β-50 ぺんぎんずめもりー
50回目の記念すべき回に取り上げる話題がこれってなんだかなあと思いながら、書いていくとします。
1980年代、サントリーのCANビールのCMに起用されたのは、パピプペンギンズというかわいらしいペンギンたち。
そのペンギンたちが歌ったり、ボクシングしていたり、カップルどうしで寄り添ってたりしていたりしながら、所ジョージさんが最後にビールの名を呼ぶシリーズが35年くらい前にあってね。
もちろん、この時代もCMにはBGMやCMソングがつきもの。
このCMソングに起用されたのは、松田聖子さん。
いろいろあったなかでも、「SWEET MEMORIES」は、ここから巣立って有名な一曲へと成長していきましたなあ…遠い記憶。
ビールの味は置いといて、CMそのものはたいへん話題を呼んだらしく、パピプペンギンズを題材に映画を制作する運びとなりました。
佐藤浩市さんや鶴ひろみさんを筆頭にナレーションを担当した所ジョージさんなどが声優を務め、"ユーミン"の旦那さんである松任谷正隆さんが音楽を手がけるほか、名だたる各方面のアニメーターを通じて描かれた作品、それが「ペンギンズメモリー 幸福物語」で1985年に公開されました。
いま見たい!って思ってもVHSは絶版で手に入りにくい状況。実はちょろちょろと動画サイトに上がってるのを見るけど、円盤出たら買うよというくらいに自身にとっては思い出の深い作品。
とはいっても、見終わったら「なんだかねえ」という事なかれ主義の背景が見え隠れてしまうので、この当時からなんらかの思惑が組み込まれているなあという作品でもあり…それでも時折振り返ってしまうのはかわいすぎるペンギン達のほのぼのしい風景を描いたのかなと思ったら…
冒頭から、どんより暗くて、題名らしからぬ音と映像が繰り出されているという…
1980年代は時流からすると、ベトナム戦争の時期。
だからといって、ペンギン達に演じさせてしまうのか…という驚きと怖さ、いったいどんなものを食べて、見て、想像したら、こんな作品になってしまうのかを教えてほしいくらい。
ミリタリーに詳しい方々からすると、武器や戦場のさまざまなひとの心情、場所の再現度を含めてけっこう緻密に描かれているそうだけど、最初に出てくるペンギンが武装して乱射してるんだ?ってなってしまう…。
なお、この最初に出てきた方は救助ヘリのヘリからジャングルへ落下し、もうひとりの兵士も撃たれた主人公を助けようとして、自身も流れ弾に当たり動けなくなってそのまま…この兵士は昨夜に続いて2日連続で当たってるんだよなあと、ともあれそんなヘビーな展開から始まる。
だいたい、Twitterなどで話題になったのはこんなとこまで。
でも、私はここから先がこの「ペンギンズメモリー」の真髄なのかなとは思う。
主人公が出征した地に帰ってきたら、出迎えた方々からは英雄だと讃えられるなど、本人が戦場などで感じたことと、本人の育った故郷で一般市民として暮らしてきた方々のそれぞれの思惑や反応があまりにも乖離していた。
報道でしか情報を仕入れていない方々と実際に部隊で最前線にいた方々とでは、見方や感じ方などは当然違ってくる、そのことや戦時の辛い経験を含めて、主人公はストレスを抱えてしまい、だんだんと暮らしにくくなって、家を出てしまう…。
実際にベトナム戦争の帰還兵のなかでもおんなじような症状があったそうなので、1980年代の様相が垣間見えてしまう。
スロットで大当たりしても幸福にはならず、夜な夜な入った「俺に勝ったら…」みたいな場所でチャレンジャーとして挑んで、こっぴどくやられて…曲がりなりにも元兵士なのでここを突けばKOできるってところで、とどめをさせず。
夜行バスに揺られ、着いた先で綺麗な歌声を放ちながら、子どもたちと戯れている女性と出逢う、その出逢い方は主人公のほうへ子どもたちのサッカーボールが飛んでしまって…という形だったかな。
