#9 これから再び天才になる君たちへ…
先週末、とても嬉しかったことと残念だったことの両方が起こった。
今回は嬉しかったことを記したいと思う。残念に思ったことはまた次回、チャンスがあったら取り上げたいと思う。
日曜日、例のごとく私はU9の息子の練習試合の付き添いだった。
その日は自チームの主催、役員でもある我が家は出張中の夫に変わり、私が下の妹弟を連れて、運営の仕事もしつつの試合観戦だった。
本部から試合を眺めていたら、明らかにここ何回かで出会ったチームとは真逆の指導者の声が聞こえてきた。
最初は、本部にいるママさんと「あのコーチの声かけ、いいねぇ。」「子どもたちも楽しそうだね。」となんとなく試合をみていた。
が、その内にそのチームの雰囲気が明らかに他と違うと気づく。(良い意味で!)まず、ハーフタイムに戻ってきた子どもたちはみんな指導者と笑顔でグータッチしていた。指導者は、それぞれに「あれ、よかったねぇ、ココよかったねぇ、あそこは惜しかったよねぇ。」と一人一人に出来ていたこと、良かったこと、もう少しだったこと、をポジティブに発信していた。そして、一言自分が感じた試合の感想を伝えると「はい!今度は君たちだけで、話してごらん。」と子どもたちだけでの話し合いに促した。
#7でも書いた通り、大人が喋りすぎているチームが多いと感じる中、子どもたちの意見を聞いたり、子どもたち同士での対話を促す指導者は珍しい、と感じた。
しかしそこは小学3年生、まだまだ中身がある、とは言い難い。しばらくその様子を見守った後、指導者が少しずつヒントを与えながら、選手が考えることを促したり、気持ちを引き出したりしていた。
また、交代に関しても衝撃を受けた。JFA8人制サッカー競技規則では、インプレー中の自由な交代が認められ、審判の許可なく交代することができる。前述のチームは、ベンチの選手がゲーム展開をみて、プレーに関われた選手・プレー時間が長くなっている選手を考え、自分で交代のタイミングを計り、名前を呼んで、自由に交代していた。このようなやり方をしているチームを初めてみてとても衝撃を受けた。(今まで見てきた殆どのチームは、指導者の指示のもと交代が行われていた)
自分が住む地域で、サッカーの本質を大切に、子どもたちと関わっているチームを実際に目にすることができ、とても感動したのだが、今日の本題は次である。
それは、保育士時代の教え子が、とっても生き生きとそのチームで、サッカーというスポーツを仲間と楽しんでいたことだった。
その子を仮にAさんとする。私が、Aさんと直接かかわりを持った期間はそんなに長くはなく年長の秋から卒園までの半年間ほどだった。が、家庭的な保育園に勤めていたので、大体の園児の様子や、性格などはみんなで共有もしていたし、ずっと隣のクラスで0歳の頃からの様子も知っていたので、深い付き合いとまではいかないまでも浅くはない付き合いだったと思う。
Aさんは、とってもエネルギーがある子だった。その反面優しさも持ち合わせていて、縦割り保育の園の中で、年長さんになると下の子のお世話をよくしてもくれた。が、起用なタイプではなく、時にお友だちと意見の食い違いで、衝動的な行動でトラブルになることが多いのも事実だった。その度に私たち保育士は、Aさんの気持ちと周りの子の気持ちの絡まった部分を紐解いて、Aさんがお友だち関係を育むことができるよう、丁寧にAさんの良い部分を消さないよう、関わっていた。心の底から楽しいと、表情がぱっと明るくなり、悲しいことがあると、その感情を素直に出してくれる子だった。身の回りのことの自立が他の子に比べるともう少しなところもあって、複数担任の私たちも手を焼いたが、誰に対しても愛嬌があり、とても親しみやすい子だった。卒園の半年前は、小学校へむかう準備にもあたる時期で、正直Aさんの良さをわかってくれる大人、や夢中になれる何かに出会うみたいなことがないと、小学校生活は少し厳しいものになるのではと、とっても心配して、保育園を送り出した事はよく覚えている。
