日本に帰ってからのこと
最近、なぜだか毎日のようにノルウェーでの暮らしを思い出す。
コロナ禍(2020~2021年)に渡航していたこともあり、ノルウェーでの1年間が終わってみるとそれはまるで現実ではない幻のように感じられた。
ところが2024年になって突然、自分のマインドに影響を及ぼしている。
あのときの生活や経験が、自分の自信になってきているのを感じる。経験が熟成された感。
正直ここまで来るのは簡単ではなかった。
自分の中で起きていたことを整理し理解するのにすごく時間がかかったし、苦しんだ。
苦しみあっての現在があると、ようやく思えた今。
友人からもらった大切な言葉を起点にして、帰国前から今までの私の心理的な軌跡を記しておこうと思う。
“あすちゃんがどんな道を歩んでいくのか、本当に楽しみ。“
日本に帰ってくるつもりもなくノルウェーに行き、結果的に1年後に日本に帰ってきた私が、どんなふうに日本で暮らすのか。
何が1番の感動だった?
海外で暮らすのってどうだった?
また行くの?
今後は何したいの?今後の目標は?
帰ってから人と再会する中で、よく聞かれた質問たち。
嬉しいことに、私がどんなふうになっていくのか、楽しみに思ってくれる人がたくさんいた。私自身も自分がどうなるのか、自分の人生がどうなっていくのかに興味を持っていた。
それに、海外生活の準備や海外に長期滞在している最中に発信する人は多くとも、帰ってきてからどう生きているかの話は少ないように思う。
だから、帰ってからのことも言葉にしたい。帰国前はそんな希望も持っていた。
“あすはこれから、なんにでもなれるね。“
そう。私はこれからなんにでも、好きな自分になっていける。
そう思うと、日本への帰国は楽しみだったし、帰国後の生活にワクワクしていた。
ノルウェーでの生活に比べたら、日本での暮らしはずっとずっと楽なはず。だって自分がもといた場所に戻るだけなんだから。
言葉も通じるし、日本の暗黙のルールや習わしもある程度わかっているし、困ることははるかに少ないのでは?
仕事(生活の糧)や住むところをどうするかといった現実的な不安はあったけど、ノルウェーに行くときこそ英語圏ではない、かつ初めて訪れる国だったし、会ったことのある知り合いもいなかったから、それに比べたら日本に帰るのはずっと気楽だった。
日本の友達に再会するのもとっても楽しみだった。
“まだ帰ってきたばっかりなんだし、そんなに生き急がなくていいよ。“
いざ日本に帰ってみると、ノルウェーに行ったときと同じくらい、というかむしろそれ以上に、主に手続き関連で骨の折れることがいろいろあった。
日本で生まれ日本で育ったのに、日本に帰って生活しようとすることがなぜここまで大変なのか!
もう日本を呪いたい。行き場のない怒りでいっぱいになって、余計なエネルギーを使う日もしばしば。またここで新しい生活を築かなければという覚悟と焦りに拍車がかかった。
私から見れば十分生き急いでるように見える友達に「生き急がなくていいよ」と言われて、私はそんなふうに見えるのかと、なんだか可笑しくなった。
「いやいや、あなたにそう言われたら、私もう何も言えないわ」
人生で止まっていていい時間もあるはず。
なのに、日本に帰って来た途端に募っていく罪悪感や不足感。
これからのことが何にも決まっていない…それは限りなく自由であると頭で理解していても、住まいを決めてご飯を食べて生きていかなければいけない現実に変わりはなく、焦りの軸でしか自分を見られない瞬間が多くなっていた。
別の友達は私の思いを聞いて、自身の海外生活の経験からこんな話をしてくれた。
「高速道路を走っていると、スピード感覚がわからなくなることがある。車の中からふと外を見れば、まるで止まっているかのような感覚になることもある。けど路肩に車を止めて周りの車が走っているのを見ると、ものすごいスピードで走っていることがわかる。自分がいかに速いスピードで走っていたか、止まってみて初めてわかるものだったりするよね。」
なるほど、環境を変えるってそういうことかもしれない。
自分の位置は変わっていないつもりでも、環境や物事に突き動かされていつの間にか別の場所に来ていることもあるんだろう。電車だって、エレベーターだって、自分はあくまで箱の中で止まってるだけで移動できているし。
帰国時も日本で続いていたコロナ禍の細々ルールや社会の閉塞感もジワジワ影響を与えてくる中、環境の変化に伴う大変さもあったが、次第に自分自身の変化が何よりも重く、自分にのしかかるようになった。
帰国前は、そんなことは想像すらしていなかった。
“欠けている感覚があるなら、無理にいいところを探さずその気持ちを満たす方法を考えていけばいい。それが見つかるころ、あすちゃんのmellomlandingが本当に完結すると思う。”
mellomlanding— メロンランディング
mellomはbetween、~の間。landingは英語と同じように、着地。それぞれそんな意味を持つノルウェー語を組み合わせた造語。
英語で表現するなら、transitionだろうか?
