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ぶらり、ぶんがく。本と歩く

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文学作品にまつわる聖地、名作や話題作の舞台となった場所を、本を手に散歩する企画です。
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#散歩

「回転像」鑑賞は冬がオススメ!

松尾芭蕉『おくのほそ道』 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり  時間は永遠に歩みを止めない旅人だ。すなわち人生も旅だ。昔から旅に生きて旅に死んだ者は多かった。私も漂泊したいという思いが募って…。そんな風に書き出される「おくのほそ道」は、江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644〜1694年)の代表作。150日間2400キロに及ぶ旅の出発地となったのが、

近代化が進む東京で…薄暗い路地へ

永井荷風『日和下駄』  お散歩コラムの小欄としては、この本は外せない。『濹東綺譚』などで知られる作家の永井荷風(1879〜1959年)が、東京の街を歩きまくるエッセー集。こう書いている。  その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである(中略)私は唯目的なくぶらぶら歩いて好勝手なことを書いていればよいのだ。  お気楽モードを強調して、目指すのは風光明媚な名所

ふるさとは遠きにありて… 犀川のほとりで口ずさむ

室生犀星「抒情小曲集」  金沢の中心街である香林坊・片町から南西に少し足を伸ばす。三角形が組み合わさったトラス構造が印象的な犀川鉄橋があらわれる。川を渡っていくうちに、賑やかさが遠のいていく。渡り切って右折。瓦を載せた塀の先に、小さいけれど立派な門があった。「雨宝院」と記された門の脇にお地蔵さまが立って、参詣者を迎えている。  大正から昭和にかけて詩人・小説家として活躍した室生犀星(1889〜1962年)は、幼少期をこの小さな寺で過ごした。すぐ近くには、生家跡もある。そち

旧居跡の猫オブジェ 名前は……

夏目漱石「吾輩は猫である」  吾輩は猫である。名前はまだない。  で始まる夏目漱石(1867〜1916年)のデビュー作。文豪と呼ばれる漱石だが、明治38年に発表された本作は高尚な作品ではない。なにしろ猫を飼ってる教師の名前が「珍野苦沙弥=ちんのくしゃみ」だもの。ボケツッコミやギャグがこれでもかと繰り出される。斜に構えているのも社会批評というより、きっと笑いを取りにきている。エンタメ度満点の小説である。  ご存じの通り、猫の視点から、とりとめもない日々の出来事が語られる。

一番好きなのは、一番最近行った山

深田久弥「日本百名山」  百名山。山登りに縁がなくても聞いたことぐらいはあるはず。文筆家で登山家の深田久弥(1903〜71年)が著したエッセー集『日本百名山』に登場する山々を指す。深田は自らの登山体験に基づき、品格、歴史、個性を基準として、全国の山から百座を選出。道北の利尻岳から屋久島の宮ノ浦岳まで、それぞれの登山体験を綴っている。  濃緑の樹林と、鮮やかな緑の笹原と、茶褐色の泥流の押出しと−−そういう色が混りあって美しいモザイクをなしている。(焼岳)  眺望を称え、故

忘れた唄を思い出した創作の地

西條八十詩集  〈唄を忘れた金糸雀(かなりや)は、後の山に棄てましょか〉で始まって、藪に埋めるとか、ムチでぶつとか。一応「いえ、いえ、それは…」と制止してくれはするものの、童謡なのにけっこう残酷。映画ならPG12指定ぐらいされそうだ。  「かなりや」は、詩人で作詞家の西條八十(1892〜1970年)が、童話と童謡の雑誌「赤い鳥」に頼まれて発表した作品。成田為三が曲をつけて、1919年に童謡として発表されると人気を集め、八十の代表作となった。  散々ひどいことを言われている金

いまもひるがえる「六文銭」

池波正太郎「真田太平記」  亡き太閤殿下の御恩忘れがたく、この上は当上田の城に立てこもり、いさぎよく戦って討死をいたし、わが名を後代にとどめたく存ずる。西上のおついでに、ま、一攻め攻めてごらんあれ。  『真田太平記』は時代小説の大御所、池波正太郎(1923〜90年)による不朽の名作。文庫本で全12冊に達する超長編は、武田氏滅亡から犬伏の別れ、大坂の陣を経て松代移封まで、真田家40年のドラマを活写する。どこを読んでも面白いが、前半から中盤の見せ場といえば知将・真田昌幸が徳川

なぜわざわざ波間に?

