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小学生時代から高校生までの話

こんにちは、ぼっさたろうです。
今回は小学生の頃の話を書きたいと思います。
閲覧少し注意です

ピカピカの小学生になる

真っ赤なランドセル、黄色い通学帽。自分は小学生になった。相変わらず母からは殴られ叩かれていたが、勉強で挽回してやる!って思った。この時やっとおねしょしなくなった。たまにしていたが。おねしょしては怒鳴られ叩かれていたが。
首を絞められたこともあった。2回。限界がきた母に「死ね!死ね!」と言われながらベッドの上で。弟は後ろでにっこり笑っていた。何されてるか分からなかったんだろうな。あの時の母の顔は目を閉じてベッドで寝ると思い出す。ベッドで寝ると思い出すから、今も布団で寝てる。

自分は意見や考えを自発的に発言をする方だったと思う。というか、素直すぎる。嫌いなものは嫌い!って言うしやらない。人だろうが物だろうが嫌なものは1度嫌になると拭えなくてとにかく嫌った。
逆にぼっさ嫌い!と言われれば、あぁ、この子は自分のこと嫌いなんだな、と落ち込むこともあった。
さらにこの時また問題が発生した。発音が変というか言えないのだ。さ行とかしゃしゅしょとかは行とか。音読の時に言えなかったのか聞こえづらかったのか分からないが、放課後別の小学校に発音とかを練習?やり方を教えてくれる先生がいて2年生ぐらいまで通った。
口角の筋肉を動かしたりひたすらさ行を言うみたいなことをしていた。
この時はお友達も出来てそれなりに楽しかった。小学生になれたことで素敵なお姉ちゃんになれた気がした。
隣の席の男の子に国語の教科書を引っ張られ大好きなクジラの挿絵がボロボロにされた時大泣きしたのは覚えてる。

早すぎる?人生の転機

小学3年生になってから自分がおかしくなった。
ずっと一緒にいたお兄さんの存在がより近くなったというより、大きくなったような。
お兄さんが母や祖母に対抗するようになった。自分はその光景を朧気に見ていた。早すぎる反抗期か。
プールで髪を帽子にしまうのがめんどくさいから髪を切ろうと提案したのはお兄さんだった。自分もそう思っていたから母にそう言って腰まで伸ばしていた髪を切った。そしたら、とんでもないくせっ毛。もう爆発頭で上にもさぁって。
元来自分も面倒くさがりだしドライヤーで乾かすっていうのもやらなかったから寝癖当たり前ブラシでとかすのもめんどくさいで、ケアをしなかった。
そしたら勿論クラスメイトの男の子たちは揶揄い、いじめをするようになった。女の子たちも無視をするようになった。仲の良かった子達も。全く友達がいなくなったわけではなかったが、寂しい日々を送ってた。
そんな時会ったのが転校生の女の子だった。その子は自分がいじめられていてもいじめることもせず無視もせず一緒に遊んでくれた。初めて親友と呼べる人ができた。
親友の家で漫画、ゲームを知った。今まで漫画もゲームもバカになるからと母にも祖母にも買ってもらったことは無かったし見たことも触ったことも無かった。
人生初初めて触ったのはカービィの64だった。
ケンケンパ?のミニゲームでさえ手こずってたのを今でも覚えてる。
放課後とか土日とかその子の家にとにかく遊びに行って一緒にゲームしたり漫画読んだりした。その子が「漫画家になりたい」と言って大学ノートに漫画を書き出した。真似っ子な自分はその子の真似をして漫画を書き出した。今思えばそれがあったから、真面目に絵を描くきっかけになったんだと思う。
初めて描いたのはオリジナルの擬人うさぎの女の子の巫女が世界平和を唱えながら旅をする話だ。まぁ、勿論起承転結もなく、いきなりおわり!でパッと終わったりしてまともに読めたものじゃないが、ノート1冊分[30ページくらい]のプチ長編をかけたのは小学生にしてはすごいと思う。色んな漫画の模写をして独学で絵を学んだ。
この時から家庭ではこっそり漫画を買うも捨てられるを繰り返した。ゲームの貸し借りとかはしなかった。[捨てられる可能性を感じていた]
クラスでいじめられていると担任に言ったら道徳か放課後でいじめはダメだと話をされたが、子供はそんなこと言ってもいじめる子はいじめるので止まらない。
この時いじめを止めさせたかったのかなんだか知らないが、自分の作文が県で発行される冊子に載って自分の拙い酷い文章をクラスメイトの前で担任に音読され号泣されたので、二度と先生からの作品についての呼び出しには応じないと決めた。
ちなみに弟の話。ブラコンだな。

自分は女の子なのか?

