竜に願いを(Triptych Symphony二次創作小説)
前書き
らぷりアドベントカレンダー 16日目の記事です。
前回の記事はこちらになります。
次回の記事は下記となっております。
公開後挿入予定
注意事項
・今作はTriptych Symphonyを元にした二次創作小説です。
・オリジナル要素が多数含まれております。
・nayutaさんがヒロイン、いつきんくるが世界を滅ぼすお話です。
上記の内容が苦手な場合がブラウザバックしてください。
以下より本文が始まります。
本文
1.世界の終わり
人々の頭上を2匹の竜が舞っている。
片や鱗が無い細身の美しい白銀の龍である。
片や金属で作られた美しい黄金の龍である。
2匹の龍は空を舞い、熱線を吐き、大地に根ざしている悉くを崩壊させていく。
激情をまき散らしているようでもあった。
全てを憎んでいるようでもあった。
嘆き悲しんでいるようでもあった。
しかし。
いづれにせよ矮小な人間に出来る事など何も無かった。
もう既に何もかも遅く、誰しもがただ世界が崩壊していく様を見ている事しかできなかった。
2.孤独な少女と白い竜
その城には魔女が住むという。
都市から遥か遠く、いくつもの山を越え、谷を越え、川を越え。人の手がほとんど入ってない森の中。その白亜の城は1000年ほど前に物好きな権力者が建てたものらしい。
目の前の湖には立派な橋がかけられ城の正門に続いている。その背後は鬱蒼と生い茂った原生林だった。
レトロどころかクラシックと言われるだろうその場所は、人々に知られればさぞ人気の観光地となっただろう。特に現代では機械技術の発展が著しく、その反動で市民の間には古典的な物が流行っていた。
しかしその場所を訪れるのは月に数度の飛行機だけである。
食べ物などを詰め込んだその機体は近くの森を切り開いて作った急ごしらえの滑走路に降りると、そそくさと中身の荷物を交換して戻っていく。
その行動にはぞんざいさよりも恐怖心がにじみ出ていた。
この城に人が寄り付かない理由はいくつかある。
まず地理。道路を通そうにも森を切り開き橋をかけたりなど莫大な予算が必要になる。そうして得られるのはこの景観だけである。資源を求めた人類がいづれこの場所にたどり着くかもしれなかったが、その時は訪れない。
そして噂。さきほど告げたとおりにこの城には人を呪い殺す魔女が住んでいると噂されていた。そのため、その城を知る数少ない人間達の間では、絶対に近づいてはいけない場所と言われていた。
そんな城からは毎日歌声が響き渡っている。
美しい歌声だった。高らかな歌声だった。しかし悲し気な歌声だった。
歌声の主は一人の少女である。
城の中庭で時代錯誤な薄桃色のドレスを着た女性が歌っていた。
庭園は一面に赤い花が植えられており、その姿はさながら花の妖精のようだ。
目を閉じて一人静かに歌ってる少女。
だからこそ、彼女はそれに気付かなかった。
「綺麗な響き~」
「――、ん?」
1人だけのはずの城の中に歌声以外の音が響いた。
予想だにしていなかった現象に少女が眼を開く。
真紅の瞳がそれを捉えた。
「あぁ~、止まっちゃった」
残念そうな声を出しながら中庭に降り立ったのは白銀の竜だった。
少女は真紅を瞬たかせながらその生き物を見上げ、彼女の頭いくつか上の高さからは蒼い瞳が見下ろしてくる。
当たり前であるが、竜なんて生き物は少女の記憶では物語の中にしか存在していなかった。実際目の前の生き物は少女のイメージする竜とは多少の違いがある。
まず鱗がない。滑らかな白銀の皮膚はまるで白絹のようだ。
そして細い。大きさこそあれど、その体は力強さよりも、しなやかさと流麗さを兼ね備えていた。
総じて美しさと神聖さを少女は抱く。
そのためだろうか。少女は急に目の前に竜が現れても表情を変えなかった。
ただ歌っていたのを止めて視線を向けただけだ。
少女の様子にむしろ竜の方が首を傾げた。その巨体のせいで鎌首をもたげている様に見えなくもない。
「あなた、私の事が怖くないの?」
竜は透明感のある声で少女に問いかける。
「どうでもいいわ……」
しかし少女は竜にも、竜が喋る事にも全く動じなかった。
面倒くさそうにため息を吐いて視線を竜から外した。
その様子を見て竜の口元が笑う様に動く。
「ねぇねぇ。あなた、名前は?」
「アオイ」
「そう、アオイ。もう少しだけここで聴いていても良い?」
「お好きにどうぞ。けど、どうなっても知らないわよ」
少女は再び高らかに声をあげる。
透き通った高音が城に、森の中に、そして竜に響いていく。
白銀の竜は心地よさそうに身体を丸くした。
アオイが歌い終えるまで竜は目を閉じて静かに聴き続ける。
白亜の城に、緑の森に、赤い花。その中に薄紅を纏った真紅の瞳の少女、そして蒼い瞳を持った白銀の竜。
その邂逅はまるで絵画のような光景であったが、その場所には1人と1匹しか存在していなかった。
「……そういえば貴方、名前ってあるの?」
いつものように中庭で歌い終えたアオイが唐突に呟いた。
あれからアオイの元には竜がたびたび現れる様になっていた。
アオイが歌い始めるとしばらくして竜がやって来る。そして歌い終わるといつの間にかいなくなっていく。
そんな穏やかな日々が続いていた。
しかしアオイがその質問をしたのは竜が来るようになってから数回経過した後であった。
「……えぇ~、今更聞くの?」
さしもの竜もアオイからの質問に目をぱちくりと瞬かせる。その表情はどこか愛嬌があり、声も相まってどこか女性的だ。
「必要なかったから」
「へぇ、じゃあ今から必要になるの~?」
「……やっぱり要らないかもね、竜さん」
どこか挑発的に告げた竜にアオイはそっぽを向いて告げる。少女の表情はどこか拗ねたようでもあった。
竜はどこか満足げに笑いながら口を開く。
「……プレロタス」
「そう」
竜は穏やかに名乗った。アオイは満足したように再び肺に空気を満たす。
「私、なんでも地球を侵略しにきたそうよ?」
「……へぇ」
しかしそのプレロタスの言葉で動きを止めた。
興味深そうに白銀の竜を見つめる。
「ねぇ、プレロタス?」
「何~?」
「どうせなら侵略と言わず、滅ぼしてくれない?」
「えぇ~? 面倒臭い……」
物騒なアオイの言葉にプレロタスは心底面倒そうに答えた。
「そう、それは残念ね」
けれどアオイは全く残念そうにせずに再び歌い始める。
高らかに歌い上げるアオイ。プレロタスは目を閉じずに彼女を見つめ続ける。
そしてアオイが歌い終わるのを待って、プレロタスが再び口を開く。
「ねぇ、アオイ~」
「何?」
「ちょっとそのまま動かないで」
アオイは首を傾げてプレロタスに視線を向ける。竜の瞳は猫のように縦に切れ目が入っていた。ひと一人が入り込めそうな目がアオイを見つめてくる。
「プレロタス?」
「ほっ」
動かないプレロタスにアオイが声をかけた。それとほぼ同時に気が抜けるような軽い声が響く。
その瞬間に白銀の竜がアオイの目の前から消え去った。
「……え?」
その時初めてアオイが目を見開いた。いつもの凛とした無表情で無く、年相応の柔らかさを伴って口が半開きになる。
彼女の目の前には、白い女性が立っていた。
