カプリチョーザのかぼちゃのタルト
私は今現在、46歳である。
私と同世代の方で、食に興味がある方ならご存じの方も多いだろう。
私が二十歳前後の時代、「カプリチョーザ」というイタリアンレストランがとても流行っていた。(今も健在である。)
食べ盛りのハタチ。
元々食べることが大好きだった私の食欲は大爆裂を起こしていた。
そんな私の大食漢な胃袋を満たすだけでなく、美味しい満足感も満たしてくれたのが「カプリチョーザ」である。
大皿に盛られたパスタやピザ。
どれもこれもハタチの私には輝いて見えた。
お気に入りの料理は〈カルツォーネ〉と〈ライスコロッケ〉
これらはカプリチョーザが流行らせてくれたと言っても過言ではないと思う。
私はカプリチョーザで初めてこれらの食べ物の存在を知って、初めて口にした。
カルツォーネは包み焼きピザ。
生地が袋状になっていて、中にピザの具材が入っている。
ナイフで切りながら食べる。
ライスコロッケは初めて食べた時、美味しさに感動した。
弟や友人、当時付き合っていた彼氏など、様々な人たちと、池袋にあるカプリチョーザへよく行った。
カプリチョーザはシェアしなければ楽しくない。
そもそも一皿の量が多い。普通の女子では食べきれない量だと思う。運動部の男子高校生が食べる量くらいあるのだ。私は大食漢なので、ペロッと食べられるが、そんな私でも一皿が限界である。
あれもこれも食べたい食いしん坊の私としては、一皿では満足できない。
なので、友人とごはんに行くとなった時はカプリチョーザを提案することが多かった。
そんなカプリチョーザファンの私が当時、ピザより、パスタより、ライスコロッケよりハマっていたのが、この「かぼちゃのタルト」である。
カプリチョーザ定番のデザート。南瓜だけど、秋だけではなく一年中食べることができる。
はじめて食べた時、この世にこんな美味しいケーキがあるのかと思った。まだ子供だった私は、ケーキと言えばショートケーキやチョコレートケーキしか知らなかった。そんな私にとって、とても小洒落たケーキに見えた。
かぼちゃのペーストが贅沢にたっぷりとタルトの上に乗っていて、その上に生クリームがデコレーションしている。かぼちゃの舌触りと甘み、タルト生地のさっくり感が何とも言えないハーモニーを奏でている。そこに、程よい量の生クリームが乳脂肪分独特の香りで後追いしてきて、満足感をさらに高めてくれるのだ。
すっかりハマってしまった私は、このケーキを食べるために食事をしにカプリチョーザに通う感じになってしまった。
それから25年以上の月日がたち、カプリチョーザ以外の美味しいピザ屋さんやパスタ屋さんを知り、大人になった私はカプリチョーザからもう20年くらいは遠ざかっていた。
けれど、つい最近、引っ越しした家の近所にカプリチョーザがあることを知った。コロナで自粛期間中に毎日のように利用していたウーバーイーツで知ったのである。
胸の中に何とも言えない懐かしさがこみあげてきて、ネットでカプリチョーザのホームページを見て見た。
そうしたら、メニューにカルツォーネもライスコロッケも健在していた。
嬉しくなった私はデザートも確認してみると・・・あった。
あるではないか。あの恋焦がれた「かぼちゃのタルト」が!昔と変わらぬ姿で健在している。
久しぶりに食べてみたいなぁと思う。が、しかし、すっかり中年になった私は、ハタチのころの胃袋の大きさは持ち合わせていない。お一人様で食事をした後にかぼちゃのタルトを一つ完食する自信がない。
このご時世、テイクアウトできるのではないかと、20ウン年ぶりにカプリチョーザへ行ってみた。
そしたら・・・なんと・・・デザートだけはテイクアウト不可だったのだ。
諦めきれなかった私は、ケーキだけイートインしていっても良いかと店員さんに聞いたら、快くOKしてくれた。とても感じの良い店員さんである。
ケーキだけでは申し訳ないので、ホットティーも一緒に頼んで、夕ご飯代わりにティータイムをすることにした。
20年ぶりにご対面したかぼちゃのタルトは、全く変わっていない風貌だった。それがなんだか嬉しく思えた。
フォークで下のタルト生地まで切り取って、口に運んだ。
そうそう、この感じ。
懐かしさに胸がこみ上げた。
走馬灯のように当時、交流のあった人々の顏が浮かんでは消えていった。当時抱いていた感覚が呼び起こされる不思議な感じ。そんな余韻に浸りながら、二口目、三口目と食べ進めていった。
そしたら・・・
口の中が強烈な甘さで支配されていることに気が付いた。
あれ?こんなに強烈に甘かったけ?
かぼちゃのタルトはきっと何も変わっていないのだ。変わったのは私の味覚。すっかり中年になった私の味覚が変化したのだ。
加齢と共に甘すぎるものが苦手になった、市販のお菓子やチョコレート、ジュースは甘すぎて食べられない。
20年前は大好きだったお菓子やチョコレートやジュース。今となっては苦手なものである。
そうやって人はどんどん変化していく。様々な体験を経てどんどん変わっていくのだ。
過去の記憶は何だか自分のものではないような感覚になった。
甘い思い出は苦味として今に残っている。
そんな中でも、変わらない味が嬉しい反面、切なさを帯びている気がした。
この先、私がかぼちゃのタルトを食べることはもうないかもしれない。