小学5年生になって親友と別クラスになって教室ではバイ菌!バイ菌!と言われとにかくいじめられた。
3年生の時はギャーギャー泣いていたのに、この時はもうお兄さんが代わりにブチ切れてやり返していた。
いじめと親からの虐待のストレスで食べまくりドッチボールの的としては完璧になり、休み時間に1対15[クラスメイトの男子]とかさせられた。
お兄さんが食べることもあった。弟の残した分も。
お兄さんがクラスメイトの男の子相手に喧嘩して、男の子が自分の母親にチクり家まで親子で来て責め立ててきたこともあった。[勿論男の子は自分がいじめていることは言わなかった]正直この男の子に対しては一生恨んでる。このあと祖母に正座2時間の刑と母に夕飯抜きをされ、ランドセルと教科書を玄関から外に投げられ拾っている間に鍵を閉められ閉め出されたからだ。
この時お兄さんの中と自分の中で何かがぶっ壊れた。
人なんか信用しちゃいけないしして裏切られるなら最初から相手しなきゃいい。
母と祖母に対してクソババアと言ったり弟に向かって癇癪を起こしながら物を投げたり不良の先輩[中学生]と絡んだりした。自分もお兄さんもめちゃくちゃ短気になった。
そんなこんなで、学校で月経について女の子だけ集めて女の先生が話す時間があった。
正直驚いたし自分もこうなる、と聞いて、股から血が出て激痛でそれが1週間続く??赤ちゃんを産むために??は??意味わからん。女の子ってだけでこんな思いすんの?というかなんで自分女の子なの?というか、女の子なの?なんで?誰が決めたの?女の子だって。混乱し先生に声掛けてなんでそんな血が出ることになるのか、自分はそうなりたくない、女の子嫌だと言った。
先生は、あなたは女の子。女の子に課せられた事だから月経が嫌だでは止まらない。胸も膨らんできていて、女性になるんだよ、と言った。
吹っ飛ばしてやりたかった。その日から自分の胸が大きくなるのが嫌で嫌でハサミで傷つけたりガムテープを巻いたりした。そんな自分の気持ちとは裏腹に胸は大きくなり、この時すでにCカップになった。母が学校に呼び出されて、先生がブラジャーをしろと注意したぐらいだった。スポブラ楽だったのになぁ。つけたくもない痛い窮屈なワイヤーの入ったブラを着けて行くのが嫌で嫌でたまらなかったし、お兄さんは着け方覚える気もないし嫌だと言って着けないで学校に行く日もあった。
さらにこの時から自分は女の子が好きなんだなって感じていた。多分男の子のクラスメイトにいじめられすぎて男そのものが嫌だって思っていたからなのかもしれないが、可愛いな、綺麗だなと感じる女の子を見ると好きという感情が溢れるようになった。
この時はまだ自分はおかしくて、女の子なのに女の子好きって気持ち悪いことなんだろなとも思っていたし、じゃあ自分は男の子なのかな、いやでも、あいつらとは一緒になりたくないって葛藤めちゃくちゃしてた。
お兄さんが、じゃなくて自分が好きになったのは幼稚園生の時は男の子だったが、この時好きだったのは2歳下の女の子だった。早熟かもしれない。
小学6年生で生理が来た。お腹が痛いとは思っていた。トイレで股から血が出ていたのが嫌だった。ちゃんとどうするのか教わったはずなのに忘れてしまい母も祖母も教えてくれなかったので、トイレットペーパーを丸めて股に突っ込んだ。でもズボンは汚れるわ、血の着いたトイレットペーパーが廊下に落ちるわで先生に速攻バレて注意され保健室に連れていかれた。
この事件は高校生まで続く。お兄さんの時は特にどうしたらいいか分からずこのまま放置。毎回先生に呼び出されて指導されるの繰り返し。人間めんどくさいとしか、思ってなかった。
とにかく自分が嫌だと思ったことは全力で拒否る生活で、苦手な給食のおかずが出てきた時は1口食べるまで残されていたが、齧って口にくわえてトイレでペッてしたり予防接種は熱があるだの嫌だので暴れて先生に追いかけられ逃げていたし、プールも大嫌いで潜るだけで泳がない[泳げない]問題児だった。

問題児は大きく成長していくのだった。

次回は中学生から高校生までの話を書きたいと思います。

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