人間離れした白い髪に蒼い瞳は変わらない。背丈はアオイの頭一つ高いほどだろうか。すらりとしたプロポーションは見る人間を魅了するほどの美貌を形作っている。服装はアオイと似た様相の白みがかった空色のドレスを纏っていた。
その女性が誰かなど、アオイは有り得ないなと思いながらも一つしか思いつかない。
「もしかして、プレロタス……?」
「んんぅ~、ふぅ。あはは、なにこれ~?」
プレロタスは伸びをした後、機嫌良さげに自分の身体を眺め始める。
その様子にアオイは顔を引きつらせる事しかできなかった。
「面白~い!! へぇ、アオイはこんな風に世界を見てるの?」
「……貴方なんでもありなのね」
アオイは珍しく疲れた様子で肩を大きく落とした。
「それで~? なんでアオイは地球を滅ぼしてほしいの?」
プレロタスは気負いのない軽い声で先ほどの質問を繰り返してきた。
アオイの視線がプレロタスに戻る。
「……別に、ただの冗談だから」
「へぇ~、そうなの? あー、ん? あ、あ~、んん?」
プレロタスはアオイへの返答もおざなりに急に声を出し始めた。
あー、と何かを確かめる様に発声を繰り返し、そのたびに首を傾げる。
「ねぇ~、アオイ~」
「何?」
「どうやったらアオイみたいに出来るの?」
「どうやって? 歌の事?」
「そう!!」
どうやらプレロタスはアオイのように歌いたかったらしい。しかし上手く声が出せない事に首を傾げていたようだ。
「……貴方、腹式呼吸って分かる?」
「……分かんない」
「そもそも貴方、呼吸してるの?」
「……呼吸って何?」
2人の間に沈黙が訪れた。そもそも生物としての生態から異なる彼女らにはまず相互理解から必要であった。
3.そして来たる黄金の竜
「うぇ~」
「プレロタス?」
さらにアオイがプレロタスと出会ってしばらくが経ち、いつものように歌っているとプレロタスが奇妙な声をあげた。
普段は必ず静かに歌を聞いている彼女の珍しい反応に、アオイは歌を止めて声をかける。
「私の歌、何かおかしかった?」
「ううん~。アオイじゃない。面倒なのが来た、はぁ……」
「面倒なの?」
アオイの質問にプレロタスは空に視線を向けた。しかしアオイが同じ方向を見つめても何も見えない。
しばらくしてようやくアオイの目にもそれが飛び込んできた。
初めは点で、徐々にそれが太陽の光を反射しながら飛んでいると分かる。
それは白銀の身体を持つプレロタスと似ているようであり、しかし正反対でもあった。
その身体は黄金に煌めいていた。
「金色の、竜?」
アオイが茫然と呟く。
そしてその体はプレロタスのように滑らかではなく、皮膚は金属の質感を持っていた。
いや実際金属なのだろう。それには生物特有の揺らぎが無い。
体も翼もほとんど動かさず、またその瞳は硬質だった。
城に近づいてきた黄金の竜、それはある距離で足を突き出してジェットの逆噴射でスピードを落とす。
そこでアオイもその竜が生物で無い事に気が付いた。
「……機械?」
知識だけだが、アオイも人類文明の機械が著しい発展を遂げている事は知っていた。しかしまさかここまで進んでいるとは思っても居なかった。
その横でプレロタスが珍しく顔をしかめながら黄金の人造機龍を睨みつけている。
『失礼する!! 君たちはこの城に住んでいるのか!?』
森の静寂を引き裂いて大音響が一帯に響き渡った。
その振動で森の鳥たちが空に飛び立ち、おそらく尋ねられているだろうアオイとプレロタスも顔をしかめる。
声は高さから女性であるようだったが、何せかなりスピーカーで増幅されているせいで率直に喧しかった。
ついでに飛行するためのジェットの轟音も常時鳴り響いている。
「……あれ、貴方のお仲間?」
アオイは忌々しそうに耳をふさぎながらプレロタスに尋ねた。
「まっさか~」
質問されたプレロタスも嫌そうに首を横に振る。
「けど、知ってはいるよ~」
しかしプレロタスも全く知らない相手ではないそうだ。
蒼色の瞳が黄金を捉える。
「ほうり、とか言われてたかな? なんかいつもちょっかいかけて来るんだよね~」
「ちょっかい?」
アオイは再び金色の竜を見上げた。
そこに再び振動が降りかかる。
『私はある任務にために来た!! 話を聞きたいのでどこかに機体を下ろしてもいいだろうか!?』
「……耳が痛い」
アオイは顔をしかめながら忌々し気に空に浮かぶ機龍を見上げる。
そのまま下を指し示した。
『協力に感謝する!!』
黄金の竜は返答の後に高度を下げ始める。
しばらくすると塀で姿が見えなくなって、響いていたジェットの音も消えた。
「……はぁ」
やっと得ることが出来た静寂にアオイはため息を吐く。
プレロタスはそんな彼女にどうするの、と視線を向けていた。
「まったくもう、一体何なのよ……」
「……なんだろね~?」
「……そういえば貴方、さっきちょっかいとか言ってたよね?」
「……そうだっけ?」
「あれ、貴方が原因でしょ?」
アオイからの追及にプレロタスは返答しない。しかし顔を背けてバツが悪そうにしていた。
こちらの竜に対してもアオイはため息を吐く。
「本当にもう、一体何なのよ……」
アオイとプレロタスが城の門へと向かうと向こう岸に先ほどの黄金の機竜が降り立っているのが見えた。
そして城へと続く橋を誰かが歩いてきている。
「……あれは人が乗ってたの?」
「さぁ~?」
アオイからの質問にプレロタスも分からないと首を横に振る。
2人が会話している間にもその人物は近づて来ていた。
まずアオイの目に入ってくるのは竜と同じ金色の髪だった。
肩口で切りそろえられた黄金が歩みに合わせて跳ねる。気が強そうな瞳が既にアオイとプレロタスの事を捉えていた。
しかし一番特徴的なのはその服装だろう。ところどころ何かの機械が接続されたようなボディ―スーツを着用している。
黒を基調としたそれはまともな衣類とは言えず、森と石畳の古風なこの場ではかなり浮いてしまっていた。
「はじめまして。私はハラ・ホウリと言います」
その女性は芯が通った力強い声で二人に頭を下げる。
当人の生真面目な気質がそのまま伝わってきそうな声と話し方だった。
「今回、私がここに来たのは」
「うるさい」
「あるにん、え?」
「うるさい」
しかしそんな事アオイには関係が無い事であった。彼女は黄金の竜を指さしながら端的に文句を告げる。
相手の挨拶もほどほどに先ほどの大音響へのクレームを入れ始めた。
「えと……」
「周りの迷惑を考えて」
「……はい」
ハラ・ホウリと名乗った女性は自分よりも小柄なアオイの言葉にタジタジになってしまっていた。
先ほどまでの凛とした表情はどこにいったのか、ホウリは肩を縮こまらせている。
プレロタスは後ろからそんな二人の様子を少し驚いたように眺めていた。
「大変申し訳ありませんでした……。それで、ですね? 喋ってもいいですか?」
「どうぞ」
ホウリは金色の髪の隙間からアオイの機嫌を伺う様にちらちらと視線を向ける。
彼女の許可を得てやっと顔を正面に向けた。
「んんっ!! 今日ここに伺ったのは、白竜を探しているのです」
「白竜?」
アオイは背後のプレロタスに視線を向けた。
真紅の視線を受けた彼女は笑顔で小首を傾ける。
その二人のアイコンタクトをホウリはどう受け取ったのだろうか。
「御存知無いのですか? 地球外からきた白竜の事です」
