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猫のかぐや

   猫のかぐや

猫は昔、宇宙から来た。

 と、うちのおじいちゃんは言った。

 同居しているうちのおじいちゃんは、趣味で猫を観察している。七十になって暇をもてあまし、いつも寝ている老いたメスの三毛猫に夢中になってしまった。

 うちの猫は、「かぐや」といって、家族から大切にされている。

 そしておじいちゃんは、かぐやが月からやって来たと言って、ぜったいに譲らない。

 孫のわたしが、「宇宙から来たという根拠は、どこにあるの?」

 と聞くと、おじいちゃんはそっくり返って、

「見れば判る!」

 と言い切るのである。

 そこでわたしも、かぐやを観察した。

キレイに茶色と黒と白がわかれた十三歳の老猫で、ハッキリ言って、なんのヘンテツもない。

 からだも猫らしく、なめらかな肌触り。

 この間は、わたしがゴキブリに悲鳴を上げたら、かぐやが追いかけて捕まえてくれた。

 賢い猫なのである。

 その話をおじいちゃんにすると、

「賢いかどうかは、判らんぞ」

 脅すように、言うのである。

「どういうこと?」

 と、おじいちゃんに言うと、

「北風と太陽の話を知っとるか?」

 唐突に、話が飛んだ。わたしはとまどいながら、

「え、知ってるけど」

「イソップの有名な話だから、当然だろうな。北風と太陽は、地面を歩く旅人の衣服を、どっちが脱がせられるか賭けをした。北風は、冷たい風を吹き付けて、旅人の衣服を脱がそうとしたが、旅人は必死で衣服を抱きしめる。北風があきらめると、太陽がぽかぽか照りつけて、徐々に暑くしていき、旅人の衣服を脱がしていく」

「それと、かぐやと、どう関係があるのよ」

「太陽には気をつけろ、という話なんだ、あの話は」

 おじいちゃんは、大まじめに言った。

「あったかいからと気を許していたら、いつのまにか無防備になってしまう。うまく気持ちを操られてしまっているんだ」

 わたしは、思わず笑ってしまった。

「猫に、そこまでの知恵はないわよ!」

「愚か者め!」

 おじいちゃんは、ぴしゃりと言い返した。

「ここ数ヶ月、ずっとかぐやを観察し、研究した結果の結論なのだ! かぐやは、人間を操っておる」

 わたしは、ため息をついた。

おじいちゃんは、少々考えすぎなのではないだろうか。たしかに猫は、とても愛らしい。そのクリクリした目、愛嬌のある鳴き声、かといって犬のようにべったりくっついてくるわけでもない独立心、気ままなところも魅力的だ。

 しかし、人間を操っているのなら、野良猫なんて存在しないのではないだろうか。



 数日後、おじいちゃんが、うたた寝している猫を観察しているところを見つけたので、わたしはそこのところを質問してみた。

「ねえねえ、おじいちゃん。もし、猫が人間を操っているのなら、野良猫なんているわけないでしょう。居心地のいい家から追放されるなんて、猫にとっては不幸じゃないの? 子猫だったりしたら、カラスにも食べられちゃうって聞いたわよ」

「野良猫は、ああやって近所を練り歩き、人間どもを見張っておるのだ。反乱分子が出現しないようにな。昔の特高みたいなもんだ」

 これはまた、古い話ではないか。特高とは! 

「特高って、アレでしょ、戦争中に庶民を見張った人たちのことだよね」

「そうだ。いま、猫たちは団結して、人間を見張っておるのだ」

 ここまで来ると、ほとんど病気である。

「おじいちゃん、猫が好きだと思ってたけど、ほんとは嫌いなんでしょう。そんなヘンテコな考えをするなんて」

「ヘンテコとはなんだ。おまえは、猫に疑問を持ったことはないのか。西洋では、悪魔の使いだと言われていたのだぞ」

「へー」

 わたしは、わざとらしく感心してみせる。

「でもさ、ミサイルや銃弾が飛んでくるわけじゃないんだから、命に別状がないんだし、そんなに気にしなくったっていいんじゃないの?」

「気になる!」

 おじいちゃんは、地団駄を踏んだ。

「人類の歴史に、あいつらが介入していると思うと、やりきれなくなるんだ。人類が戦争で滅んだあと、猫が宇宙から侵入してきて、地球の支配者になるんじゃないかと思ってね」