そんなAさんが、指導者にも恵まれ、とっても伸び伸びとサッカーを楽しんでいたことが、素直に嬉しかった。体を動かすことも大好きな子だったから、自分を思い切って表現することができるサッカーというスポーツの出会いも良い方向に導いてくれたのではないかと思っている。
いわゆる規格外のようなタイプの子は、大人に指示され、矯正されるような環境では、本来の良さがつぶれてしまい、輝けないと感じる。それはスポーツの環境に限らず、保育や教育の現場でも同じことと思う。
今の少年スポーツの現場では、保護者や周囲の大人が、”勝利”のため、こどもたちが楽しむ環境を窮屈なものにしている現状を目にすることが多い。
もちろん、子どもたちは目の前の試合に勝ちたいと思うだろう。
それは否定しない。
しかし、”目標”であるはずの勝利が、”目的”にとって代わってしまったときに、苦しんでいる子どもがいたとしたら残念でならない。
試合の合間にAさんに、声をかけた。
「元気?とっても楽しそうにサッカーしていたから、嬉しかったよ。」と伝えたら、「でも今日全部負けなんだ。」と言いながらも、表情はとても明るかった。良い指導者とチーム環境の中、伸び伸びと楽しむことができているんだな、と感じた。
帰り際、そのチームの指導者の方と少し話した。
「実は、あの〇番の子、私の教え子なんです、とっても苦労もした子で、心配もしていた子ですが、楽しそうに伸び伸びとサッカーを楽しんでいたので、素晴らしいチームに出会ったんだと思い、安心しました。」と伝えた。
指導者の方はこう話してくれた。
「うちは正直、強いとは言えないんですけど、今じゃなくて、中学・高校・その先なんです。」
この辺のチームにしては珍しく、私服に着替えて帰り支度もしていたので、そのことについても触れると、
「ほんとは来るときも、私服がいいんですけどね、流石にそれは面倒なんで。」と笑っていた。
指導者の方は、強くはないと言っていたそのチーム、正直その日は負けが確かに続いていた。しかし、子どもたちの表情や、声、プレーの一つ一つをみれば、子どもたちがどれだけ試合を楽しんでいるかなんて、すぐにわかる。それに、ちゃんと、サッカーという地図を子どもたち自身が描こうとしているのが、わかった。もちろん、結果には結びつけることはできなかったかもしれないが、大人によって矯正されたプレーをしている子どもたち(あ、うちのチームに限った話ではないですよ?)に比べたら、遥かに多くのことを得ているような気がした。聞けば全カテゴリー同じ指導方針を大切にしているとの事。こんなチームが地域に良い影響を与えてほしいとも思う。
この日、私服で着替えて帰るチームが、もう1チームあり、ここ浜松にも確実に新しい価値観の風が吹いているのか、と希望を感じた。
帰宅して、息子に上記のチームの印象について話してみると、「うん、めっちゃ優しいなって思って聞いてた。」息子の小3レベルの語彙力なので、”やさしい”という言葉が、的を得ているかどうかわからないが、ベンチから指示のような矯正的な声掛けばかりを耳にすることが多い中、選手に考える余白を与えるような、励ましやチャレンジを認めるような、安心してプレーが出来るような、声かけは相手チームの息子の耳にも、届くのだと感じた。
さて、そんな素晴らしいチームが近隣エリアにあるということは、
移籍 という選択肢ももちろんあっていい。
しかし、最近の息子のチームには、新しいメンバーが何名か入りそうで、それを喜んでいる息子にとっては、移籍なんて、1ミリも頭にない。
しかし、親としては、今のチームにいても少しずつ苦しくなっているのも事実。かといって、勝ちたい人の気持ちを変えることはできないという現実も、この何年間かでずっと感じ続けている。
保護者としてできることが、まだあるのかないのか。
地域に根ざした活動をする少年団というスポーツ団体としての未来が、このままで良いのか?
迷宮入りな日々が続く中、最近知った(笑) Creepy Nuts の『かつて天才だった俺たちへ』が素晴らしすぎて、何度も聞きながら、自分を励ましています。
武道館ワンマンMC付の動画も鳥肌でした。