競馬を愛する人になりたい
「Askaさんは何のために写真を撮ってる?」
────2023年4月15日(土)
中山グランドジャンプをイロゴトシが勝ったその日の帰り道。私は写真家のKAJIさんとカフェで話をしていた。
以前から時間があればお茶でも、と話はしていたのだが中々タイミングが合わず、ちょうどその日競馬場から夜の予定まで時間が空いたので、そこからはスムーズに予定を決め競馬場からカフェへと移動していた。
「何のために写真を撮るか。」
私はカメラを持ち始めた時から、この問題に対してすぐ答えを持っていた。
「競馬をもっと好きになるために写真を撮ってます。」
ご存知かも知れないが、私の競馬は「ウマ娘」からだ。今はもう情報を追うくらいで、ウマ娘のコンテンツ自体には左程触れてはいない。
だがウマ娘に出会った2021年、あの日のダービーを見て今日ここまでに至っている。
今年、横山武史騎手がエフフォーリアの置き土産を取り戻しに行くあのダービーという舞台。2021年に初めて訪れた私は、そのスタンドに立ち肌で理解はできていた。競馬そのものを好きになってしまったことに。
ただ、具体的に競馬を好きになるとはどういうことなのか、言葉にできてはいなかったがそれもすぐに解決することになる。
というのも、ウマ娘に出てくる過去の名馬を調べども調べども、競馬を長年愛する「競馬おじさん」たちとはどうにも同じ熱量になれないのだ。ここはオタクの性分というもの。厄介なことに私は自分の目で身体で感じたものにしか心が動かされないのである。
さらに言えば、歴史を掻い摘んで知った風に語ることに烏滸がましさすら感じるのである。それはリスペクトであり、自分が話者になった時の引き出しが過去の知識ではなく自分の感じた温度から生まれる言葉であって欲しいからだった。
そうなれば話は早い。今の競馬を好きになればいい。私はそうして競馬を好きになるために、競馬場へと足を運ぶようになった。
「Askaさん、どこで撮るの?」
────2022年8月28日
夏の新潟、朱鷺ステークスに出馬するリフレイムをどこから撮るか、doruさんから話を振られた。
私は正直ドキッとした。doruさんと言えば20年以上競馬場に通い写真を撮って来たレジェンド。そんな人から「どこで撮るのか」と聞かれたもんだから、一瞬言葉に詰まってしまった。
ただ、どこで撮りたいかは実は決まっていた。その夏は新潟ゴール前の直線写真を何度も何度も撮っていたので、違うアングルを求めて4コーナーの方まで行って見ようと思っていたのだ。
それに、リフレイムのことだから最後の直線をゴール前で撮ると、新潟のラチが被ってまともに撮れないかもしれない。だから斜行する前の直線に入るシーンを撮りたかった。
「4コーナーの方で撮るっていうのは……どうですかね?」
私は大学受験の高配点問題に直面したかのように、答えを合わせるようにそう答えた。この私の考え方は、そもそもカメラマンの先輩の考え方に当てはまるだろうかという心境だった。
「あー……4コーナー?」
私は緊張が表情に出ない様に無表情を装っていた。
「行っちゃう~?」
そんなノリで決まっちゃった私とdoruさんは、真夏の新潟の日差しを浴びながら4コーナーへと二人歩いていく。しかし新潟2歳Sを控えた10Rの4コーナーは見事に誰もいない。doruさんと二人きり静かに私はリフレイムを待つことになった。
レースの結果は残念ながら、リフレイムが18頭中の9着と勝つことはできなかったのだが、それでも想定通り4コーナーから直線に向かって伸びてくるリフレイムの雄姿を撮影することが出来た。
フレーミングする最中、ミラーレスの微かなシャッター音が隣から聞こえてくる。ずっと昔から競馬を見てきた人と、競馬を見始めて1年ちょっとの若造が一緒に写真を撮っている。
その後ようやく気が付いた。最初から先輩や後輩といった垣根などなく、ただ純粋に私と競馬を楽しもうとしてくれていたという事に。
競馬を愛するあるべき姿に、また一歩近づけた気がした。
────2023年4月30日
私は興奮していた。
天皇賞(春)の舞台。新しくなった京都競馬場の4コーナーに佇む新緑の壁を前に、これまで溜めてきた妄想という妄想が溢れそうになっていた。
きっかけはしんやさんのInstagram。
私は常々、京都競馬場の4コーナーで撮影したしんやさんの写真を見ては、心が震わされるような感情を抱いていた。
西日の差し込む京都競馬場の4コーナーの、いかに壮麗なことか。
以前、しんやさんと飲む機会があった時に、あなたの写真から、特にこの4コーナーの写真から、競馬への敬意のようなものを感じる、と伝えたことがあった。
新緑の深淵から出ずる馬たちの逞しい姿を見ては、京都の4コーナーに何か答えがあるのではないかといつも思っていた。
そんな京都競馬場。私は4コーナーに腰を据えた瞬間、今日はここから動かないと決めた。実はパドックもウィナもゴール前も一度もこの日行ってないのである。
そんな私に、京都競馬場はすぐに答えをくれた。
関東の競馬場に慣れ親しんだアマチュアカメラマンなら尚更感じる、スタンドと4コーナーの高低差にまず1つの答えがあった。
東京競馬場や中山競馬場であれば見下ろすことになるアングルを、馬たちが正面から駆けてくる。不思議な光景だが、その違和感にすぐ気が付いた私や仲間たちは「ワッ!」と盛り上がる。
そしてもう一つは4コーナーの背景になる新緑の木々が、力強い背景を生み出している。これは他の人が撮った写真からも感じていたし、京都を訪れる前から気が付いていた”つもり”だったが、実際この目で見てみるとまた数段上の迫力があることに気が付く。
そしてようやく気が付く。京都の4コーナーにあった答えは"未知との遭遇"だった。
ただただ私にまだまだ経験が足りない。
ただただ私にはまだ想像が足りない。
未知とはいつも想像を超えてやってくる。
私は訪れたことも、見たこともない景色にずっと憧れを抱いていた。そしてその憧れに裏切られることもなく、京都競馬場は美しくも厳しい競馬の世界を教えてくれたのだった。
それは、今まで見てきた景色や固定概念を疑うきっかけにもなった。小手先の手法でどこか勝手に決めつけた「正解」に妥協して、写真を撮ってしまってはいないだろうかと心に問いかけるきっかけとなったのだった。
私はまたひとつ、競馬の深みを知ることができた。
────「競馬をもっと好きになるために写真を撮ってます。」
この翌日にはソールオリエンスという陽の光によって、晴れることを知らない曇天の下で私はそう答えた。私が尊敬する先輩たちとの経験や、写真を通じてつながったコミュニティや、そこに至るまでの私のバックグラウンドを伝えた。
「じゃぁたぶん、Askaさんは写真を使って人とコミュニケーションが取りたいんだね。」
KAJIさんの芯を食う言葉に私は一瞬怯んだが、あぁその通りだと思った。
「そうです。それが……競馬を愛する人たちとの時間が、競馬を好きになることに繋がると思っています。」
言葉の意味を理解して私はそう答えた。
「良いと思う。むしろその方がいい。」
KAJIさんは強く、僕の目を見て頷いた。
カフェの混雑の中、熱を帯びた確かな言葉はスッと私の胸に入り込んでいった。二人の手つかずのコーヒーが佇む中、私は競馬を好きになりたいと、声に出すことでその熱を確かめていた。
あと幾度、この競馬場の地を駆ける優駿たちを見送れば、尊敬する競馬を愛する人たちに成れるだろうか。
今はまだその答えを知らない。
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