哲学よりも心に響く言葉:「フランス人から学ぶ我慢しない生き方」についてと、「幸福論」が読めなかったあの時の自分へ
私はもともと読書をしない人間です。
ですが、先日コンテンツクリエイターのクララ・ブランさんの著書を読了いたしました。
活字に不慣れなのに、1日半で、さくさくと!
その日、私は持病の経過観察のため、病院のベンチで呼ばれるのを待っていました。病院の待ち時間は長く、私は“意図して”カバンに入れていた本に感謝しつつ、ページを次々とめくりました。そして、翌日、出勤の時に電車内で最後の数ページを読み切ったのです。
私にとって読書の時間はあえて作らないといけないです。
大好きなクララさんが著書を出したのに、Amazonで注文してから1年くらいは1ページもめくっていなかったほど…。
(ごめんなさい。ほかにもいっぱいそういう本、ある。)
読書だったり、趣味ができるのは、ある意味メンタルのバロメーターになる。そして憧れの好きな人の言葉のほうが哲学より身になる。今回、そんな経験についてつづります。
1,メンタル調整、うまれた余白
時間があるとしても、いつも通りスマホを眺めてるだけの日だったかも。
でも、私が1年越しにクララさんの本を読めた理由。それは職場環境が変わったことでのメンタルの変化。そして余白の時間が作れたから、タイミングがあったんだと思います
私は今の会社に7年務めており、2年目から責任者に就かせていただいていました。ですが、あまりにも多い業務と責任でつぶれてしまいました。それが原因で病気が発症したのではないかと考えるほどです。
かねてから「役職を降りたい。そうでなければ辞職したい。」と申し出ていたのですが、人事の関係ですぐにはかないませんでした。
当時の上司は家で仕事をする人で、他のみんなもそうしてると聞かされてました。なので私も当たり前のように仕事を持ち帰っていました。
本人が可能であれば勤務時間外に仕事をすることはありと、個人的には思います。ですが、当時の私には合わないことでした。楽しく感じられれば続けられていたかもしれないですけど、楽しくはありませんでした。
体調も悪かったし、もっと趣味ややりたいことがたくさんあったのに、ずっと仕事のことばかり考えていたからです。
その期間はプライベートでもなにも楽しくありませんでした。
なんだか毎日疲弊しきっていました。
ある日、提出していた申し出が通り、変化が訪れました。
役職を降り、そして部署を異動しました。
現在の上司と同僚は、極力無駄を避け、業務に積極的ですが効率を重視します。みんな定時で帰りますし、私も帰ります。
大好きなメインの業務に集中して取り組めるようになったこと。これが好転する要因のひとつでもありました。
フリーの日にネガティブになることもなくなりました。趣味・本当にやりたかった読書や勉強…これらに取り組む「余白」がうまれるようになったんです。
休みの日は、充電期間として無理しすぎないことを意識しました。
足をぶらぶらさせて空を眺めるように、なにしようかな?ってわくわくしているときもあります。
もしくは、柔らかな布団につつまれて子猫のように1日中寝ているときもあります。
どちらにしろ、自分が元気になっていくことが感じられました。
充実して過ごせるよう、思いつくことはなんでもしました。
半身浴。朝5時に間接照明でヨガとストレッチ。
夜はお風呂であったまった体をマッサージ。
フルーツとヨーグルトとナッツで、ビタミンたっぷりのヘルシー朝ごはん。
サーロインステーキを買ってきてじっくり焼き上げるとか。
チキンと夏野菜とハーブソルトで味付けしたら、オーブンで焼いてディナーにするとか。
人通りの少ない時間帯、自分のペースでゆったり歩いたり。
あてもなく歩いて見つけたパン屋さんでクリームパンを買って帰った。
ずっと気になってたお店にも行って、映画もアニメもたくさん観た。
カレンダーに1か月分のスケジューリングを書きこんだ。
とても久しぶりに、スキンケアとメイクに1時間かけてみたり。
早起きができるようになって、2か月間ほぼ毎日朝ごはんを作って食べてる!自分を褒めてあげたい!