ホウリは疑う様な視線を二人に向けて来た。
「地球外?」
その言葉に反応したのはアオイだけだった。さらに疑わし気にホウリが困惑を強めた。
「え、本当に? で、でも、連日ニュースになっていますし、この機龍と壮絶な戦いを……」
「……ここ、電波が繋がって無いから」
アオイが城に視線に向ける。ホウリは顔を引きつらせて視線を二人の背後に移した。
その視線は「このご時世にそんな生活あり得るのか?」と言外に告げて来ている。
それはアオイにも伝わったようで、少したけむっと眉根が寄せられた。
「申し訳ありません。立ち入った事を……」
「別に。それより地球外から来た白竜って何?」
ホウリはすぐに表情を改めて申し訳なさそうに謝る。アオイもそこまで不快に思っていたわけでは無く、すぐに表情を緩めた。
そしてむしろ気になっていた事を聞き出し始める。白竜、という言葉で彼女が思い出すのはプレロタスの事であった。
「……数か月前に宇宙から、それこそ太陽系の外から飛来した生き物ではないかと目されている生物です」
ホウリは言われるがままに白竜の説明を始める。
「ある日地球に降り立ったその生き物は機銃もミサイルも碌に効かず、現代兵器では歯が立たなかったのです。そこでこの私、ハラ・ホウリと人造機龍が製造されました」
「製造? 貴方も?」
「はい。私はもともと人類支援AIとして作成されました。この人造機龍は人類に操縦できるものではないので。この身体もAI用の義体として作られたのです」
アオイは目を白黒させてホウリの話を聞いている。自分の知識と現実の乖離が大きすぎるせいなのか、すぐには信じられないようだ。
「……外ではかなり技術が進んでいるのね。それで、その白竜はどういった竜なの?」
「詳しくは分かっていません。しかし今現在まで世界中を飛び回っており、捕食対象を見定めているのではないのかと考えられています」
「……そうなの? プロレタス?」
アオイが何の気負いもなく背後で黙っていたプロレタスに話を振る。
「捕食って、何?」
プレロタスはプレロタスで言葉の意味が分からないと首を傾げた。
そのまま彼女らは言葉が止まったホウリを置いてけぼりにして会話を続ける。
「食べる事、ってあなた呼吸もしないのよね。食べる必要も無いんじゃない?」
「あ~、分かんないけどたぶんそう!!」
「……何ですって?」
目の前で始まった会話の内容にホウリの表情が固まったまま首が傾く。
AIとは言いながら、どうやら情報処理に時間がかかっているようだった。2人の言葉の内容を吟味精査し、それでもなお状況が理解できないのか、黄金の瞳の動きがしばしフリーズする。
しかしその間にもホウリのCPUにはさらなる情報が叩き込まれ続ける。
「そもそもあなたなんで地球に来たの?」
「え~? ん~、綺麗な物を見たかったから?」
「それがどうしてそんな事になってるの……?」
「そうそれ!! 聞いてよ~アオイ~。星に来て空から眺めてたらさ、急に何か撃ってきたんだよ!? それで邪魔だから翼で払ったら侵略だのなんだの言われてさ~。あんなのも襲ってくるし!!」
プレロタスは表情で不満を表しながら橋向こうの黄金の龍を指差す
「それは……。けど、そうね、人は理解できない物を恐れるものだから」
「いきなり攻撃して来て反撃したら侵略生物とか野蛮過ぎな~い?」
「それは確かに……」
「ちょっと待って待って!? 待ってください!?」
しかし続く単語にホウリの処理が追いつかなくなったらしい。先ほどまでの固い言葉が崩れ去り、もはや要領の得ない言葉を口にするだけになっている。
混乱するホウリに対してアオイとプロレタスは全く動じずに視線を返した。
そのまま数秒間、ホウリはもごもごと言葉になっていない音を出す機械になってしまう。
「黙らないでくださいよ!?」
「え~」
「待ってって言ったじゃない……」
文句を言うホウリに2人は拗ねたように返事をした。
ホウリはAIとは思えない程に表情豊かに狂乱する。もはや涙目と言っても良かった。涙は出ていないが。
「いえいえいえいえ!? 後ろの女性は一緒に暮らしているんじゃないんですか!?」
「いいえ?」
「ちがうね~。ほっ」
そう言ってプレロタスは白竜の姿をさらした。しなやかなで美しい白い身体が橋の上に現れる。
もはやホウリは口を開いたまま何も言えなくなってしまった。
「……あぇ?」
そうしてホウリは頭から煙をだして倒れ込んだ。
「つまりその女性が白竜で、ここに度々訪れていると……」
「プレロタス~」
「プレロタスさん、さん? さんで良いのか? いやしかし、敬称は、必要なのか?」
「……賑やか」
あの後、結局機能を停止したホウリはプレロタスに抱えられて城の中まで運ばれた。
しかし再起動を済ませた彼女は目の前の現実に再びフリーズしかかる。
「確かに、近頃一定の方向に飛んでいるのは把握してたけど……。だから今日は捕捉できてたけど……。何なのこれ!?」
「うるさい」
「うるさ~い! あははは!」
「……いやこれ私が責められるの!?」
ホウリは髪を乱れさせながら2人の言葉に頭を抱えながら叫んだ。
もはや彼女に先ほどまでの口調は存在しておらず、凛とした雰囲気は吹き飛んでしまっている。
「なんて報告すればいいのよ~……」
「正直に話すのは駄目なの?」
悩むホウリにアオイが無邪気に訪ねた。その言葉に金色の瞳が見開かれる。
「宇宙から地球の観光に来た白竜が森の中のお城に住んでいる女の子と仲良くしていますって!?」
「……駄目かしら?」
「駄目かしら~?」
「無理に決まってるでしょう!? というかさっきから貴方何なんですか!? 馬鹿にしてるんですか!?」
叫んだホウリが我慢ならない様にプレロタスに指を突き付ける。
指し示しされたプロレタスだが、しかし全く反省する態度が無いどころかとても楽し気だ。
「そもそもなんで貴方喋ってるんですか!? どう考えてもおかしいでしょう!?」
「え~? でも、皆がしている事の真似すればいいだけでしょう?」
「せ、声帯は!?」
「せいたい? 良く分かんないけど、アオイと同じにしたよ?」
プレロタスは自分の身体を見せつける様に1回転して見せた。ドレススカートが軽やかに跳ねる。
その容貌は深窓のお嬢様然としており、アオイと並んでまるで異世界にでも迷い込んだようではあるが。
しかし実際は地球の理論では理解できない不条理で形作られたものだ。
外見も身体の作りもアオイと同じ構造を作り出したと、プレロタスは事もなげに告げる。
ホウリは顔を引きつらせていたが、アオイは興味が無いのか既に諦めているのか反応が乏しい。
「……プレロタス、貴方その服も好きに変えられるの?」
「服、あぁ、これの事?」
むしろアオイは既に事実を受け止めてプレロタスがどこまでできるのかの確認に入る。
プレロタスは返答しながら自らのドレスを指先で無造作に摘まんだ。
妖艶な姿で幼子の様に行動をするものだから、どこか妙な色気を漂わせている。
「出来るよ? どんな風にすればいいの?」
「……いいえ、やっぱりそのままでいい」
「そう?」
「えぇ、私もファッションに詳しい訳じゃないから……。ここにはこんな風なドレスしか無いもの」
「ふぁっしょん、うん。よく分かんないけど、今のアオイは綺麗だよ?」
