ほしよの
「…ん」
ホットココアを片手に観測室に戻ってくれば、モニターに表示される観測画像に一本の光の線が横切っていた。
じっと見つめていれば次のデータに切り替わって、正常な星空が映し出される。
…飛行機か。
できればあんまり入ってほしくない。今観測しているデータはなかなか貴重なのだ。
今夜は空も晴れて、月もない星夜。絶好の観測機会だった。
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今夜の観測ターゲットは、最近見つかった、いわゆる「ハビタブル」な惑星の候補。「もしかしたらひょっとして、生物がいてもおかしくないかもしれない環境がある、かもしれない」惑星の一つだった。この惑星が発見されたときはさっそく大々的にネット記事がたくさん出ていて、苦笑いしながら目を通した。「ハビタブル」、ちょっと言葉の力が強すぎる。…まぁでも、研究者だって、本当のところは分からない。もしかしたら、という希望は心のどこかにはある。だから、今シーズン最初のこの惑星のトランジット観測はやっぱり貴重だし、今日の観測データが今後の解析に生きるのだったら、楽しみだ。
太陽系外惑星(太陽以外の星のまわりをまわる惑星)の光を観測することは、灯台の光のもとを飛ぶホタルの光を見るようなものだと比喩される。そんな小さくて暗い存在を調べる方法の一つがトランジット法だ。観測者と、系外惑星と、その惑星が回っている恒星(中心星)が一直線上に並ぶとき、惑星に隠される面積の分だけ、星が暗く見える。その暗くなり方を測定することで、惑星のサイズや軌道や大気の情報が分かる。
今日は露光時間を30秒に設定した。望遠鏡に接続されたカメラは、30秒間ずつシャッターを開けては閉め、そのたびに一枚ずつ画像が撮られる。タイムラプスのような感じだ。観測中のモニターには、その一枚一枚の写真が30秒ごとに自動更新で写し出されると共に、星の明るさを測定してグラフにした「ライトカーブ」も描かれる。それを時々眺めつつ、天気が変わったとか装置にトラブルが起きたとか、観測中におかしなことが起こらないか確認するのが観測者の主な役割だ。
たとえば木星のような大きな惑星は中心星に対して隠す面積が大きいから、トランジットの減光率も大きくなる。観測をしていると、推定されていた時刻に実際に星がぐんぐん暗くなっていくのが分かるので、なかなか楽しい。
対して今回の観測ターゲットは、トランジット中も明るさはわずか0.1%ほどしか暗くならない。観測精度ギリギリだ。観測中の即席なライトカーブでトランジットシグナルをはっきり確認できるかというと、微妙だった。というかもう、本当はトランジットは開始しているはずの時刻だから、十数分前から星は暗くなっているはずなのだ。パッと見ではライトカーブの誤差が勝って、減光は確認できなかった。こういうのは、微弱なシグナルを拾えるよう細心の注意を払って行う、データを取得したあとの解析が大事だ。
初めてこの望遠鏡でトランジットの観測をしたときはちょうどホットジュピターがターゲットで、どんどん暗くなっていくライトカーブに大はしゃぎして先輩に笑われたのを覚えている。サイエンステーマとしての面白さは一旦置いておいて、観測者としては、そういう観測の方が楽しい気がする。
大きなトラブルもなく、天気も安定している今夜。平坦なライトカーブ。はっきり言えば、今日の観測はとても退屈だった。
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スカイモニターを見ればオリオン座が空高く昇っていた。気づけば日付が変わっている。何気なくスマホを手に取り、企業アカウントからきていた未読のLINEメッセージを開いていると、トーク画面の背景に雪が降り積もっていることに気がついた。メリークリスマス。
天文現象は人類の年間行事なんて考慮してくれないから、クリスマスだって年末年始だって、観測があることは当然、ある。12月の観測シフトの日程調査が回ってきた時は、チーム一同お互いの動向を窺ってちょっとした心理戦みたいになった。しかし小さいお子さんのいる助教の吉岡さんがイブから年末まで◯をつけていたのを見て、家庭も恋人もない自分が適当な理由で×をつけるわけにはいかない気がした。まぁ、むしろいいかもしれない。クリスマスを一人星空の下で迎えるっていうのも、贅沢なことかもしれない。一度シフトが決まってみるとそんな気もした。