「小説の読み過ぎだよ。猫は犬と違って、あまりケンカもしないし家を守ってくれるよ。中世で西洋にペストが流行ったのだって、猫を虐待したからバチがあたったんだよ」

「だがな、古代エジプト人は、猫でペルシャ人に滅ぼされたのだ」

 わたしは、思わずのけぞった。

「ええっ?! どういうこと!?」

 おじいちゃんは、とっておき情報を流すときの、あの得意そうな目で、

「ペルシャ人は、猫を抱えて進軍したのだ。古代エジプト人は、猫にさわれずに倒された」

「ほんとなのそれ!?」

「ほんとだとも。古代エジプト人にとって、猫は神さまだったのだ」

「悪魔と言ったり、神さまと言ったり、おじいちゃんむちゃくちゃだよ」

 笑い飛ばして、わたしはおじいちゃんのそばを離れた。



 数日後のことだった。

 かぐやの体調が、おかしいのである。

 食べ物を吐き、うめき声をあげ、熱もあるようだ。

 心配で、わたしもおちおち寝ていられなくなった。

 自分でも思う。

 操られてるのかなって。

 でも、人間が人間を奴隷にしているのとは違って、猫はとっても友好的に振る舞ってくれる。

 学校で見たアメリカの映画の奴隷制度のように、ムチで打ったり、酷暑のなかを働かせたりはしない。

 たしかにトイレの世話をするときはイヤだし、爪を切るときはひっかかれたりするので、用心が必要だ。

 だけど、ニャーニャー甘えてくれると、それだけでもう、癒やされてしまう。

 猫が人間を奴隷にしているって言う人もいるかもしれないけど、こういう奴隷なら大歓迎だ。

 それが人類の愚かさだとしても、脅されたりするよりマシではないか。

 ああ、でも……それにしても。

 このまま、苦しんでいるかぐやを、見ているだけしかないのだろうか。

 この、胸を引き裂かれるような思い。

 こんな思いは、初めてだった。

「かぐや、だいじょうぶ?」

 ぐったりしているかぐやを抱き上げて、なでてみる。

 体重が、軽くなっている。悪い兆しだ。

 筋肉だって、トシもあるのだろうけれど、やせ細っている。

 ツヤツヤしていた毛並みは、すっかりあちこち禿げてしまっていた。

「にゃん!」

 かぐやは、「どうってことないわ!」という態度で、わたしの手を払いのけて床に逃げていく。

「こら、かぐや! 意地を張ってないで、ちゃんと見せなさい」

 しかりつけても、かぐやはすいっと逃げていく。

 今まで、かぐやがどんなに大切か、知らなかった。

 あんなに美しかったかぐやが、病気でこんなにやつれてしまうなんて。

 見ているだけで、涙が出てきた。

 医者に診せようと思い、やっと捕まえて動物病院に連れて行った。

 ところが。

 医者にかぐやを診せても、首をひねるだけなのだ。

 コンビニでおじいちゃんと出くわしたので、事情を話した。

「そらみたことか」

 おじいちゃんは、鼻をぴくぴくさせている。

「かぐやを月に送り帰した方がいいのかな。でも、どうやって帰そうかなぁ」

 わたしは、おじいちゃんにそう言った。

「寿命が来たら、いつのまにかいなくなる。猫はそうやって故郷への帰途につくのさ」

「そっか」

 わたしは、空を見上げた。

 相談を済ませたわたしは、戻ってかぐやに向き直った。

「ご主人さま、おからだの調子を見ていただいた方がいいのではないでしょうか。別なお医者さまに行って、診察を受けてもらいましょう」

「にゃ?」

かぐやは、小首をかしげた。

 その隙に、それっとばかりに、籠を覆い被せた。

 かぐやは、ニャーニャー叫んで暴れたが、医者に行くんだよ、と何度も説明すると、おとなしくなった。

「やっぱり賢いね」

 だけど、やっぱり寿命だったのだろう。

 家でずっと寝ていたかぐやは、いつのまにかいなくなっていた。

わたしは、一晩泣き明かした。

「かぐやは、きっと月で元気に過ごしとるよ」

 おじいちゃんは、わたしの肩に手を置いた。

「かぐやに、また会えたらいいな」

 と、おじいちゃんに言った。

「会えるさ」

 おじいちゃんは、ほほえんだ。



 しばらくすると、かぐやそっくりの若い猫が、庭先に現れるようになった。

 おじいちゃんが、道端から拾ってきたというのだ。

「若返ったかぐやが、また宇宙からやってきた」

 そう言うとおじいちゃんは、その猫に「かぐや二世」と名付け、再び観察にいそしんでいる。

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