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巨大すぎるぞ路傍の石
山本有三「路傍の石」
JR三鷹駅で中央線を降りる。井の頭公園に向かって、玉川上水沿いの遊歩道をたどる。「風の散歩道」と呼ばれているらしい。緑の濃い水辺には、深呼吸をしたくなる雰囲気がある。しばらく歩くと、これまた緑に囲まれた二階建ての洋館が見えてくる。
作家の山本有三(1887-1974年)が、昭和11年から約10年間暮らした旧宅で、現在は三鷹市山本有三記念館として公開中。和洋の書斎があったりして、かなり個性的。のちに代表作となる「路傍の石」を執筆し始めたのも、この家だという。
有三が道端で見つけて、気に入って持ち帰ったという石が門前に展示されている。まさにこれぞ「路傍の石」なのだが、これが!?と思うほどに大きい。一人で運ぶのは無理。車とか使って、けっこうな大騒ぎだったのではないか。
「路傍の石」は、極貧の家に生まれた吾一という少年が、苦労しながらも懸命に生きていく日々を描いた小説だ。
自分自身を生かさなくってはいけない。たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。
吾一君、空腹や屈辱に耐えてこつこつとためていた小遣いを、プライドばっかり高くて働くのが嫌いな父親に遣われてしまう。学校に行けずに呉服屋に奉公に出される。母親が死んで東京に出ても、最底辺の暮らしは変わらず…。
読んでいると、つい現代日本のDVや社会格差やブラック労働と重ね合わせてしまう。古い小説のはずだが、世の中ちっとも変わってないのではないか。こんな表現がある。
とにかく、そいつは大きな石ウスのようなもので、その石の下にはまりこんでいるものは、どんなものでも、こなごなにされてしまうのだ。そして、その石ウスの重さを一番よく知っているのは、貧乏人の子どもである。
栃木県の商家に生まれた有三は、実際に奉公に出された経験もあるという。門前の巨大な石が「石ウス」のようにも見えてくる。
ご存じのように「路傍の石」は完結しなかった。昭和15年、軍国主義の台頭する中で検閲にあったことを機に中断。戦後も、再開されないまま未完で終わった。新潮文庫版には、その経緯を有三が自ら記した「ペンを折る」「あとがき」が収録されている。
「路傍の石」は、ついに路傍の石に終わる運命をになっているものと見える。この作品は、作中の主人公と同じように、絶えず何ものかにけとばされる。
蹴飛ばされても折れない。そんな作家の態度が共感を集めるからこそ、この作品は代表作と呼ばれているのだろう。
2019.5.14 夕刊フジ