樂美術館へ〜利形の守破離展〜観れてよかった!
今、京都にいます。
仕事兼美術館巡りの五日間になる予定。僅かでも、何か得て、ひとつ成長して帰りたいな。
今日は、樂美術館の特別展『利形の守破離-利休形の創造と継承』を観賞してきました。
樂焼とは、侘び茶を大成した千利休が、自分の理想の茶の湯茶碗を長次郎という人に依頼してつくってもらった茶碗のこと。樂家初代がこの長次郎であり、現在十六代目が継承しております。茶の湯茶碗を制作する『ちゃわんや』、それが樂家です。
今回の展覧会は、樂歴代それぞれの作品を、『守破離』という考え方と重ねて紹介するスタイル。
守破離とは、利休が提唱したとされる考え方のこと。
この展覧会を観て思ったのは、道の歩みというのは一朝一夕にはいかないということ。守を飛ばしていきなり破に到達することはない。破なくして離もまた、あり得ない。繋がっているのだ。であるなら大切なのは、今を大事に生きること。それってなんだか人の人生と重なるなぁと思う。例えば、若年期を経ずに、壮年期になることはない。若い時に仕事、恋や愛、様々なことを経験する。そして歳を重ねた時に、生きる歓び、愛情、哀しみ、傷などを知っているよきオトナになれるのではないかな、と。若い時期の悩んだり苦しんだりもがいたりが、自分を育てる滋養になるのではないかと思う。そんなところに思いが派生した。
今回の展覧会では、第一展示室が『守』、第二展示室が『破』、第三展示室が『離』という順になっており、誠に見やすい構成でした。樂歴代各々が、『守』樂焼とはなんだろうということを模索、探究し、『破』その上で独自の作風を築こうとし、そして『離』自分の創意を込めた新しき茶碗を創っていました。例えば、了入は箆削りを極めようとしていたり、覚入は、茶碗に意匠を施していたり。と、言葉にするのは簡単ですけど、それを具現、現前するのは並大抵のことではないのでしょう。伝統にあぐらをかかず、己の人生をかけて茶碗作りに向き合う。その熱が伝わってくる、素晴らしい展示です。
なぜ、樂焼に惹かれるのか。それは、守破離のような生き方をしたいと思っているからではないか。そんな生き方、取り組み方から生まれる作品を観ていると、心があったかくなったり、熱くなったりする。
脳科学者養老孟司さんが語っていたことではあるが、俺という人間を作品とするなら、俺もまた作品を作る作者なのだ。
今日のこの思索を、どうすれば私の人生に生かせるだろう?自分に落とし込めるだろう?と今、考えています。まあ、とにかく熱冷めやらぬうちに文章化できてよかった。
俺は、俺の人生に向き合う。がんばる。