徳冨蘆花「不如帰」  逗子海岸のはずれ、砂浜の尽きた先。海に面した崖から小さな滝が落ちていて、小さな不動堂がある。その前の海を防波堤越しに覗くと、ポツンと碑が立っている。「不如帰(ほととぎす)」と大書された石碑は、潮が満ちれば沖合に。遠くから眺めるしかないという、かなり異色の文学碑。  訪ねたのがたまたま干潮の時間だったので、碑のそばまで歩くことができた。近くで見るとずいぶん磨耗していて、背面の文字はほとんど読めない。荒天にはザブザブ波をかぶるのだろう。なぜここに?と言いた

あるはずのない伏姫の岩穴に…

曲亭馬琴「南総里見八犬伝」  仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌。50代以上なら、即メロディーが思い浮かぶのでは。いざとなったら玉を出せ。1970年代に放送していたNHKの人形劇「新八犬伝」の挿入歌だ。  原作は、江戸時代後期の作家、曲亭馬琴(1767〜1848年)の『南総里見八犬伝』。房総半島の南部、安房国を拠点にしていた里見氏の歴史を題材にした伝奇小説である。刊行開始から完結まで28年かかったという106冊のギガ長編。長すぎてとても原文全部は読めないが、さまざまな訳本や抄本

名作を連発した奇跡の日々

樋口一葉「たけくらべ」  都営三田線の春日駅で降りて白山通りを北へ歩くと、通りに面したビルの植え込みに「一葉樋口夏子碑」と刻まれた石碑がある。五千円札でおなじみの作家、樋口一葉(1872〜96年)の終焉の地だ。  碑文は日記からの引用で「家賃は月三円也 たかけれどもこゝとさだむ」「わづらハしく心うき事多ければ」などと、ぼやいていたりする。  一葉は、いまでいう貧困女子だった。幼い頃は裕福だったが、17歳で父を亡くして生活苦に陥り、小説のほかにいろいろな仕事をしながらやっと食

水底に沈んだ村

城山三郎「辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件」  外出自粛が続く。印象に残っていた場所のことを描いた本を、巣ごもりの機会に読んでみた。「本と歩く」じゃなくて「歩いてから本」だが、時節柄ご理解を。  2019年の晩秋、取材で茨城県古河市を訪ねて、渡良瀬遊水地を巡った。広々とした水辺の風景に癒された。地元の男性に、いい場所ですねえ、と何気なく話したら「なかなか複雑でね」と困ったような表情になった。「私ら、子供のころに田中正造さんのことを教えられているので…」。そうだった。ここには村が

桜の樹の下には…人影なく

梶井基次郎「桜の樹の下には」  ウイルスのせいで、花見は超自粛ムードに。でも、社会が暗いせいか、令和初の桜はいつもより華やかにも見えた。花の色は、見る人の気分次第。  サクラサク、春本番、入学式の彩り…と好印象もある一方、散り際から無常感とも結びつく。死や怪異のイメージを広めた名文といえばこれ。  桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。  梶井基次郎(1901〜32年)が

人足寄場の光に照らされて

山本周五郎「さぶ」  江戸時代、隅田川の河口に二つの小さな島が並んでいた。石川島と佃島。石川島には人足寄場があった。戸籍から外れてしまった無宿人や軽度の犯罪者の収容施設で、火付盗賊改方の「鬼平」こと長谷川平蔵の進言で創設された。職業訓練をしていたらしい。どんな様子だったのかを教えてくれるのが、山本周五郎(1903〜67年)の時代小説「さぶ」。  この寄場は他の牢とは違い、収容者を罪人とはみなさない。(中略)手に職のあるものはその職にはげみ、職のない者は好みの職を身につける

トリックの鬼はここから

横溝正史「本陣殺人事件」  ちびた下駄にシワだらけの着物姿、まったく風采が上がらない青年が、もじゃもじゃ頭をかき回し、鋭い推理で難事件を解決する。横溝正史(1902〜81年)による名探偵・金田一耕助シリーズは、石坂浩二や古谷一行らによる映像化などで人気を集め、昭和の推理小説ブームを牽引した。『八つ墓村』『犬神家の一族』などが有名だが、その第一作が『本陣殺人事件』。  伯備線の清−−駅でおりて、ぶらぶらと川−−村のほうへ歩いて来るひとりの青年があった。見たところ二十五、六、