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#10 その試合は誰のもの?

「8人制サッカー」は多くのプレーヤーが試合に出場できるようにするために、ピッチを大人のサイズの約半分にし、自由にいつでも交代できるようにしています。JFAは、サッカーをしているすべてのプレーヤーが試合に出場する機会を得て、試合を通して楽しみ、成長する機会を持って欲しいと願っています。
練習しているプレーヤー全員が試合に出る。試合を通して練習で身につけた技術や戦術を試してみる。試合の中で見つけた課題を仲間と練習してみる。このことが何よりプレーヤー自身の成長につながると考えています。
試合を通して、サッカーを楽しみ、また、サッカーを通して規則や規律を学び、仲間を大切にする心を養うことができると信じています。プレーする選手たちを、指導者・審判員・サポーターが一体となって、励まし、支える
ことで、サッカーを通して「フェアプレー精神」や「リスペクトの心」を培っていきたいと思っています。                   (公財)日本サッカー協会 技術委員会・審判委員会

上記はJFAの8人制サッカー競技規則の冒頭に掲載されている、“8人制サッカー導入の考え方と競技規則”である。

上記の考え方がどれだけ浸透しているだろう。

毎週末の試合にどれだけの子が充実感と達成感を持って帰路についているのだろうか。

先週、私の住む地区で行われている、6年生の大会の県大会出場を決める試合があった。息子のチームの6年生は見事出場を決めたとの連絡が入った。(今年は我が家は各学年に一人置かれている役員を担っているので、その連絡事項の共有のための媒体に代表からコメントが入った)

去年も同じ現象がおきていた。

6年生○○大会県大会出場!おめでとう!と指導者や保護者も喜ぶ傍ら、出場機会が殆どない6年生の選手が何名かいる実態に対しては誰も何も触れられない。

「試合に出してあげることができなくて、悪かったな。」と申し訳なさそうに子どもを慰める指導者の姿もあったという。

皆で一生懸命練習して勝ち取った勝利です。(たとえ試合に出られなくても、と目に見えないかっこ書きを感じずにはいられない)

そしてまた、今年も同じことが起きている。

うちの息子と同じ学年の6年生に兄がいる家庭の保護者さん。

家も近所でお付き合いもあり、良好な関係ではあるが、なかなか我が家が話すようなこと(少年スポーツ全員出れない問題・練習時間長すぎ問題・ポジション固定化問題など)に対しては、共感を得るまでには至っていない。

今回も、きっと私が期待するような応えはかえってこないと思いつつ、

「この間の試合って、6年生ってみんな出れたんすか?」

と聞いてみた。答えは、NO。そして、その状況はある程度理解もされている様子。

わかってはいる。

自分の子が出れていないわけでもない。

息子の学年があからさまに出れない子がいるわけでもない。

6年生の試合を目のあたりにしたわけでもない。

しかし、こんなに残念な気持ちになるのはなぜだろう。

それは、やはり試合を楽しむことが出来ていない子どもたちを思うと胸が痛むからだ。

誰のための試合だろう。

県大会出場の横断幕を掲げて、新規入団者を増やすため?

レギュラー陣のレベルアップのため?

わからなくなったときに立ち返りたいのが、冒頭のサッカー協会の競技規則である。

JFAは、サッカーをしているすべてのプレーヤーが試合に出場する機会を得て、試合を通して楽しみ、成長する機会を持って欲しいと願っています。
練習しているプレーヤー全員が試合に出る。試合を通して練習で身につけた技術や戦術を試してみる。試合の中で見つけた課題を仲間と練習してみる。このことが何よりプレーヤー自身の成長につながると考えています。

公式戦だろうと、練習試合であろうと試合を楽しみたい気持ちはみんな同じなはず。

勝利という目標が、様々なスポーツ現場で目的化されてしまっている。

去年私が全く同じ問題に直面した際に、とてもしっかり言語化して説明してくれていたアイスホッケー選手の記事も良かったら読んでみて欲しい。

「試合に出れていない選手の気持ちを背負う」とか、「ベンチでもチームのためにできることがある」といった感情は、試合に出るための競争を通して学べばいいことで、そもそもその競争をする必要がない子どもたちに背負わせる感情じゃない。こういった感情を抱かせることは、試合に出れない子どもたちが存在することを肯定化する大人のエゴに他ならないと思う。
(略)
僕がここで言いたいことは、ユーススポーツについての話だ。高校や大学、プロレベルで試合に出れないのは、ある程度は仕方ないことだとおもう。(高校生で試合に出れずに3年間補欠で終わるなんて出来事にも問題を感じるけど今回は割愛する)ある程度年齢を重ねた選手が試合に出れない状態と、小学生の子どもたちが試合に出れない状態は、完全に別物だ。訳が違う。
自分も海外のトーナメントに参加したときに、「勝ち上がる」という概念よりかは、「試合数をこなす」ことにフォーカスをしていたことに驚いたことがある。「どこが優勝なの?」と聞いても、「それはあんまり関係ないよ」と言われた。(中略)試合にたくさん出れる場所、同じくらいのレベルの相手と対戦できること、そして何より、自分が「楽しい」と思える場所を大人が用意してあげることで、子どもたちの得られる経験や上達スピード、スポーツに対する喜びは格段に増すのではないだろうか。

(全体を通してスポーツの意義や、プレー環境に対しての意見がしっかりとまとめられていて、とても参考になったのをよく覚えている。)

さて、私たちのユーススポーツの様々な現場で、保護者、指導者のための試合になってはいないだろうか。

サッカーに限らず、補欠の問題は深い。

スポーツを楽しむ子どもたちの試合というチャレンジの場は、その子どもたちのための場であって欲しいと願う。

子ども同士、先発メンバーを考えたっていいじゃないか。どうやって交代して、どう試合を組み立てるか、子どもたちに委ねたっていいじゃないか。

チーム内でレベルの差があるのは当然。その中で、目の前の試合をどう戦うか、その試合はそこにいる子どもたち全員のものであって欲しい。

目の前の試合が、保護者や指導者、チームのためのエンタメと化していないだろうか?

まだまだ発展途上の子どもたち、チャレンジして、成功や失敗を繰り返す中で、そのスポーツを楽しみ、夢中になり、また上達したいと思う。

そんな子どもたちのための試合であって欲しい。

公式戦だろうと練習試合だろうと変わらないはずだ。

しかしながら、なかなか共通言語で、理解し合うことが難しい世界が目の前に広がっていて、どうすることもできない。

勝ちたい人の気持ちは変えられない。

不満があるなら、移籍したら良いじゃない。

だったらあなたが、指導者になったら?

そんな意見もあるかもしれない。

だけど、今いる場所で、チームメイトや保護者、指導者の方と、もっとより良い景色をみたい、という希望をいまだ捨てられない。

まずは、今週末に行われる、U9初めての公式戦で、保護者の方がどんな応援をするのか、対話する余地があるのか、緊張しつつも見守りたい。



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