「ありがとう」
「意味が分からない……」
仲睦まじい雰囲気を漂わせる二人の横でホウリの思考能力が限界を迎えようとしていた。
アオイのようにそういう物だと受け入れればいいのだろうが、AIという性質上理屈が大切なのだろう。
結果、未知の物にはめっぽう弱いという現代の性質が良く表れている。
「貴方達の種族は皆できるんですか……?」
「う~ん? 多分できたと思うよ?」
「随分曖昧ですね。御自分の事でしょう?」
「だって、他の皆はずっと前に死んじゃったから。出来たのかな~?」
しかし、さらりと告げられた言葉にアオイの顔が強張った。
プレロタスは死について語っているとは思えないほど穏やかな声色で告げる。
「まだ小さかったから皆の事はよく覚えてないんだよね~。そこからいろんな星を見てきて、その星に合わせないと大変な事になっちゃうし~」
「プレロタス、貴方……」
「なに~?」
「悲しく無いの?」
「悲しい、ってなに?」
「なに、って……」
プレロタスはまさに子供の様に首を傾げた。あまりに邪気が無い物だからアオイは言葉を続けられなくなってしまう。
呼吸、食事等今まで生物として生態が違う事はアオイも理解していた。しかし言葉が話せて楽し気に笑う彼女が感情を知らないとは受け止めがたい事だった。
結果、アオイは言葉を変えてもう一度プレロタスに確認を行う。
「……仲間ともう一度会いたいと思わないの?」
「え~? 無理無理。さすがに星の終わりに巻き込まれたら生きてないよ~?」
「……いえ、そうじゃなくて」
「貴方を倒すには超新星爆発並みの火力が必要という事ですか……」
言葉に迷うアオイに対して、ホウリもどこかずれた返答を返す。彼女に対してもアオイは困惑した視線を向けた。
ホウリはプロレタスのへの共感など無く、むしろ倒し方を気にしている。
「うへぇ、まだ来るの~?」
「貴方が危険な生物である事には変わり無いですので」
「面倒くさい~」
「貴方達……」
アオイもそこで目の前にいるのはそもそも常識が違う生物と機械なのだと理解する。
そんな二人の事をどこかもの悲しく感じたが、そもそもその考えもこちらの一方的な押し付けに過ぎない事も彼女は理解していた。
結果、死について他人事のように話す2人を見つめる事しかできなかった。
「じゃぁね~。アオイ」
星空にプロレタスが飛び立っていく。
いつもより長く居座った彼女の姿はすぐに瑠璃色の中に溶けていった。
「本当に常識外れですね……」
その速度にか、翼をほとんど使用しない飛行にか、あるいは白竜という存在そのものにか、ホウリはげんなりした表情で彼女の事を見送っていた。
その横でアオイはじっと白銀が飛んでいった先を見つめ続けている。
「私も飛べたらね……」
「……アオイさん」
そんな彼女の意識を引き寄せたのは控えめなホウリの言葉だった。
「……何?」
一拍遅れてアオイはホウリに向き直る。
真紅の瞳に見定められて黄金の瞳が揺らいだ。
言い淀むように唇の動きが止まっていたが、しばらくして意を決したように言葉を発する。
「……貴方は、もしかして天城グループのご息女では?」
「……えぇ、そうよ」
ホウリの言葉にアオイは同意を示す。そして真紅の瞳が再び夜空へ向けられた。
月の出ていない夜空は星々が煌めいており、アオイはプレロタスのように空に飛んで行ってしまいたくなる。
そんな事は無理だと知っていながら。
「天城グループ現総帥である天城玄の娘、ううん。呪いの魔女と言った方が知られているのかしら?」
アオイは自虐的にその言葉を告げた。自身の世間の評価がどうなっているのか、最悪を想定して自らの忌名を口にする。
しかし。
「いいえ」
現実はアオイが考えているよりも悪かった。
「え?」
「天城アオイの名前は既に知られていません。その名前の女性はもう死んだ事になっています」
ホウリの言葉にアオイの顔が固まった。
初めは言葉の意味が理解できなかったのだろうがしかし、聞いてしまった言葉は忘れることはできない。
一拍遅れて、くしゃりとアオイの表情が歪んだ。
「……そう。そういう事、なのね」
「……アオイさん?」
アオイは震えながら声を絞り出す。
悲痛な様子の少女にホウリが肩に手を伸ばすが。
「触らないで!!」
アオイは鋭い声で拒絶して払いのけた。
「あぁ、本当に……、こんな世界滅んでしまえばいいのに……」
彼女は涙を流しながら夜空を見上げる。しかしその願いとは裏腹に、瑠璃色の空は恨めしい程に澄んだままだった。
4.魔女としての罪
「アオイ~、アオイ~?」
プレロタスがアオイの名前を呼びながら城の中庭に降り立つ。
いつもの時間に歌が聞こえてこない事に疑問を持った彼女だったが、赤い庭園の中央に彼女の姿は無い。
しょうがなく彼女は人の姿をとって城の中に足を踏み入れる事にした。
プレロタスはその時初めて城内に入ったのだが躊躇も遠慮も見られなかった。
アオイの歌を聞きたいという純粋な願いだけで彼女の事を探し求める。
お城の中には色々な物があった。
外観に似つかわしい甲冑やドレス、あるいは不釣り合いなレトルト食品。生活用品は近代化されているようで冷蔵庫や電子レンジ、お風呂など普通の人間にも見慣れた物も数多くある。
「……なんだろう~、これ?」
しかしプレロタスにとっては全てが未知の物だった。クラシックもモダンも彼女にとっては同じものにしか見えていない。
ただ勝手に知らないものに触れてはいけないという認識だけはあるのか、首を傾げるだけで次の部屋へと進んでいく。
人類が築き上げてきた文明を全て一緒くたにしながら、彼女は城の中でアオイを探していく。
やがてたどり着いたのは小さな部屋だった。小さな、とは言っても他の部屋と比較すればというだけである。部屋の中央にはグランドピアノが鎮座しており、その脇にはそれぞれバイオリンなどの弦楽器のケースが数種類、反対には楽譜等の書籍が収められた本棚が並んでいた。楽器のケースの並びには誰かが持って行ったのかいくつか空いているスペースがある。
「ん~?」
その部屋の何かがプレロタスの琴線に触れたのか、彼女はその部屋に足を踏み入れた。
彼女が目指したのは中央のグランドピアノだ。
鍵盤蓋を開けると埃の積もった黒白が彼女の前に現れる。
白い指先が鍵盤に伸ばされて、推されたはずみで音が鳴った。
「おぉ~!?」
長らく調律されていなかったであろうピアノの音はあまり良い物ではなく、また動きに合わさって埃が舞い上がる。
しかしプレロタスにそんな事は関係が無かった。
機嫌を良くした彼女はそのまま連続して鍵盤をたたき続ける。
「ふんふふん~♪ ふふふん~♪」
その堂々たる様はまるで熟練のピアニストか、もしくはただ引くことを楽しんでいる無邪気な子供のような有様だ。
しかし。
「ふふ~、ん? んん~……」
すぐにその顔が曇り始める。
そもそもきちんと整備されていないピアノをやたらめったらに叩き続けていただけなのだ。
綺麗な旋律など出せる訳も無く、プレロタスはすぐに動きを止めてしまった。
「……何、してるの?」
しかし、その音は彼女が目的としていた人物を呼び寄せるのに成功していた。
瞳をいつも以上に赤くしたアオイが部屋の扉を開けている。
「あ、アオイ~。探したんだよ? 今日は」
「それに触らないで!!」
