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買い物袋を手首に下げながら考えること

今死んでもいいか?と聞かれると、いいわけない。仕事を頑張っていて目標があるから、当分死ねない。とはいえ明日生きているか?と聞かれると、そうは断言できない。特に2021年はそうだった。コロナ流行によるワクチン接種の時そう思った。ワクチンの副反応についてツイッターで検索しては、後遺症とか突然死とか、色々恐ろしいツイートを見かけた。だから、明日生きているかなんて分からないよなあ、とよく考える。

買い置きをする癖がある。何かを使い切ってから、それが足りないまま過ごすのが許せないのだ。なくても生きてく上で困らないはずなのに、「今度あれ買わなきゃ」というタスクがずっと頭の中に付き纏うのが不快なのだ。だから、買い置きをする。日用品は使用中のものの他に、必ず1つストックがある。

食事はコンビニで済ませる私にとって、食材の買い置きは必要ない。買い置きする場所といえばドラッグストアだ。洗剤、消臭剤、ゴミ袋、トイレットペーパー、カイロ。たくさんの日用品が詰まった重い袋を手首に下げ歩く。そういう時よく「なんで毎回こんなに荷物が重くなるんだろう」と考える。家に着いたら買ってきたものをしまう。パンパンになった収納スペースを眺めて「買い置きしすぎだな」と考える。そういう時ふと気付くのだ。「私明日も生きる気満々じゃん」と。重い袋を手首に下げながら、パンパンになった収納スペースを眺めながら、自分に呆れ笑ってしまった。

人生設計してないし貯金もしてない自分は、生きる欲求が薄い冷たい人間だと思っていた。が、そうではなった。不快になるのを避けるためしていたはずの買い置きは、大前提として生きる欲求があった。それに気づいて以来、買い置きするたび「私、生きたいんだねぇ」と知らなかった自分の一面に対し語りかけている。自分の中にちゃんと人間らしい感情があったことに気づけて嬉しいのだ。

生きなきゃなあ、買い置きした日用品たくさんあるから。買い置きやめたいな、ごちゃごちゃした収納は見栄えがよくないから。とか言いつつ今後もしちゃうんだろうな、買い置き。

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