ノルウェーでは、軍に属している人が戦地から帰国し、各々家族の元へ帰るまでの一定期間のリトリートを指す。
私がこのmellomlandingという言葉を初めて知ったのは、ノルウェーでの生活に少しずつ慣れ始めた2020年10月頃。
ノルウェーのメンタルヘルス事情に興味を持ったとき、現地で知り合ったノルウェー人の友達が教えてくれた。
彼はノルウェーの軍に勤めていたことがあり、外国の戦地へ派兵された経験を持つ。
ノルウェーでは兵士が派兵期間を終えると、帰国してすぐに家族の元に帰る前に、まず同じように戦地に行ってきた兵士だけで過ごす保養施設へ送られる。そこで数週間の間、仲間と寝食を共にしながら戦地での経験を語り合ったり、個別のカウンセリングを受けたり、プールで泳いだり、ホテルのような素敵な空間でゆったりと戦地の疲れを癒し、母国での日常の再開に備える。それは派兵期を終えた兵士の選択制ではなく、絶対なのだと。
とても良いと思った。
mellomlandingを設けた結果PTSDが軽減しているとか、そういうデータまでは追っていないから具体的な効果の程は知らないが、戦地という自分の生活文化圏以外の場所で過ごした後、しかも自分と他人の生死を身近に感じながら過ごした後に、派兵される前の生活に簡単に戻れるわけがない。
メンタルヘルスに力を入れているノルウェーらしい取り組みの1つである。
そんなmellomlandingという言葉と学びを共有していた友達からもらった一言。
「あすちゃんの暮らしが満たされてるかどうかは、あすちゃんの心が決めることだから、無理にいいところを探さなくていいと思う。欠けてる感覚があるなら、その気持ちを満たす方法を考えていけばいいと思うよ。それが見つかるころ、あすちゃんのmellomlandingが本当に完結すると思う。」
言い得て妙だった。
このとき帰国からすでに1年半が経っていたけれど、私はノルウェーでの暮らしを経て変わった自分を受け入れられず、どうしようもなく孤独を感じていた。
日本に馴染めなくて、日本もノルウェーも自分から遠い気がして、どこにも着地できていないようなフワフワした感覚で。でもその感覚を誰にも理解してもらえない気がして、孤独にいることを選んでいた。
どこに行っても友達づくりに困らなかった私が、積もり積もっていく不快な着地しきれない感と孤独感に耐えかねて、パソコンの画面越しにノルウェーにいる友達に「私、友達がいないの」と泣きながら訴えていた。
帰国したのは2021年の夏の終わり。コロナ禍の帰国、隔離、家探し、引っ越し。
年が明け、再開した介護の仕事の傍ら、ご縁あって突然始まった新しい仕事、新しい職場、新しい同僚…
一気に事が動き出し、その波に呑まれぬよう、なんとか新しい環境でやっていけるよう、とにかく必死だった。
自分にとって新しいこともいろいろあったけど、1年前に自分がいたところに戻ってきただけだから、別に新しくなんかないと思い込んでいた。
でも、前と同じ東京にいても、何かにつけ前とは全然違う感じ方をする自分がいた。
帰国直後は特に顕著だった。
例えば、ノルウェーで住んでいたベルゲンという街はそこら中で羊が放牧されていたから、飛行機や電車の窓から田んぼのようなグリーンを見ると、目が自然と羊を探すようになっている。当然、日本のグリーンの土地に、羊はいない。ちょっと寂しい気持ちになる。
電車や街中の広告がとにかくうるさい。
街に出ると電子広告やのぼりといった視覚的情報に加えて、音声でも情報を降り注いでくる。情報量多すぎ。
お店の新メニューやおすすめなんか、欲しければ自分で調べるからほっといてよ!!心の中でブチギレる。
(ノルウェーはどこもそれだけ静かだったんだ...)