さらにアオイの口からはプレロタスが今まで聞いた事が無い程の感情的な言葉が出てきた。
彼女のただならぬ様子に蒼い瞳が見開かれて動きを止める。
「……アオイ?」
「ここから出てって!! 早く!!」
プレロタスが首を傾げてアオイに話しかけるが、その返答は先ほどと変わらず頑なだった。
痛みを伴うような叫びでアオイは部屋から出て行くように告げる。
そのただならぬ様子にプレロタスも自分が彼女の逆鱗に触れたことを感じたのだろう。
「……うん、ごめんね」
プレロタスは素直にアオイの言葉に従った。丁寧に鍵盤蓋を戻してアオイの元に歩み寄っていく。
叱られた子どもの様なプレロタスにアオイは後悔するように唇をかむ。
しかしアオイはそれ以上何かを口にすることは無かった。プレロタスが彼女の傍を通って部屋の扉が閉まると、真紅の瞳は背を向けてしまう。
「……なんで、城の中に居るの?」
「アオイの歌がいつまでも聞こえてこなかったから」
アオイの硬くこわばった言葉にプレロタスは柔らかく優しい言葉を返した。
その事がさらにアオイの後悔を増していった。ぐちゃぐちゃの内面のまま八つ当たりのようにさらに言葉を吐き出してしまう。
「なんで……、別に歌なんてどこにでもあるじゃない……。わざわざここに来る必要なんて……」
「そうなの? けど、ここでなきゃアオイの歌は聴こえなかったよ?」
純粋無垢なプレロタスの言葉にアオイの頭がさらに俯いていく。
ついに彼女はプレロタスに返す言葉を無くしてしまった。
「ねぇ、アオイ? どうかしたの?」
プレロタスはアオイの正面に回り込んだ。泣き腫らした真紅の瞳を蒼い瞳が見つめる。
アオイは言いよどむように唇を引き結んでいたが、その視線に耐えかねたように口を開こうとして。
「プレ――」
『アオイさーん!! 居ますかー!?』
昨日と同じ轟音が城の外から鳴り響いてきた。
その大音響にアオイが反射的に両耳を手で覆う。プレロタスも顔をしかめて元凶の方へ視線を向けた。
2人とも外の様子は見えなかったが、何がやって来たのかはわかる。
雰囲気をぶち壊された彼女らは何とも言えない表情で顔を見合わせた。互いにうなずき合って無言でのコミュニケーションが完了する。
そのまま二人は示し合わせたように城の正門まで早足に歩き出す。
2人が到着する頃には既にホウリが城の目の前まで来ていた。手には何かの手提げ袋を持っており、心配そうに顔をしかめている事から何か用件があって来た事が見て取れる。
事実2人の姿が見えた瞬間に、ホウリは早足で近づいて来た。
「あぁ、良かったです、アオイさん!! 昨日は」
「うるさい」
「うるさ~い!!」
しかし、ホウリを待ち受けたのは情け容赦のない、機嫌を悪くした2人からのクレームであった。
「本日はですね? 昨日機嫌を損ねてしまったようでしたので、お詫びとして、近頃人気だというお菓子を」
普段はアオイが食事に使っているという応接間に3人の姿が集まっていた。
集まっていた、というか正確には一人は床に正座して残る二人を見上げていたのだが。
そして椅子に座るアオイの目の前のテーブルには隙間なく菓子が並べられている。
洋菓子、和菓子、果てにホールケーキなど、明らかに人数に見合っていない量が所狭しと並べられていた。パティスリーで全種類を注文でもしたらこうなってしまうのかもしれない。
「……それで、これ?」
「はい。女性は甘い食べ物が好きだと伺いましたので。甘い物が好きな職員に聞いたおすすめのお店で購入してきました」
「多すぎる……」
「貴方の好みが分かりませんでしたので、とりあえず全種類購入してきました」
実際全種類購入していた。
部屋の中に充満する生クリームとバター、そしてフルーツや餡子に香りにアオイはすでに眩暈を起こしてしまいそうだった。
ホウリはホウリで一仕事終えたような雰囲気で自信満々にアオイの事を見上げている。
「何これ~?」
2人の横でプレロタスが首を傾げながら目の前に並べられた菓子を指さす。
真紅と黄金の視線が彼女へ向けられた。
「洋菓子、ケーキなどです。ちなみにこれはアオイさんの分なので」
「いえ、さすがにこれを一人では無理だから……」
「ん~? これはいったい何をするための物なの?」
しかしプレロタスはそもそも目の前の物が何なのか理解していない様だった。
そこで2人はプレロタスが食事を必要としていなかった事を思い出す。
「これは食べ物で、そうね……。私達人間は口から何かを食べないと死んでしまうのよ」
「えー!? なんで!?」
「えと、食べ物から栄養を吸収して、その、栄養で、体を動かしている、から?」
アオイはプレロタスへ食事の必要性をしどろもどろになりながらも返答する。自信の無さが言葉にも態度にも表れていた。
「そもそも貴方どうやってエネルギーを補ってるんですか? あの巨体を維持するのはかなりの熱量が必要かと思いますが?」
「えねるぎー? ねつりょう?」
「……もう結構です」
そしてホウリの方もプレロタスへの説明を放棄する。どうやら彼女もプレロタスはプレロタスという生き物なんだ、と深く考える事を諦めたようだ。
「……こうするの」
アオイは目の前に置かれていた苺のショートケーキを手に取った。
フォークで小さく切り分けると、見つめて来るプレロタスの目の前で口に入れる。
「――んっ。あ、美味しい」
「そうですか、良かった」
「甘すぎなくて食べやすいわ。……いえ、そもそもケーキを食べたのが久しぶりね」
「やはりそうですか」
「ふーん?」
アオイの雰囲気が少し変わったが、プレロタスは気付いていない様子で自らの目の前のプリンに手を伸ばした。
アオイが持っているのと同じフォークをプリンに突き刺す。しかしもちろん上手く食べる事が出来ない。
「んー?」
なんで? と首を傾げながら何度も何度もプレロタスはフォークをプリンに突き刺す。
「……貸してみて」
見かねたアオイが穏やかに笑いながらプレロタスからカップを受け取る。
そのままスプーンに持ち替えてプレロタスにすくって見せた。
「はい、お口を開けて?」
「あー?」
「あーん」
「あー、ん?」
プレロタスはひな鳥のようにアオイからプリンを食べさせてもらう。
その様子をホウリは顔を引きつらせながら見つめていた。
「これに人類は敵わないの……?」
「美味しい?」
「んー、ん!? 何これ何これ!?」
プリンを一口含んだプレロタスの表情が輝く。目を見開いて自分が今食べた物を見つめた。
「プリン、こうやってスプーンですくって食べてみて」
「うん!!」
プレロタスは笑顔でアオイからプリンを受け取ると、ものすごい勢いで食べ始める。
そしてすぐに食べ終わると、期待するような目でアオイに見つめてきた。
何を要求しているのかすぐに分かったアオイは表情を崩して返事をする。
「……うん、好きなのを食べていいから」
「うん、うん!!」
許可を得たプレロタスは近くにあったタルトに手を伸ばした。そちらも一口食べて顔をほころばせる。一人の生物が食に陥落した瞬間であった。
「……アオイさんに買って来たんですが」
「さすがに食べきれないって言ったでしょう? というか、何か飲み物を持ってくるわ」
「それも私が。コーヒーが良いですか? 紅茶ですか?」
「……今日はコーヒーにする」
