信頼関係という脆さのなかで生きる
お金を払ってよそから"おこし"にきてもらったのに、現場の、なんならそこでずっと暮らし続ける人たちの信頼関係を壊していくってなんなんでしょうね。恐れでしかないですよ。
ごりごりのビジネス関係ではなく、信頼でつながっている地域の人たちとの関係性は活動していくうえで精神的な後押しにもなる。一方でとても脆いものでもある。
わたしはつらくなったときはいつも大好きな人たちの顔を思い浮かべるようにしている。「頑張ってるね」と言ってくれる人たちの顔を思い浮かべる。
それがあるから立ち上がり続けてこれたのに、、、でも人の関係性って一瞬で取り返しつかなくなることってありますよね。まあそこまでだった、と考えるのもひとつなんでしょうけど、でもさあ、そんな人間簡単に切り替えられないよねー。
ここで書いている話は、別に誰かとの関係性がそとの力によって崩された、というわけではなく、崩されかけた、という話。
そういうことが起こると、すべてを管理したくなる性格になる私。じゃあ全部管理すればいいじゃないの、ってそういうことじゃないことってあるじゃないですか。後輩に振るのがめんどくさいから、自分でやっちゃえーって言ってるのと同じで、そんなこと地域で繰り返してても地域に未来はない。私にも未来はない。いつかきっと「あれわたし何やってんだっけ?」ってなるわ。
この病んだときしかnote書きたくない病、どうにかしたいわー
公開できない下書きnoteたくさんあるわー
いやね、楽しいことも嬉しいこともたくさんだし、大好きな人たちもたっくさん。恵まれている。そう思えているからより残念なことや脅かすようなことがあると、警戒してしまうし、より重く考えてしまうのかも。で、言葉はつらつら出てくるものの、全く公開したい気持ちにならない。笑
なんだかあまりに衝動的な文章になって後で読んでへこむから。なんか今年はそんな1年だったなあ。
嬉しい・楽しい・大好きあるんだけど、心がすさんでる。。でもこれってもう一生なのかなー、何年前のあのとき、自分が何をしたかは思い出せても、どんな感情だったか、どんな浮き沈みがあったかは全然思い出せない、上書き保存状態。
だから今年1年はこうだったなーなんて思っても、もうまた忘れる。。まあ忘れたらいいのかも。忘れてしまうようなことだったってことなのかも。
今年も残りわずか。新しい年になろうが延長戦で続いているものがあって、心がそわそわしている状態は止まないけど、頑張ろう。