2024.6.1
追いかける相手がいない東京競馬場というのは、意外と広いもので。いや、そんなの最初から解っていたはずで。
それでも、東京競馬場ってこんなに広かったんだな、と。
誰かの罪を咎められるほど私は清い人生を送ってきていない。どちらかと言えば、私は自分を許すために誰かを許したいと思っているのだろうと思う。
だからと言って、その事を肯定することは出来ない。
責任はしっかり問われるべきだろう。
ただ、今回の件に関して言えば、やっぱり「この日がきたなぁ」という気持ちの方が強い。以前から発言などに少し視野にかけている部分があるなと感じていた。
下記のYJSFでの中京でのインタビューなんかがそうだ。
私が人生で一番道を踏み外した時は19歳の頃。それはもう沢山の人に迷惑をかけたし、取り返しのつかないことをしたなぁと今でも反省する時がある。
私はそんな19歳の自分と、バイハリウッドに乗る当時19歳の彼の姿を見て、同じ歳の頃そんなに頑張れていただろうかと思った。それは純粋に尊敬の気持ちだった。
だがあの日、バイハリウッドはこの世を去った。誰のせいかという話では無い。馬場に出てしまえば1つの責任を負う騎手として、これから心にどんなものを背負って騎手を続けるんだろう、と思って見ていたのを今でもハッキリと思い出せる。
ただやはり、君はまだ年相応の青年だった。
当時の僕と何も変わらないか、同じくらいの。
一体君は何を想い、日々手綱を握っているのだろう。
ところで私の好きな「ハチミツとクローバー」という漫画にこんなセリフがある。
私はこのセリフに幾度と心を救われてきた。
願わくば過ちを犯したことをしっかりと認め、至誠の心で腐らずに頑張って欲しい。
だがこれは貴方への、誰かへの、私からの教示でもなんでもない。私はそのような立場にはない。ただ私は自戒のようにこの言葉を繰り返すし、多くの人が人生においてこうした経験を積み重ねて生きていくものだと思う。
だからこそ、何が感じるものがあれば良いと思う。それを教示と言わずして、と思われるかもしれないが、そもそもここは私の独り言なのだ。
ただ届いて欲しいという願いはあるが。
最後に、あの日と同じ言葉をもう一度繰り返し使わせて貰おうと思う。
君は時に、競馬とは関係のないところで問題が起きてしまうかも知れない。何かに躓いてしまう日が来るかもしれない。その時心無い言葉が飛び交うかもしれない。
そんな人生の節目が来た時、ただただ君を応援する人でありたいと思った。私が人生の節目で転んだ時、立ち上がるために多くの人にお世話になったように、君を応援する人がここにいるぞと、1つの目印になりたい。
君がいつか転ぶ日が来るなんてのは最初から百も承知だ。善し悪しの話ではない。多くの人は膝の傷が付き物だ。
そして転んだ者だけが得るこの寂しさも、孤独も、後悔も、尽いる日など来ない。だから立ち止まることは許さない。腐るな。絶対にそれは許さない。
まだまだ行こう。待っているから。
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