部屋に充満する甘い香りを少しでも中和するためにアオイはコーヒーを選んだ。アオイの要望を聞いたホウリは一礼をした後に立ち上がる。
立ち上がったが。
「アオイさん?」
「んっ、ん? 何?」
ケーキを食べ始めていたアオイにホウリが声をかけた。
なんだろうか、と食べることを中断した真紅の瞳がホウリに向けられる。
ホウリはホウリで黄金の瞳をさ迷わせ、どこか気まずそうに告げた。
「……キッチンは、どこにありますか?」
「……やっぱり私が」
「いいえ。問題ありません」
「けど」
「大丈夫です!!」
強情なホウリにアオイはキッチンの方角を指示した。ホウリは再び一礼をして意気揚々とキッチンまで移動して行く。
「ん~!! 次は~」
その横でプレロタスは幸せそうにケーキを頬張っていた。
「……美味しい」
アオイはもう細かい事を考えるのを止めてケーキを食べる事に集中する事にした。
ケーキを食べ終えてひと段落して、というよりプレロタスがほとんど食べて、コーヒーを飲んでいたアオイが唐突に口を開いた。
「ねぇ、プレロタス。聞きたいことがあるのだけど」
「ん~? 何~?」
初めての甘味にご満悦のプレロタスはまるで上機嫌な猫の様だ。いつも以上に相貌を崩して機嫌よく言葉を返す。
ホウリも何事かと伺うような表情でアオイに視線を向けた。
「……貴方は宇宙を旅してきたのよね?」
「そうだね~」
「なら、相手を呪い殺す音楽、って聞いた事がある?」
「アオイさん……」
「ん~?」
アオイの言葉にホウリは眉をひそめて、プレロタスは大きく首を傾げた。
「呪い殺すって~?」
「聞いただけで相手が死んでしまうの」
「そんな事があるの~?」
「それは、……いえ、うん。あるかもしれないの」
「ん~?」
ぼかしたアオイの言葉にプレロタスは首を反対方向に傾けた。
「どんな音楽なの~?」
「こんな音楽よ」
アオイはいつものように歌を唄い始めた。
泣きはらしたせいか、または室内であるためか声はかなり控えめである。
しかしその歌声はしっかりとプレロタスとホウリの耳に届いていた。
「……どう?」
「ん~?」
歌い終わったアオイの確認にプロレタスの首は未だに傾いたままだ。
「ねぇ、アオイ?」
「……何?」
「それ、いつもの歌じゃ無いの?」
プロレタスの言葉にアオイの顔が僅かに強張った。
緊張したように唇を閉じて唾を飲み込む。しかしすぐに意を決して口を開いた。
「……えぇ、そうよ」
「どういう事~?」
「わ、――っ。それ、は……」
「アオイさん、私が説明をしましょうか?」
「……いいえ、大丈夫」
舌がもつれるアオイのホウリが手を貸そうとする。しかし彼女はその助けを断った。
そんな2人の様子をプレロタスは珍しく真剣な様子で見つめる。
「わ、私の、私の音楽で、人が死んだの……」
そして、彼女は自分がこの城に一人で暮らしている理由を告げた。
天城グループは世界有数の大企業である。
様々な事業を展開している天城は国との取引も行っており、他ならぬハラ・ホウリの製造にも携わっていた。
日本と言う極東の島国を起源としており、現在は普通に生活を送っていれば天城の製品に触れない事の方が難しいほどだ。
そんな天城には数多くの噂がある。会社が大きいため誹謗中傷も多いが、ある時週刊誌に取り上げられた噂が「天城家の娘の音楽を聞いたら死ぬ」という物だ。
初めは彼女の先生だった。
次に演奏会に来ていた協働企業の重鎮の男性。
噂になった後に彼女の歌を調べて問題無いと告げた研究者。
そして、最後まで彼女の事を信じていた母親が命を落とし、魔女の噂が完成してしまった。
企業の大きさと内容だけに大々的なニュースになる事は無かった。
しかしゴシップを掲載する週刊誌はこぞって取り上げ、また高度に発達した情報社会で隠し通せるわけも無く。
天城アオイの名は『呪いの魔女』として焼き付けられた。
「ん~?」
アオイの途切れ途切れの説明を聞いたプレロタスの首の角度は元に戻らなかった。
「なんで、アオイの歌で死ぬの?」
「それは……」
「不明です」
当然とも言える白竜の質問にホウリが答える。
「彼女の先生は事故、演奏会の聴者は心筋梗塞、研究者は不明死、母親も事故死。アオイさんとの関連は不明です」
「んん? んんん? なんでそれでアオイのせいになってるの?」
「……原因が分からないから」
「分からないから?」
「えぇ、何も分からないの。だから、誰も否定できなかった」
関連が分からない、だからアオイのせいとされた。
まるで文脈が繋がっていない言葉であるが。
「……何も分からないからこそ、人は何かのせいにしたいのよ」
理由も関連も分からなかったからこそ、恐怖もしくは面白がった人々により、全ての罪がアオイへと向けられてしまった。
アオイが以前プレロタスに告げた「人は理解できない物を恐れる」という言葉。
高度に情報社会が発達し誰もが多くの情報にアクセスできるようになったからこそ、理解できないという事自体が恐怖の対象となってしまった。
そして何より恐ろしいのは罪を着せられた事では無い。
「おかしな話よね、私が原因では無い事を証明しろなんて……」
恐ろしいのはこの冤罪を証明する手段が無いという事だ。
アオイの歌が人を殺している事を証明するのでは無く、殺していない事を証明しなければならない。
けれどそんな事、無関係な大多数の人間には関係なかった。
アオイの音楽を聞いた人が死んだという、過程を無視した結果のみで彼女の冤罪は成り立ってしまっている。
「んー」
プレロタスはそんなアオイの苦悩を知ってか知らずか、視線を上に向けて頭を悩ませる。
「私が竜の姿で全力で音を出せば、たぶん生き物は死ぬと思うけど……?」
そして返ってきたのはそんな答えだった。
「そういう問題じゃない!?」
思わずホウリが突っ込んだ。
「え~? でも私アオイの歌を毎日聞いてるけど、死んで無いよ?」
「ミサイルで撃たれても死なない生き物ですしね……」
「みさいる?」
アオイの話を聞いても2人は特に何も変わらなかった。
その事にアオイは少し安堵して、もう一つ隠している事を告げる覚悟を決めた。
「……バイオリン」
「ん、アオイ?」
「アオイさん?」
アオイが呟いた言葉に言い争いをしていた2人の視線が動いた。
向けられた蒼と金の瞳にアオイがたじろぐ。
しかしそれでも彼女は自らの乾きかけた舌を動かす。
「私、さっき音楽って言ったけど。歌だけじゃ、無いの。バイオリンもしてて。皆が聴いてたのは、こっちなの……」
「あぁ、そういえば写真が残ってましたね」
アオイの告白にホウリが返答する。
「最初の記録には4歳とありますね。とはいえ小さな演奏会の記録が残っているだけです。そして最初の事故が、え?」
そのまま宙を見ながら話していたホウリの言葉が途中で止まった。
おそらくアオイの記録を検索していたのだろう。
アオイはアオイでホウリが何に気付いたのか、ある程度察しがついているようだった。
「……あのアオイさん? 最初に亡くなったのが判明したは、演奏会の男性ですか?」
「えぇ、そうよ。私の演奏中に」
「おかしくないですか?」
ホウリの疑問は最もだった。何故なら最初に死んだのはアオイの先生である。
「……亡くなった先生は、死んでいたことがその後分かったの。そもそも私の先生は何度か変わってるから」