コロナ禍で一気にセルフレジ化が進んだスーパー、ノルウェー もセルフだったけどちょっとしたシステムの違いに「…???」と困惑する。
言葉がうまく出てこない。熟語とか...えーと、あの言葉はなんだっけ…?
困ったのは敬語。以前は何の問題もなく使えていた尊敬語と謙譲語がまったく使い分けられない。
(これだけは未だに起こっている...話すときの脳の使い方が完全に変わったんだろう。大学卒業直後のほうがよっぽどちゃんとしゃべれていたんじゃないか?)
言葉は理解できるのに、ひたすらルールのわからないゲームに参加させられているような気分だった。
帰国してから数週間は特に、こんな調子で戸惑いと惨めさが増幅されて、外出するたびに半べそをかきたかった。
かつて自分が教育を受けてしっかり仕事もしてきた日本でいちいち戸惑う、そんな自分にさらに戸惑う日々。
なんだか常に疲れていて、働かない頭で「この鬱的な闇はなんだろう?」と思ってネットで検索してみて、初めて『リバース・カルチャーショック』なるものがあることを知った。帰国鬱、逆カルチャーショックとも言われる。海外で一定期間過ごした人が、母国に帰ってもしばらく自国に馴染めず、鬱になったり無気力になったりするらしい。まさにそんな状態だった。
もちろん時が経つにつれて生活するには困らなくなったし、チャレンジングな仕事にも恵まれて日々をそれなりに楽しみながら過ごしていたけど、自分の中に感じる孤独感や満たされなさは帰国から時間が経ってもなかなか払拭できず、出口すら見えなかった。
そんなときに友達のあたたかい言葉に触れ、いつも私が私でいることを喜びとして寄り添ってくれるやさしい気持ちに、いつしか私も、こんな気分に浸っている場合ではない!と奮い立った。
“Breathe & Recenter“
“あすちゃんはノルウェーで自分の中心に戻る術をたくさん身につけてきたと思う。“
鬱々としている場合ではない。行動せねば。
もっともっと、自由に、自分として生きる。心の赴くままに。
傷つくのも、がっかりするのも、悲しくなるのも、もう本当に嫌だった。疲れた。
そんな思いはこれ以上経験したくないと萎縮し、意図的に孤独に浸ろうとした。それもまた、自分に必要な時間だと、何度も何度も言い聞かせて。
でも、あるとき思い至った。
自分が生きている間しか感情を体験することはできない。だったらどんなグラデーションの感情も感じたほうが、私の人生は間違いなく味わい深いものになる。
どうなったってまずは生きてさえいればいいんだとすれば、生きているうちにあらゆる感情を感じ切るつもりでいればいい。思いっきり揺さぶられればいい。
そして、つまるところ、人は人との関係性を通じてしか成長できない。だったら人と関わり、あらゆる感情を感じ、自分を知っていく以外にやることはない。
傷ついたとしても、悲しくなったとしても、あらゆる感情を感じられるって豊かだし、それはそれで幸せなことじゃないか。
そう思えた瞬間から、私はさまざまな手段で人に会うようになった。
これまで繋がっていた人、紹介してもらった人、なんの繋がりもなかった新しい人。正直めんどくさいことも疲れることもなくはないが、それを含めて自分を表現する練習だと思うことにして。
人とコミュニケーションを取ることで、自分の解像度が上がる。
こんなことを言われるとうれしいんだ。こんなことされたら嫌なんだ。
自分は人に対してこうありたいんだ。
どんな人とどう繋がりたいのか。
あの人みたいに素敵になりたい!
