お兄さんが活躍した?中学生時代
自分が言ってるお兄さんは実在しないし触ることは出来ない。だけどお兄さんはずっと一緒にいた。お兄さんは自分が母に殴られて痛くて泣いた時優しく抱きしめてくれたような気がした。「大丈夫だぞ」といいながら優しく頭を撫でてくれたような感じだった。
その距離がだんだん近くなって、お兄さんは自分の代わりに母にやり返す、暴言を吐くようになった。クラスメイトの男の子にも。
自分の口で。お兄さんは行動する。今までいじめられてきた自分を、守って庇ってくれる、お兄さんは自分を守る為に自分の代わりに出てくるようになった。
突然出てきて女の子とは思えないほどの力で、弟や男の子を殴ったり蹴ったりした。お兄さんは言葉も力も強かった。どこでそんな汚い言葉を覚えてきたの!と祖母や母に怒られてもお兄さんは、うるせーなBBA!とブチ切れていた。自分だったらごめんなさいと謝ってたんだろうなぁ。
新しいお兄さん
中学生になっていじめていたクラスメイトの半数が別の中学に行って倍の人数がクラスメイトになったマンモス校。
自分のことを知っている子もいたので1年生の時から何となく浮いている存在だった。学級委員の子が気を使うほど。初担任だった女の先生が泣きながらお兄さんにブチ切れた時もあった。虐待されてる、いじめられてる。担任に伝えたが綺麗事ばかりで解決しないとお兄さんがブチ切れて授業中にいなくなったら、学校中探してた。
国語の男の先生も嫌いだった。よく分からない持論を展開して授業をぐちゃぐちゃにしてたし、何より登校中に自転車で追い掛け回してきた。ムキムキのガタイのいい体型に似合わない細い小さい自転車に乗ってて笑顔で自分の名前を叫びながら追い掛け回してきた。恐怖でしかない。
相談室に入り浸り、授業をサボるようになった。[実際は相談室で自習してたけど]お兄さんのおかげで自分は中1にして学校中の1、2を争う問題児となった。
学年で問題になったんだろう。中2の時は学校でこれまた1、2を争う程怖いと言われていた女の体育教師が担任になった。
この時相談室の先生も変わって冷酷おばさんな人が来たので、仕方なく教室で過ごすようになっていた。
やっぱり体育教師って熱血なんだなって思った。というかめんどくさいなと。朝の会、帰りの会は長いし、事ある毎に目標だの道徳心を説いてくる。真面目にやらないととにかくめんどくさい。だからいい子にしていた。
その いい子 も 自分が というよりは 他の誰か がしてる様だった。
この時気づいた。もう一人いる。自分とお兄さんではない、もう一人。お兄さんが言ってきた。ずっと一緒にいたよ、気づかなかっただけ。
いい子を演じる、なんでもハイハイと返事をして媚を売るようなそんな人が。
お兄さんがその人の事を双子の弟だと言った。お兄さんがそういったのだからそうなんだろう。
そのお兄さんはこの担任を酷く嫌っていた。もう1人のお兄さんも嫌っていたけど。
自分が虐待されてることを担任に1体1で相談できるのに、その人は、まぁハイそうですね、とか、そうなんですよねぇとかそれくらいの生返事。
お兄さんが落ち着いたことでもう1人のお兄さんが出てきて3人で1日過ごして終わるみたいな感じで、学校1.2の問題児は担任教師とそのお兄さんのおかげで1年ではあるが落ち着いたのであった。
いじめといういじめはなくなってきていたし、母の事も話したので呼び出され言及され児相に行ったので虐待も落ち着いてきていた。
中3になり、担任が変わるとお兄さんがまたブイブイ言わせた。相談室の先生が変わり優しいおばちゃん先生になると、また入り浸りになった。でも相談室で友達ができた。1人は幼稚園一緒、小学校別、中学で再開した女の子。幼稚園の時に自分がよく泣く子だったので、なんて声掛けたらいいかと柱の裏で悩んでいたらしい。中学3年間別のクラスだったが、中1の時に相談室で知り合い[相手は知っていたけど]仲良くなった。メンヘラ気質でリスカしまくる子だった。毎回リスカする度に保健室連れてってたなぁ。
このリスカっ子は今はメンヘラを卒業。看護師として働いていて、この間会った時に実家のリフォームをして付き合ってる彼と結婚すると目標を教えてくれた。頑張れ友よ。
もう1人は自分に腐女子を教えてくれたある意味人生を変えた女の子だ。音ゲーも教えてくれたし萌えとは何かを二次創作とは何かを教えてくれた子だ。最近は会ってないし話もしていないが元気だろうか。毎日通勤お勤めご苦労様です。
話を戻すが、中3の時の担任は眼鏡をかけた初老の男の先生だった。まぁ、この先生もお兄さんがブチ切れさせて机をぶん投げられたよね。当たらなかったけど。
俺の話を聞けよ!!と言われたなぁ。聞いてるけど聞いてないんだよ、聞こえてないが正しいかな。お兄さん頭に血が上ってると言葉頭に入ってこないから。
そして受験生だ。相談室に入り浸り、勉強が苦手だった自分達は受験生特有の受験勉強は苦痛でしかなかった。
この時の自分の最低点数は数学で8点だ。学校に行くこと自体が苦痛でもあったけど家よりはマシだったから仕方なく行ってた。給食食べに来たレベルのやばさなので、勉強を教える先生は苦労しただろうな。
でも母に高校には行けと言われていたので、県内で下から数えた方が早い偏差値の学校を受験した。メンヘラっ子と同じ学校が良かったけど、倍率高かったからやめろと言われたし制服もピンクのリボンだったからやめた。
[馬鹿なのに制服にこだわってた]
無事高校生になれるのか、次の記事でお話しますね