愛する人の娯楽になりたい。
安楽死に関する記事を読んだ。
「安楽死を日本で行うとしたらどのように運用したらいいのか」という部分を読んで、疑問に思うことがあった。
それは、「何かしらの疾患を抱えてないと安楽死は認められないのか」ということだ。
疾患を抱えてないと、楽に死ぬ選択をしてはいけないのだろうか。
そもそも人間は、人間になりたいと強く望んで誕生したわけではない。自分の意思とは無関係に生み出された命を、いつ終わらせたいと願ってもいいじゃないか。
死ぬ選択はもっと自由でもいいのではないだろうか。
そんなことを、いつも心の支えになってくれる友達に話した。
彼女は、
今は痛い思いしながらしか死ねないし
それから逃げるために生きて
でも、その方式があるから
人の力が湧き出て、希望を作って
娯楽を作り楽しみを見つけながら生きてきたんだろうな〜
と言った。あぁそうか、なるほどな。と、考えすぎてごちゃごちゃになった頭がすっきり整理整頓されていくような感じがした。
"なんとなく生きているだけ"ではない彼女のことも
なんで死ねないんだと項垂れるだけで終わらずに、希望や娯楽を作った人間のことも
娯楽がなければ生きていけない人間のことも
愛おしくてたまらなくなった。
私は、そんな人間たちが生きていくための娯楽になりたい。
娯楽としてなら生きていけるような気がした。