言いたいことを言い続けて、相手がどう思うかより自分がどう感じるかを気にかけよう。
ある日、初めて会った方が私に尋ねてくれた。
「これからやりたいことはある?」
不思議と、あれこれ出てきた。やりたいと思うことを初めて会う人にスラスラしゃべっている自分に、話しながら心底驚いた。
お酒を飲んでいたし何を答えたか全部をはっきりとは覚えていないけど、確実に自分のやりたいこととして話している自分がいた。
なんだ、やりたいこといっぱいあるじゃん。
だったらもっと気の向くままに動いていけばいい。
自分を開いて行動していくと、動くことでいかに自分らしくいられるかを実感した。
どんな自分も受け入れる挑戦として目標がない自分も良しとしようと、しばらく敢えて目的や目標をつくらないようにしていたが、そんな自分はかえって受け入れ難かった。
何かやりたいことを見つけ出し、どんどん人と会って話をしているほうがずっとずっと自分らしかった。結局、私はそういう性質・性分だったのだ。
私のmellomlandingに少しずつ終わりが見えてきた。
”Stretch yourself a little bit.”
「いつもちょっとだけ背伸び、でも無理して転けないように…そうやっていたら、いつか背伸びの筋肉がついて、あなたの見たい景色が見えるようになるよって、ある人が教えてくれてね。」
外国の地で奮闘している友達は、彼女がもらった素敵な言葉を私にもプレゼントしてくれた。
新しい人と知り合うプロセスでは私のノルウェーでの経験を話すこともあり、ノルウェーにいたときに書き溜めたこのnoteを紹介する機会も増えた。
久しぶりに自分の書いたことを読み返してみると、すっかり忘れていたけど私はこんなことを考えていたのか…!とびっくりすることもたくさん。
同時に、あのころ感じていた感覚、思い、決意が鮮明によみがえり、確実に今の自分の在り方に響いていることを認識した。
やはり五感で最大限に感じ、考え、こうしたいと選んできた軌跡はそんなに簡単にはなくならない。私の芯にしっかり沁み込んでいる。そのことに心から安堵した。
間違いなく、その瞬間の自分にしか感じられない感覚がある。
10年後に自分が何を感じ考えていたかを振り返れたらいいだろうなと思って書き始めたこのブログ。自分の在り方に迷い狼狽えていた私は、10年といかず、たった2年前の自分に救われる思いがした。
正直なところ、ノルウェー時代の自分、本当によく考えていたなーと思う。そりゃ頻繁に眠れなくなっていたのも当然だった(笑)
今はあのころほど深い思考には入れない。
フルタイムの仕事に日々の生活、東京という情報量の多い、かつどこにいっても屋外では簡単に一人にはなれない環境の影響もある。
ノルウェーでは散歩に出ればすぐに誰もいない一人だけの空間をつくれ、自然の中で深く思考することも瞑想することもできた。まるで自分の庭かのようにそこらじゅうの森や湖、フィヨルドを勝手に自分だけのスポットにしていたし、一人でいて身の危険を感じることも一切なかった。
私にとって思考を深めていくのは、潜っていく感覚。
だから苦しい。水に潜っていくと酸素が足りなくなるのと一緒。
でも潜ったら潜っただけ、深みに到達する。
別に深く考えなくても生きてはいける。
それでも考え続けたい自分がいたってことだし、苦しくて心の底から抜け出したいと願っていても、自分がこもってしまった時間、悩んできた時間、すべてその時間があったから今がある。
その事実にようやく価値(自分の中での納得感、何にも変えがたい自分だけの経験、自分の蓄積)を感じられた。
そして私が日々受け取るあらゆる情報から思考を深めていったことは、私の根本の何かに繋がっていく。
時代のせいか、何かと“正しい”答えや結果を求められるし、手っ取り早く答えを欲してしまう自分もいる。
けど、時間をかけて熟成される経験から享受できる良さ、深み。そういうものがあると確信できたし、しかも自分を通じて生成されるものなんだと知った。