プレロタスは首を傾げていたが、ホウリは顔をしかめたまま何かの作業に入っていた。
アオイの記録を探って、その事件とも呼べないそれがどれほど荒唐無稽な物なのかを確認していく。
「たまたまアオイの演奏中に天城グループの関係会社の人間が亡くなって、その後にアオイの先生をしていた人間の一人が亡くなっていた事が分かった? 研究者は?」
「研究なんて。あの人はただのカウンセリングの先生よ」
偶然と不運。それだけで片が付く話であった。
天城の名前と、ゴシップとして取り上げた週刊誌と、面白がって焚き付けた第三者。
その結果がこれであった。
そして4人目に関してはさすがにホウリも口に出さない。
「あの、アオイ? お話してるとこ悪いんだけど、バイオリンって?」
そんな悪くなりだした空気を破ったのはやはりプレロタスだった。
「……貴方がさっき居た部屋にある楽器よ」
「あぁ!! 私が触ってたの?」
「いえあれはピアノで、壁に並べられてたケースに入ってるの」
「へぇ~!! アオイアオイ!! それも聴けるの!?」
そして無邪気な笑顔でそんな言葉を告げてくる。
「……プレロタス、貴方聞いてたの?」
アオイはその無責任との取れる言葉にわずかに顔をしかめる。
しかし白竜は何も変わらない。
「うん? うん。良く分かんないけど、つまりアオイのせいじゃないって事でしょ?」
「それは、そうだけど……」
「なら私、そのバイオリンって聞いてみたい!!」
プレロタスには相変わらず悪意も裏も無く、そのまっすぐな欲求の言葉に思わずアオイの毒気も抜かれてしまう。
「そうですね、できるなら私も是非聞いてみたいです」
ホウリも表情を緩めてプレロタスに続いた。
「貴方たち……」
「ダメなの~?」
「安心してください。私たちは絶対に死にませんので」
「……いや私は死ぬ時は死ぬよ?」
「超新星爆発なら、でしょう?」
「爆発もだけど一緒に出て来る光線がね~」
「ガンマ線バースト!?」
白銀と黄金の2人はアオイの分からない言葉で話し合う。しかしそれでも、アオイは2人が自分のためを思って言ってくれている事が分かった。
「……少し考えさせて」
「えぇ、もちろん」
「は~い!! あ、そうだ!!」
とりあえず話はおしまい、とアオイが会話を区切った所でプレロタスが声をあげた。
アオイとホウリの視線が白竜へと向けられる。
「アオイ、空飛んでみる?」
「え?」
「一体何を言い出したんですか?」
いきなりの言葉に2人の頭に疑問符が浮かべられた。しかしプレロタスは妙案を思いついたとばかりに言葉を続けていく。
「アオイ、昨日の夜言ってたでしょ? 空を飛びたいって」
「……あぁ」
アオイはしばらく考えた後にその言葉を思い出した。
「聞こえてたの?」
「うん!! 飛んでみる?」
「いえ、それは……、まぁ、そうね」
少し意味が違うのよ、とアオイの喉まで言葉が出かかったが、プロレタスの好意を素直に受け取る事にした。
空を飛ぶこと自体に興味がある事も事実だった。
「是非お願いするわ」
しかし彼女はこの言葉をすぐに後悔する事になる。
「うぷっ……」
「あ、アオイ!? 大丈夫!?」
「大丈夫な訳無いでしょうが!?」
吐き気を堪えるアオイに心配そうにするプロレタス。下から状況を観察していたホウリがてきぱきとアオイに冷たい水を手渡す。
「あんな急加速急旋回に人間が耐えられるわけ無いでしょう!? アオイさんを殺す気ですか!?」
「あ、アオイに楽しんでもらおうと……」
「これだから地球外生命体は!? 常識無いんですか!?」
「で、でもちゃんとゆっくり……」
「インメルマンターンからのきりもみ急降下までして!?」
ホウリが吠え、プレロタスが珍しく落ち込んだように肩を落としている。
「し、死ぬかと思った……」
「本当にごめんね、アオイ……。まさかここまで弱いなんて……」
「アオイさんが弱いというより、貴方が異常なんです」
「え、でも、他の星で飛ぶ時はもっと大変だよ?」
プレロタスは至極当然な様子で首を傾げる。
単身で星間飛行が可能な生き物の常識を信用した方が間違っていた。
「とにかく!! アオイさんを連れて飛びたいのならもっと優しく飛行すべきなんです!!」
「そんな事言われても分かんないよ~」
「分かりました。私が手本を見せましょう」
「……え?」
吐き気をこらえながら2人の会話を聞き流していたアオイの顔が引きつる。
「ほ、ホウリ?」
「行きましょうアオイさん。ご安心ください。安全運転です」
「いえ、そうじゃなくて……」
「失礼します」
ホウリはアオイを抱きかかえて黄金の機龍の元まで歩いて行く。
アオイは抵抗しようにもまだ体が上手く動かない。
「いや、ほんとに、遠慮とかじゃなく……」
アオイは残る体の力を使って何とか拒否している事を示そうとしたのだが、ホウリはそんなアオイの耳元に顔を寄せる。
「……お伝えしておきたいことがあります」
いつになく真剣な表情で微かな声でホウリがアオイに囁いた。
アオイが見上げると黄金の瞳は視線を合わせてうなずいてきた。
「この中ならば声が漏れることは無いでしょう」
アオイの周囲のスピーカーから声が聞こえてきた。
彼女は機内の操縦席なような場所に座らせられており、その周囲にはよくわからないモニターやボタンが配置されている。真紅の瞳が興味半分、恐怖半分で視線をさ迷わせていた。
ホウリはアオイに約束したとおりに、ほとんど負荷がかからない様に空に上昇する。
「ご安心を。操縦はこちらで完全にコントロールしています。これらは有人操縦を計画されていた際の名残です」
「そうなの……」
ホウリはアオイに心配が無いようにと説明していたが、アオイの心配は完全に無くなった様子は無かった。
小柄な体をさらに縮こまらせて席に収まっている。
「えぇ、結局計画は頓挫、というよりプレロタスに対抗する為に有人飛行は断念されました」
「彼女、無茶苦茶だものね」
文字通り彼女の飛行を体験したアオイがげんなりとつぶやく。しかしその表情はどこか呆れながらも笑っている様な雰囲気が混じっていた。
「はい。だからこそ、人間は彼女を放置できない脅威として認識しています」
そしてホウリがアオイに本題を話し出す。
アオイも聞かされた内容に表情を引き締めた。
「……でもプレロタスは誰にも危害を加えていない」
「今の所は、です」
「今の所は、って……」
「彼女にこちらの攻撃はほとんど効いていません。そんな相手が悠々と都市の上空を飛び回っているのです。日に日に人々の不満は大きくなっていいます。何故、あの竜をどうにかできないのか、と」
モニターには白竜となったプレロタスの姿が映し出されていた。彼女はしなやかに身体を翻し、蒼穹を優雅に舞うように飛び回っている。プレロタスはこちらに近づいてきたかと思うと、笑うように口角を挙げて急上昇を始めた。
アオイにはホウリが体への負荷を気遣って彼女について行かないのか、それともこの機体では付いて行くことができないのか分からない。
「制御する事が出来ない強大な生き物。それだけで人間には恐怖の対象なのです」
「勝手ね」
「加えて言うのなら、彼女の存在に意味を見致す集団も現れています」
「意味?」
「曰く神の化身。曰く終末の使者。曰く災厄の具現」
