β-137 あかのどうめい
楽曲を軸にさまざま書いていくシリーズ、第9回は東京事変の「赤の同盟」です。
8月に最もよく聴いた楽曲でした。
歌詞も曲調も1回ですべてを把握するにはたいへんに難しく、仮に聴き込んでたとしても、相応しい解を見つけることができない。
そんな1曲です。
だからこそ、繰り返して聴取してしまう、その行為自体が術中に嵌らせているのは承知の上で。
まず初めに、「何が起きても結構、どんな騒ぎでもてんで乗じません」から始まっていくところから、私もそういう者になりたい、だけど、大なり小なり諸々今後巻き込まれていくことを知っているからこそ、そうすることが難しい。
幕開けが「全人類手を取り合えるように」という理想郷みたいな状況を見せられると、この後の歌詞やメロディでどういう展開をしていくだろうな・・・と。
魑魅魍魎とまではいかないにしても、ただならぬ気配を感じざるを得ない・・・。
その次の「嗾けられても狼狽えられてもヒントも答えもてんで生じません」、ここで冒頭の「てんで~ません」が対になっていることを把握し、さらに「アーメン」と「ガッデム」が対になってることも理解する。
「何が起きても」の「何」の具体性が少しだけ表面化したんだなという思いと、「ガッデム」という詞を行使してきたなって思いが交錯した。
「ガッデム」とは、蝶野正洋選手がよく使用する語句で著名になっていますが、その真意を理解しないまま、時は過ぎ去っていったので、改めて調べると、「God(神様)+Damn(呪う)」という"神様がそれを許すはずがない"という意があるそうで、所謂、罵倒する際に使われる表現です。
つまり、神に祈りを捧げる「アーメン」の次に、神がそれを赦すわけないでしょという「ガッデム」が加わることで「神」という存在が顕在化しているような気がするようになっていきました。
そうした陳腐な打算は一回排するように言われるので、このあと言われてしまうんだけどね。
完全なる支配下に置かれているなと再認識しながら。
警戒心などからくる緊張状態を嫉妬なども処分して解いてほしい、弱点なんて断固正視しないもんね。
「断固正視」とつかう歌詞はなかなか見ません、林檎嬢だからこそ、為せる技。
弱点を可視化させないからこそ、自分自身を見失ってしまう。
それこそが「バイアス決め込んで競って不毛です」という様相を示している。
そのバイアスは正常性に基づくものか、それとも異なるのか。
真偽は定かではない。
「大嫌いの定義」と「大好きの方程式」からくるのは、《嫌いは定義》、《好きは方程式》であること。
好きも嫌いも、客観性は完全に排除した主観一直線の主義に過ぎない。
主観で決めた嫌疑なものに定義を積み重ね、反対に好意的に捉えたものには方程式を策定する、それが人類に共通して言える事案であることを回顧してしまいましたね。。
だからこそ、言語を経由しない原初の衝動を呼び覚まして思い出したい、何故なら、積み重ねてしまうと、主観が暴発して、自身を喪失してしまうリスクがあるから。
愛を宿したら、信じて疑うを昼夜往復して、関係に支障をきたすまで、突っ走ってしまう、そこにブレーキは生じるはずもなく、制御不能に陥ってしまう・・・。
それにしても、どうして「恋」も「愛」も、喪失してしまう恐怖への追従導くように仕向けられるのだろう、どうして冷静沈着になってしまうのだろう。
そんな暴動を起こす心情を早う捕まえてくれって思うのは私も気持ちとしては同意したくもなってくる、てめえの意見なんざ知らねえよって感じなんだろうけどね。
という1番とサビに続いて、2番へと。
弄びの手法に関しては様々な戦術がある、でも狡猾な戦略ではなく、エチケットを設けてほしい。
無礼な戦法での駆け引きは、NGですよという趣旨の詞がきた後に、ジーザス。
ここでのジーザスは文脈からすると「助けてください」という具合なんだろうか。
弄びの際に行われる悍ましきあの一切合切を葬って、出会い直してよという展開からの、「お互いの相乗効果美点として動かす凹凸」。
これを考察するには、なかなかの時間を要するし、その挙句いろんな意味合いがあると思うので、諸々考慮した結果「そういうこともあり得るし、その線もありそうだな」という考えに達した。
逃亡と回避が必須ではあるけれど、そのくらいに深い意を持ったフレーズであることには違いない。
現にメロディも、このフレーズが来た後に、約5秒ほど音が止まる。
「永遠の不在証明」もそうだったんだけど、昨今は無音空間を構築させる傾向にあるのかなと感じてみたり。
そして、その刹那の静寂のあとに、奏でられる伊澤一葉氏のピアノ。
このソロパートが十数秒ほど続く。
そして、「大嫌いの原理も大好きの法則さえもまったく逆なんて却って貴重です」といった、1番のサビと対となっている。
「定義」と「原理」、「方程式」と「法則」という片や文系的な要素と、片や理系的な要素で対比させたのは、きっとなにかしらの意図があるかもしれないけれど、そこまで深い意味があるかは定かではない。
兎にも角にも、2番では相互に見解の相違はあれど、両者の情動を分かち合って覚えていたいという結論に着地したようですが。
そうなってしまった経緯としては、最後の大サビで書かれていますかね、その一部分だけでも。
本音と建前を一緒くたにして、それに基づく脅威にさらされながら、私たちは生きていることを知ったら、人生に保証なんてものはない。
そう考えると、万事を恋い慕いたいし、欲したくもなる。
脅威から少しでも身を守るために。
それは、必要火急。
不要不急が叫ばれる中でも、捕まえていつも変わっていきたい。
そこで、歌詞もメロディもエンドとなる。
ちょっと余韻が欲しくなる終わり方でした。
個人としては、「アーメン」「ガッデム」「ジーザス」のあとのメロが心地よく、なんどでも聴いていたくなりました。
みなさんは、どうでしょうか?
それでは、ここいらで。
あした・の・β<ベータ>でした。
Alianza de sangleって、スペイン語なんだよね、英語ではなく。
MVはこちらから。
では、また。