…とはいえ。うーん。
企業アカウントが上から順に並ぶLINEの画面に指を滑らせる。
星空の下でクリスマスを迎えるなんて言っていたけど、外の寒さを思うと腰が重くて、日暮れからずっと観測室に閉じこもっている。時々モニターを眺めて、時々コマンドを打って、時々論文を読んで、時々スマホをいじって、時々ココアを飲む。多分これは、贅沢な過ごし方ではあるのだ。でも、20代最後のクリスマスがこれか、と、思わなくもない。去年は一緒にクリスマスを過ごしたあの人が、今夜は誰と過ごしているのかなって、頭の片隅で、どうしてもどうしても、全く考えないというわけでは、ない。
***
「あれ」
またも、だ。
今日は観測画像にやたらと光の線が横切る。
光りながら移動する物体は、30秒の露光の中でピーッと光の線になって観測画像に映し出される。飛行機とか、人工衛星だ。まぁよくあることではあるので、最初は気にもとめていなかったけれど、それにしても。今日は随分多く横切っているような気がする。
ノートパソコンの右上に表示される「00:28」という時刻を見ながら、なんとなく観測チームのSlackを開いてみる。みんな寝ているだろうか。
『今日やたらと飛行機?人工衛星?が横切るような気がするんですけど、なんでなんでしょう…』
天文学者たちもそんなこと知る由がない。疑問の答えを求めているわけではなく、ただの呟きだった。そもそもクリスマスの深夜だ。返信が来ることも期待できない。
と思っていたのに、数秒後に表示された
Yoshioka is typing…..
の文字に驚いて、思わず息をつめて画面を見つめてしまう。そして数秒後、シュココッという音とともに表示された文字列。
『サンタが飛び回ってるんじゃないですか?』
ふふ。一人きりの観測室で、思わず声が漏れていた。
いつも真面目で寡黙で、淡々と仕事をこなし、観測や解析手法を知り尽くしたエキスパート。そんな吉岡さんのたまに見せるお茶目な一面がとても好きだった。
『ソリを黒塗りにしてできるだけ光を反射しないようにできないですかね』
にやけた顔で適当な返信を打っていると、チームのメンバーが吉岡さんのコメントに続々とスタンプをつけている。クリスマスツリー、サンタクロース、クラッカー。それぞれの場所でクリスマスを過ごしている人間たちのささやかなお祝いムードが楽しくて、先ほどまで感じていた憂鬱はいつの間にか消えていた。
ハッピークリスマス。上着を手に取る。
***
「…さむっ」
ドームの扉を開けると最初に広がる暗闇が好きだ。しばらく目を慣らすまでは、扉の前の階段を降りるのが怖い。でもそこで甘んじて懐中電灯を取り出してはいけない。暗闇を進むのだ。夜空の闇に目を凝らす。するとだんだん見える星の数が増えてくる。オリオンの弓の先までくっきりはっきり見えるようになる頃には、わずかな街明かりと星明かりで、夜道をスキップすることすらできる。
オリオン座の南のあたり、あそこの、あのへん。視線の先の、肉眼では見えない星が0.1%暗くなろうが、誰も気づかない。でもたしかにあそこにある星のまわりを、惑星が回っていて、ちょうど今、自分と星の間にその惑星が割り込んでいる。
良い子の眠る24時。
今この瞬間にも、たくさんの大人たちが、サンタクロース業務に邁進していることだろう。誰のサンタクロースにもなれなかった人たちも、たくさんいるだろう。今世界でどれだけの人が星を見上げているだろう。もしかしたらあの惑星にいるだれかも、こうして空を見上げているかもしれない。思考はどこまででも広がる。この星空のように。ああやっぱり、星を見ることが好きだ。
ドームがゴーッと低い音をたてて動く。
自分の目と望遠鏡が一緒になって今、あの星を見つめている。
この物語はフィクションです。
というわけで、今年もEinstein's Crossさんのアストロアドベントカレンダー企画に参加させていただきました。
毎日一本ずつ更新される、天文に関係する文章たち。ぜひ他の記事も読んでみてください。毎日がちょっぴり素敵になります。
去年の記事で「今後noteを活用していきます」みたいなことを言ったのに、それから一年、何も更新せず…。今後noteを活用していきます。きっと…。