ノルウェーで深く深く思考に潜っていき、時間をかけて経験を言語化した自分に感謝した。
私にとってのmellomlandingに終わりを感じると同時に、ちょっとずつ、今までとは違った世界が見えてきた。
そうか、気づいてなかったけど、私はずっと背伸びをし続けていたんだ。
”まるで異世界転移、エアポケットのような不思議な空間に入り込んだみたいだったよね。”
ノルウェーにいたとき、アニメには疎い私にアニメ好きのノルウェー人が『異世界転移』という概念がアニメ界(漫画界?)で流行っていることを教えてくれた。
「トラックに突っ込むと、異世界転移してスライムになっちゃうの」
言語の違いのせいでなく言っている意味がわからなかったが(笑)、よくよく聞いてみると、コロナ禍真っ只中にノルウェーに移住した私はまさに、異世界転移したも同然だった。
当時は特別な事情がない限り海外への渡航がほぼ許されなかった時期。
2020年の1月に申請したビザが運良く3月上旬に下り、世界中どこにも飛ばなくなった飛行機の運航再開を待って2020年8月に出発。
当時の成田空港はいろんな手続きが変則的な上、電光掲示板は欠航の表示ばかり。本当に、ホントーに?私の乗る飛行機は飛ぶんだろうか…?
そもそも空港に人は少なく開いているお店も限られ、防護服なんかを着た人とすれ違った瞬間には自分が正気じゃない気がしてきた。こんなご時世に、なんで行ったことない土地に移住なんてしようとしてるんだろ。
ノルウェーはもともと私にとっての異世界だったが、コロナ禍では誰にとっても願っても行けない異世界になった。そこにただ福祉国家に住んでみたいという思いだけで、すっと入り込んでしまった。
行ったら行ったでいろんな葛藤はあったものの、たくさんの新しい出会いに恵まれ、本当に素晴らしい時間を過ごした。あのタイミングで行けて良かった。
異世界において私にあるのは、たった1年という時間。だから一呼吸ごとにここでの生活、自然、美しいもの、あらゆるすべてを自分の中に取り込もう!私はスポンジボブ(スポンジのように吸収できる存在という意味 笑)になる!
そんな気分で日々を過ごしてきた。
それまでの30年間を越える勢いで、赤ちゃんに負けないくらい日々世界を捉え直し、学びを吸収する生活。自分の中の常識をガラガラ崩し、どんどん書き換えていった。
”自信を持って。自信しか持たなくていい。”
そんな経験をしながら、間違いなく私は変わっていったし、変わりたかった。
だからノルウェーから帰国した時点で「新バージョンのわたし」はリリースされていた。
いわば紀元前わたし、ノルウェーという節目を経て、紀元後のわたし。そして生まれたバージョン2.0。
新バージョンの私が大きく変わった点は2つある。
1つ目は、自分の内に現われたポジティブな感覚を臆さずに表現するようになったこと。
もともとポジティブで些細なことですぐ楽しくなっちゃうご機嫌な私だけど、以前は割と心の中で思って終わっていた。
ーこの人のこういうところ、すごいな。素敵だな。かっこいいな。
今は、自分の周りにいる人も自分もどうせ生きているうちしか言葉を交わせないのなら、ポジティブな感情は相手を悪い気にはさせないし、表現すればいいと思うようになった。
記憶はすっかりなくなっていたが、これにはちゃんと私が変わるきっかけとなった体験があった。
学んだこと、こうしようと心に刻んだことを私は今、実行できているんだな。私の芯に、しっかり沁み込んでるんだな。そう思うと嬉しかった。
2つ目は、言いたいこと/言わなきゃいけないことを言うようになったこと。それによって、自分を守れるようになったこと。
移民を含めあらゆるマイノリティがいて、自分に必要なことをきちんと主張する個人主義の国に生きてみて、人がそれぞれ自分にとっての幸せを追求していける社会が福祉社会(福祉国家)であり、豊かな社会の一つの在り方なんじゃないかという考察を得た。
だからまずは自分を大切にできているか、自分の生きたいように生きているかに、より自覚的になった。
