見出し画像

孤独じゃなかった芥川龍之介

芥川龍之介「河童」

 山手線の田端駅周辺は、地形が独特だ。細長い台地の縁で坂道だらけ。北口を出たところの駅前通りは切り通しになっていて、見上げるような高い場所に橋がかかっている。それを2つほどくぐって、折り返すようにして急な階段を上ると、芥川龍之介(1892〜1927年)の旧居跡はすぐそこだ。

 もともとの敷地の3分の1ほどがいま、更地になっている。北区が取得していて記念館を作るのだそうだ。大正3年に田端に引っ越してきた芥川は、一時期鎌倉などにも住んだが、昭和2年に自死するまで、作家人生のほとんどをここで過ごした。

 上野に東京美術学校(現東京芸大)があったことで、田端には多くの画家や芸術家が暮らしていた。そこに文壇の寵児だった芥川が移住して、室生犀星や萩原朔太郎、菊池寛、堀辰雄といった文人たちも住むようになり、大正から昭和にかけての田端は「文士・芸術家村」となった。中心的存在だった芥川は「田端の王様」とも評された。

 駅前にある田端文士村記念館が「散策マップ」を作っていて、田端に住んだ芸術家や作家の住居跡をたどることができる。家は建て替わっているが、高台の斜面にめぐらされた細い路地や坂道は、当時の様子を感じさせてくれる。芥川たちも、お互いの家を訪ねたり行き来していたのだろう。

 晩年の作品である「河童」は、ある精神病患者の独白という体裁で、河童の国の出来事を描いた小説。コミカルな仕立てで、恋愛や芸術、哲学などの問題を論じている。そこに「文士村」を思わせる記述がでてくる。

 度たび超人倶楽部へ遊びに行きました。超人倶楽部に集まつて来るのは詩人、小説家、戯曲家、批評家、画家、音楽家、彫刻家、芸術上の素人等です。しかしいづれも超人です。彼等は電燈の明るいサロンにいつも快活に話し合つてゐました。のみならず時には得々と彼等の超人ぶりを示し合つてゐました。

 「唯ぼんやりした不安」という言葉を遺して自殺した芥川には、孤独で暗いイメージがあった。でも、誰にも優しくて世話好きだったという。彼を慕う人々がわざわざ近所に住みたがるぐらいなのだ。魅力的だったに違いない。田端文士村記念館には、芥川邸の再現模型がある。配された芥川のミニチュア人形は、書斎で眉間に皺を寄せているのではなく、庭で木登りをしている。実際に木登りをする映像が残っていて、それを元に作られている。なんだか楽しそうだ。7月24日が河童忌。

                         2019.7.1 夕刊フジ


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集