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25歳


25歳になりました。考えていること、感じていることを書き落としていきます。

24歳は恥を知る歳でした。無知であることの恥。人の気持ちをわかっていると思い込むことの恥。恩に背を向けて退廃を気取り、滑稽を晒すことの恥。
家族とも友人とも衝突を重ね、生業に迷い、ある時は何かを見出せていると信じ、ある時はすべて失ったと嘯いて考えることから逃げようとする。

世界がままならぬ状態に陥りながらも、ただそのままでは安穏と過ごしてきた子供であることをごまかせずにいて、自分はまじめにやってきたという自覚だけを笠に着て、責任を免れていると思い込んでいた。
それは事態を受け止めるほど心が立ち直っていなかった所為でもあるけれども、心が立ち直っていないという事実に甘え続けた側面すら否めない。

いつもならここまで書いたところで心が折れている。然し今、僕は平然とこの文章を書いてのけた。
なぜならば、これは受け止めないと先に進めないことだからなのだ。これまで、僕は少しでも自分を否定しようものなら、たちまち無限の自責(と僕が思い込むことで贖罪と変えていた何か)に陥っていた。

あるがまま自分の恥を見るしかない。罪の意識が何かしらあるならありのまま償っていくしかないし、その過程を察知して起こらないようにするしかない。
自らそのまま見るとは、楽になる過程のようでもっとも生々しい羞恥との闘争である。

意味をめぐる葛藤は今日も、今も続いている。市場経済の行き止まりはますます明確であるように思えるし、期限付きの「社会」の残滓に生かされている。
目を閉じ、耳を塞ぐことが正しく思えてしまうような心地を覚える歳に僕もなった。

だがここで、ありのまま存在する自分に開き直り、つぶさな反省と粛々とした人生作業に戻ってみれば、反対におかしいものもおかしいと言える気がする。
資本主義経済での3年間のフィールドワークは、泥を落として明確な疑問を胸に残した。

僕たちの社会は、大枠を変えないまま存在することができるだろうか。資源量と明確な人間の頭数があるのではないか。
市場における闘争を志すことだけが、より豊かに生きる資格を与えられる道でいいんだろうか。それは生き方の差別ではないのか。
なぜ仕事以外を志しては生きるための手段を与えられないということがまかり通っているのか。人間が見出した趣味とはその程度のものなのか。

問いたい。問い続けたい。まだ問わねばならない。
人生を齢100として、僕は今の3倍生きることになる。将来の社会を構想する者としての責任が、1個体である僕にもあると思う。

いつの日か社会の次の形を構想しなければならないのではないか、この疑問だけは学徒であった時から僕のことを貫いている。
環境を変え、見方を変えたことも多くあった。ここまでの累積が、少しは次の知を生むための下地になっていると願いたい。

誰もが自分を自分のまま見つめられる環境が整い、そのリテラシーが涵養されることを祈って、25歳を生きていきます。

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