当たり前と言えば当たり前だが、自分を大切にすると適切に主張をすることで損をしなくなるし、あらゆるレベルの忖度に気づくようになる。
ー舐めんなふざけんな。
今は自尊心がやられそうになると心の中でそっと、でも全力で毒づく。心の中で思うだけで十分自分を守れる。そうして世界は私にやさしくなる。
ただ、新しいバージョンにはいつだってバグがつきもの。
帰国後の私は、バグ(これまでの自分と違う点)に目がいっては自信をなくし続けていた。変更点に違和感を感じて、自分が不具合を抱えているように感じていた。
ノルウェーに行く前から何人もの友達が私に「大丈夫。自信を持って」と言ってくれた。すごく嬉しかったし、ありがたかった。
けど、長い間自信なんかこれっぽっちも持てなかった。
それは私が自分のメジャーアップデートの真っ最中だったから。
かつての自分と違うという違和感はただの慣れなさであり不具合ではないけれど、バグのように感じているうちはなんとも心許ない気持ちになるものである。つまり自信が持てず不安になるのは、ちゃんとアップデートを試みている証でもあるのだろう。
歳を重ねるって、大小のアップデートを通じて自信や知恵や図太さを身につけていくことなのかもしれない。そう思うと、やっぱり歳を重ねるのは楽しい。
さて、みんなお待たせ!
これにて私のバージョンアップデートは、一旦完了!
新バージョンもどうぞよろしく。
自分の通過点を振り返って、現在地を記す
私が友人からもらった大切な言葉を起点に、自分の心の変遷を辿った。
悲しかったとき、寂しかったとき、これらの言葉がどれだけ沁みたことか。
自分がこもってしまった時間、孤独に感じていた時間があっても、すべてそれがあったから今があると思えているのも、何人もの友人が私の想いに耳を傾け、優しい気持ちと共に言葉を渡してくれたから。言葉のキャッチボールによって、私が自分を理解する助けとなった。
おそらく私は、自分に対して言葉を尽くしたかったんだと思う。なのに自分の内にある想いをうまく言語化できずモヤモヤしていた。
本当は、人と心を交わすコミュニケーションでつながりたい。けど自分の想いをうまく言葉にできないと人に会うこと自体がストレスだったし、周りが家族を持ち始めたりコロナ禍があったり私が移住したりしたタイミングで、心を交わせられる関係性がどんどん自分から遠のいてしまった気がしていた。それで孤独だと感じていた。
けど、自分にとって必要な関係性はいつだって探していけばいい。
そして遠のいてしまったと私が思っていた人たちも、みんなそれぞれの距離感で、いつだって味方でいてくれてることを私は知る必要があった。
やっとやっと、ここまできた。
この先同じように悩んでも孤独を感じても辛さを感じても、私は大丈夫だしちゃんと自分を救っていける。
いいことも悪いことも、いいときも悪いときも、滞留してしまうときも、そこに留まる理由がある。だからそれでいいんだ。
そういう強さを手にしたことを、ちゃんとここに記しておく。
街で悪趣味な青やピンクのイルミネーション、すごいスピードで走るかわいくないネズミの姿を目にするたび、自分が東京にいることを実感する。
ノルウェーで毎日トレッキングシューズを履いて靴を泥だらけにしながら山道や雪道を散策していた私は、今パンプスを履いて東京のビル街を人をよけながら歩く。
ある意味知らない人ばかりで独りでいられる、そんな人と近いような遠いような、混沌の街にいる自分も嫌いじゃない、むしろ好きだな。
そういえば15歳くらいの頃、漠然とキャリアウーマンに憧れていたんだった。いつか都会でバリバリ働く大人になるんだ!って。
歩きながら、かつてそんな想いがあったことをふと思い出し、なりたかった自分を叶えている自分を静かに祝福した。
たった数年のスパンで、知らない土地での生活とコロナ禍を経た東京での新しい生活を築けた自分、そうして自分を凌駕する経験ができた自分をようやく誇らしく思う。