を中心に置くことで、「自然に語ることができた」「無責任に語ることができた」という内容があがっていました。死と生といったような重たい話題に対して、作品を間に置いて話すということは、一定のゆるさやカジュアルさをもたらすのかもしれません。

各テーブルで、それぞれ好きな作品について語りあっている姿、それを自身の生き方につなげて話している姿は、なかなか見れない光景でした。漫画や小説以外にも、映画や音楽、ゲームといった様々な作品の話が飛び交いました。

実際にどんな作品の話があったのか。その作品がどんな気付きを与えたのか。全体シェアで出た参加者の声を一部ピックアップしてご紹介します。

①バイクレ―サーが危険に身をさらしていく中で、最終的に亡くなってしまい、レーサーの奥様が主人の死を受け入れていく映画です。「健康で長生きな人生を目指す」という固定観念がある中で、そうでない生き方を、本人だけでなく、寄り添っている者としてどう捉えていくのか。生きるということを考えていく上でヒントになるような映画でした。

②Detroit: Become Human
アンドロイドが意識を持っていくゲームの話で、人間とアンドロイドと対立構造になっていくんですけど、その中で出てくる「生きることは選択をすることだ」っていうシーンが印象的に残っています。

また、ワークショップ全体を通じて、参加者から以下のような感想がありました。

漫画や映画などを切り口にすることで、こんなに自然に死生観について語らうことができるのか!と、目から鱗でした。日常系の漫画から死生を考えるという発想がなかったので、とてもよかったし、参加者の方々とライトに話すことができました。

マンガやエンタメコンテンツだからこそ、無責任に語れる、ということで、死について重たくならずに語れるコンテンツの在り方について気づきました。実際、わたしも自分の家族の話を少し話し、メンバーの方も。そうすることで、少し救われるのは、話し手にとってもだし、聴き手にとっても重さ調整になるんだなと思いました。ありがとうございました。

死生観と言えば、「死ぬ、生きる」を考えるものだと感じていましたが、日常の何気ない行動、言動からも死生観を感じ、どうでもいい事が大切だったりするんだな!と気付かされました。

おわりに 

「このテーマなら谷川さんだろう」と谷川さんにゲスト依頼させてもらったので、素晴らしい会になる確信だけはあったものの、どんな話が会場でなされるかイメージがわかない状態で当日に臨みましたが、素晴らしい会となりました。

ワークショップの中で印象的だったのは「漫画や小説から死と生を考える会」ではあったものの、いわゆる日常系の漫画のような直接的に死が描写されていない作品も含めて、自身が影響を受けている生き方について参加者から語られるような場になったことです。

自分自身、「死生観」という言葉を前にすると身構えてしまい、勇ましい覚悟の話のような「死についてのそれっぽいこと」を語らないといけないような気分になってしまう。普段語る機会が少ないからこそ、こういった現象が、割と起きてしまうのではないかと思います。

言葉を使う際に、こぼれ落ちてしまう部分を日々注意深く観察されている谷川さんのトークが会の前半にあったからこそ、「死を前にすると、それっぽい勇ましいことを語ってしまうモード」が取り払われ、建前の語りで終わらない場になったのかなと感じています。

書いたひと:松井 貴宏
広島生まれ。京都での大学生活を経て、都内のITベンチャー企業でマーケターとして働く。30歳を機に会社を退職し、京都でキャリアブレイク生活を送った後、フリーランスとして独立。企業のマーケティング支援に加え、経営者・研究者・アーティストといった多様な人たちと協働した企画づくりを行う。
https://twitter.com/matsuit0117

All Photo by Rikuo Fukuzaki

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「むぬフェスは、浄土宗・應典院とDeep Care Labが協働する「あそびの精舎」構想の第一弾企画として実施されました。「あそびの精舎」構想では、多世代が混じり合い、あそびをつうじて、いのち・生き方・暮らしの3つの”ライフ”をわかちあうコモンズの拠点として、また、お寺をリビングラボという社会実験の場に仕立てていくべく、活動を展開中。
秋には芸術祭も行います。
ご関心ある方やこんなことを一緒にできそう!とピンときたら、
ぜひwebサイトよりお問い合わせください。


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