それはさておき、主人公はその都市の図書館で司書として働き、そして、与えられた部屋で過ごす生活が始まっていく。
ランドール・ジェームスの詩集が確か好きなんだっけ、そしてさっきの女性もランドール・ジェームスの詩集を求め、図書館に行き、再会、そして次なる展開へ駒を進める。
女性は、湖畔のレストランで歌を唄いながら、訪れたお客さんたちを魅了していたことを招待されて知った主人公。
主人公はその女性と、なんども話し、デートを重ねていくうちにだんだん気が合ってくる。
もちろん、こんな本流とはべつに、その綺麗で可憐な声は、巨大都市のプロデューサーの目に留まり、メジャーデビューを企てられ、そしてその都市に引っ越していく流れになったり、おなじく女性を好きになったドクターと小競り合いしたり…というのもあり。
そのさなかで、主人公はケガしてしまったカナリアさんを拾う。
治療を施して、完治したら自由にするつもりだったが、カナリアさんはまた主人公のもとに戻ってきてしまう。。
以降、カナリアさんと一緒に暮らすこととなる…でも、きっと親切丁寧だったから、戻ってきたんだろうなあと。
私からしてもほんとに、そのカナリアさんがかわいくってね…!
だから、あんなことしたやつは絶対に許す気になんてなれない。
ほんとにやさしい主人公だから、恋人に対しても歌姫として大都市でがんばってほしいと別れを申し出ちゃったんだろうなあ。
そこから、すれちがい。
でも、本格的に大都市に向かおうとした女性に待ち受けていたのは、湖畔のレストランのオーナーが実は女性のママだったってこと、ママは歌手で活躍してたんだけど、売れなくなって幸せというものが歪んでしまった、女性もおんなじになる系譜しかみえないと感じたのか、主人公といっしょに暮らしてたほうがいいと諭す。
それを盗み聞きしてた音楽プロデューサーの子分、すぐさま報告され、拿捕してまでも引き留めようと企てる。
いかにもステレオタイプでわかりやすい"悪"という感じ。
そのころ、女性はよりを戻すべく、主人公の家に向かい、互いの想いを伝え、ひとつになったところで現れてしまった「あいつら」、あのさあ、いちばん来ちゃいけないときになにしてんのさあ。
半ば強引に女性を拉致され、そして軽くあしらわれ、カナリアさんを子分のその手で…という行為から、無感動に戦後、生きてきた主人公の脳裏に許せない想いと当時の生々しい悲惨なできごとがフラッシュバックして…
愛するひとが本人の意思に反してさらわれ、奪われようとしているさなかに思い出され、起こした行為は状況的に酌量はあっても、公平な立場に立つと赦されるものではない。
でも、そのままさらわれてもなお、やることをしないほうが後悔した行為でもあったとは思うかな、オーバーペースではあったのはまちがいないし、あれはやりすぎ、でも緩めたらこてんぱんにされるのは、浮浪してた時の思い出がしっかりと残ってるからだろうね。
勤めてたところも、すみかも辞めて、離れて、新しい町へと繰り出そうとした主人公、分岐点に差し掛かり、どっちにいくか迷ったところで、一台の車が停車する。
そこに乗っていたのはあの…
というところで終わる作品。
細かい描写はまだまだ覚えてるけど、ノーカットになるととんでもなく長くなる。
音楽プロデューサーとその取り巻きはどうなったのだろう、故郷のひとたちや、ママはどうしてるんだろう?という疑問はまだ残ってるけど、そこはご想像にお任せというところかな。
見た目とのギャップに惑わされるのはいけないし、最初で切ってもいけない、とは言え、あんまりいい感じはしないかな、でもなんだかまた見てしまうそんな作品。
だけど、最後の「ボーイの季節」は、とっても好きです。
また期間は空いてもまた時が来たら、きっと思い返すんだろうなと振り返るあした・の・β<ベータ>でした。
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