でもこれ、じつは全部、クララさんをはじめとした大好きなインスタグラマーさん達の素敵なライフスタイルをマネたもの。
そのうち、「本って読んだほうがいいよな」と思い始めて、クララさんの本をカバンに忍ばせました。クララさんのYoutubeやインスタは毎日おっかけてたので、心のどこかで「本読まないと」と思ってたんです。
読書はできるだけするべきものだと常々思います。
クララさんの本だってもっと早く読了すべきでした。そしたら、もっと早く考えを改めて行動できていたかも。
2,我慢しない生き方を知る最高のタイミング
面白くなければ本は最後まで読めません。
そう、クララさんの本はとても面白いんです!
それはクララさんの生き方が楽しくて面白いのとイコールです。
上に書いたように私がやってみたかったこと、クララさんはもう色々と実行していました。
もちろん私なんかよりかなり上級者。その辺はお上手。お仕事もバリバリなのに、運動の習慣やYoutubeの動画も作ってアップしてるんだから!
でも幸せに感じることを忘れず、大好きなフルーツとサラダで体を気遣ったりすることが上手!
だから、私はわくわくしっぱなしで、どんどん本を読み進めてしまったんです。
例えば、朝のルーティン。窓を開けて換気をして、大好きで気分の上がる音楽をかける。ルームフレグランスをまいて、ご機嫌な1日のオープニングを仕立てたり。
生活が変わったばかりの私は、クララさんのライフスタイルがよけいにクリアに頭のなかでイメージできて、読んでて楽しくてしょうがなかったです。そうそう、そうだよね!わかる!って。
意外な過去や、おちゃめなところ。でも芯があるところ。とても好き。さらに好きになってしまうんです。
マネしたいことがたくさん載っている。まるで楽しいことをたくさん教えてくれる教科書みたい!
服は、どういう自分でいたいのかを考えながら選ぶとか。
好きなことはやるけど「やらなきゃ」という義務を感じるならやめちゃう、とか。自分のポリシーに反しないとか。
やらなきゃいけないこともたくさんある!大人だから。
でも、そのあと抜くとこは抜く。その力を抜いた自分に対してして罪悪感がないことも重要。
クララさんがフランス人だからこそ魅力的に感じるのかもしれない。フランス人じゃなくとも…「我慢しない生き方」は、その時の私には必要なことだったし、私がこのタイミングで本を開くことになったのは最高に運命的だったと思います。
3,「幸福論」が読めなかった自分といまはちがうのか
若いころというと、漠然と「本を読むことがかっこいい」と感じるくらいでした。
いまは違います。本に対して価値を感じます。知識を得られるからです。
ふさわしいレベルと好き嫌いはあるから、選択は必要だけど、かっこいいから読むんじゃなくて、面白いから読みます。
10代のうちに有名文豪の作品は網羅せよと学校の先生に言われました。啓発本でも見た言葉でした。
でも小説はあまり面白いと感じるものがなくて。浅田次郎とか銀河鉄道の夜とか好きな作品にも出会えたんだけど、小説も少し読んでみたあと、私は直接人生に関わることならばと「幸福論」を手にしました。
でも読めませんでした。そもそも読書が好きじゃなかったんじゃないかな。
そして、20代になってからも読もうと思いました。
考え方と行動によって気が変えられるという考えが閃いて、幸福論にもっと掘り下げて書いてないかなと。
でも、また読めませんでした。
改めて私にはレベルが高すぎましたし、想像していたよりもエッセイや聖書のようなものでした。
私は当時知らなかったけど「幸福論」はいろんな著者がそれについて記していて、そして必ずしも論文調に書かれてはいませんでした。
すぐに実践できるような簡単な方法やワードがシンプルに載っているもののほうがその時の私には必要なようでした。結局、もとめるものは仏法の考え方のほうが近い気がして、そちらに触れて完結しました。
「幸福論」は今読んだとしても私の心に響くのか分かりません。
いまと何が違うか?根本的には結局なにも違いがないと思います。
でも変わってないわけではありません。
なにが大切でなにを要らないとするか。そこは確実に10代のころとは自分の考えが変わっています。
そして、これをきっかけに私はほかの女性達の生き方について本で学んでいますし、楽しく読書ができているので、きっともっと好きになれます。
今までの人生のどの時と比べても、余白がある現在が、私には一番合った生き方です。
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