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少しずつ競馬を愛する人に成っていく

「もしも、競走馬が1度だけ言葉を理解してくれるのであれば
どの馬にどんな言葉をかけますか?」

それは先日、Youtubeで行っている配信の質問を募集した時、飛び込んできた1通の質問に書かれていた。

私はその質問を読んで、なんて素敵な問いかけなんだろうと思うと同時に、胸が締め付けられるような感覚も得た。

馬と人との関わりは紀元前から。言わば馬たちを人の経済圏に巻き込んでから数千年が過ぎているといっても過言ではない。競馬場においても国内で言えば1866年に開設された根岸競馬場から150年以上の時を経て、馬たちを人の経済の中に閉じ込め続けている。

そんな人の生み出した経済の中で、過剰に感動したり悲しんだりすることは何か違うようにも思う。だが同時にこれほどまでに大きな経済となり、サラブレッドという種の存続に関わるこれらの産業を経済と一括りにするのもまた違うように思う。人が居て、馬が居て、そしてまた人が居る。これはもう、人と馬とが密接に関わり続けた故の”Life cycle”のようにも思う。


馬たちに何か言葉を選ぶ時、そんなことへの後悔や、許しを請うような意味も込められているかも知れない。ただもうそれを許すも何も、責や咎を問うなら一体誰の責任かと言うほどに人と馬は命を関わり合い過ぎてきたようにも思う。

人の世に関わらなければ本当は、この広大な土地を駆け巡る自由な未来もあったかもしれない。到底人の言葉では言い表せないような、神様から貰った素敵な名前を持っていたかもしれない。そういう自由を我々が奪っていったのかも知れない。

それでも、私はもし一度だけ言葉を理解してもらえるのなら、あの日私を競馬の世界へと誘ってくれたファステストシチーに「ありがとう」という言葉をきっと伝えると思う。

それが正解かどうかはわからない。
けれど競馬を愛する人なら、きっとその言葉を伝えると思うから。

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