アオイははじめその言葉を笑い飛ばそうとした。しかしホウリの声が真剣であった為に眉がひそめられていく。
そしてアオイは初めてプレロタスの姿を見た時の感情を思い出した。
あの美しさと神聖さを。
「人間社会は彼女一人のせいで混乱状態に陥っています」
「……あぁ」
そして人は理解できないからこそ恐怖するのだから。
規模と方向性は違えど、未知への恐怖にかられた人間の恐ろしさを知っているアオイには痛い程理解できた。
「……プレロタスは何もしていないのにね」
そして彼女が共感を示したのは人間では無くプレロタスの方であった。
「今、プレロタスに対して大規模な攻撃作戦が立案されています」
「え?」
そんな彼女にホウリはこの話の核心を告げてきた。
「作戦の内容は単純です。私がこの人造機龍で白竜の動きを鈍らせて、そこに多重爆撃を仕掛けます。核兵器こそ使用されませんが、それでも過去類を見ない程の火器を用いた作戦となるでしょう」
「そう……」
その言葉にアオイはかすかな相づちしか返す事が出来なかった。
もう既に死んだ事になっている自分には何もできないだろうという諦観が表情に溢れている。
そんな彼女の感情の機微をホウリはどう受け取ったのか。
「しかし、作戦は失敗するでしょうね」
ホウリの声にも諦めが混じっていた。
「あれは今の人類に対応できる生物ではありません。打ち倒すには多大な代償が必要でしょう」
「彼女、そんなに強いの?」
外部との情報を断たれているアオイはプレロタスの強さが理解できていなかった。
彼女にとってみれば毎日歌を聞きに来る竜というだけなのだ。
「強いなんてものじゃありません。生物としての枠組みから外れています。事実、人間の銃火器ではかすり傷しか負わせられませんし、それすらすぐに再生します。あの皮膚を突破できるエネルギー、そして再生が追いつかない程の攻撃、あるいは、彼女の弱点でも無ければ」
ホウリの言葉はアオイにとって何も実感がわかなかった。しかしホウリもそれは理解していたのだろう。
「私の立場では作戦を中止する事はできません。とはいえ先ほども言った通り、現状であの白竜を討伐する事は無理です」
少しだけ優し気な声でアオイを安心させるように呟く。
しかしアオイはホウリの意図が読めずに真紅の瞳に困惑を浮かべる。
「そう、なの? なら貴方が無駄だって言えば……」
「いいえ。私にその権限はありません。どれだけ人間と似ていようと、あくまで私は機械なのですから。他の機械への権限こそ与えられていますけど、それだけです」
ホウリは自分に作戦立案に干渉できる権限が無いという。
その言葉にどんな意図が込められているのか。
「ですので、言ってしまえばこの会話だって何の意味も無いです。私が何をしようと結果は何も変わりません」
「……つまり愚痴?」
「……はい?」
珍しくホウリの返答に時間がかかった。
アオイが告げた言葉のせいか、機体がバランスを崩して揺れる。
アオイはとっさに近くの機械に捕まった。
「あぁ!? 申し訳ありません。つい機体の操作が」
「い、いえ。ちょっとびっくりしただけだから……」
ちょっととは言いながらアオイは大きく肩をなでおろしていた。先ほどの曲芸飛行の恐怖が思い出されたのか、顔は引きつったままである。
「けれど、アオイさん。愚痴と言うのはさすがに」
「……けど、どうしようも無い事を誰かに聞いてもらいたかったんでしょう?」
「そう、ですね?」
「私に言っても何かが変わるわけじゃないんでしょう?」
「そうですね……」
「つまり愚痴?」
ついにホウリからの返事が返ってこなくなった。
「ふふっ」
思わずというようにアオイの口から笑い声が漏れ出た。
「……申し訳ありません。何も自覚していませんでした」
「いいえ、いえ。そう。機械の愚痴なんて初めて聞いた」
「私も初めて言いました」
楽し気に笑うアオイにホウリはどこか恥ずかしそうだ。
「ふふっ、本当に」
アオイが視線を前に向けるとプレロタスが翻って戻ってきているのがモニターに移っていた。
まるで何かをアピールするように体を揺らしながら急降下をしてくる。
「あぁ、もう!! 直撃したいんですかあの白竜!?」
ホウリが慌てながら、しかしアオイの負担にならない様に機体の操作を始める。
しかしプレロタスは慣性を物ともしない挙動で機龍の前で急停止する。
「アオイー、飽きたー。また歌聴かせてよ~」
壮麗な白竜の口から出てくるのはそんな駄々っ子のような言葉だ。
そのアンバランスさが今のアオイにはとても愉快に感じる。
「ホウリ、そろそろ降りましょうか」
「はい。分かりました」
「駄々っ子が暴れる前にお願いね?」
「……ふふっ、はい」
アオイの冗談めかした言葉にホウリも楽し気に返答した。
5.竜に願いを
「ふぅ……」
アオイの前に弦楽器のケースが置かれている。
開くと中には手入れが行き届いているバイオリンが収められていた。
彼女は慣れた様子で構える。
目を閉じて弦に弓を当てて、そのまま動きを止めた。
「すぅ、はぁ……」
大きく息を吸って吐く。閉じられた瞼にきつく力が入る。腕に力が入っているのか小さく震えていた。
結局、アオイは力を抜いてバイオリンを下ろした。
「はぁ……」
大きく息を吐いたアオイは目の前に鎮座するグランドピアノに目を向けた。
左でバイオリンを構えながら、弓を握ったままの右手で鍵盤蓋を開く。
「ねぇ、お母さん」
そして以前は一緒にピアノを弾いてくれていた人の事を思い出す。
「私の音楽は本当に、人を殺さないのかな?」
呟いた彼女は一音だけ鍵盤をたたく。
部屋の中に調子の外れた音が響いた。
「……うん」
彼女はその音に何を感じたのか。
再びバイオリンを構えた。そのままためらいが起きる前に弓を弦につがえる。勢いのまま弓を動かした。
こちらも調子の外れた音が響き渡った。
「ふふっ、酷い音」
もう何年も練習をしていなかった。手入れだけはアオイなりにやっていたがそれでも素人仕事である。
技術も道具も何もかも錆付いてしまっている。
「ふふふっ、あははは」
けれど彼女にとっては関係が無かった。
ただ何も考えずにバイオリンを奏でる事がなにより楽しくて。
そしてこのままじゃプロレタスにもホウリにも聴かせられないと悔しささえ浮かんできて。
先ほどまで母親に祈っていたとは思えない程、アオイは軽やかに腕を動かし続けた。
「プロレタス、あなただけですか?」
ホウリがピアノがある部屋に入るとまず白色が目に入ってきた。
彼女は二つ用意されていた椅子の内の一つに腰かけている。
彼女の方もホウリを認識して、首を大きく傾げた。
「あー、あえ? えっと……」
「ホウリです」
「あぁ、ほうり?」
「貴方の場合、分からなかったのかそもそも名前を憶えていなかったのか分かりませんね……」
ホウリはいつものボディスーツではなく、アオイとプロレタスを意識したようなドレスを身にまとっていた。薄く黄色の入った白を基調としたドレスは背中が大きく開いており、彼女のスリムな体を美しく際立たせていた。
いつもの凛々しい雰囲気のボディスーツからかなり印象が変わっている。
そのためプロレタスが分かっていなかったのか、そもそもホウリの名前を憶えていなかったのか。彼女はそれ以上踏み込み事はしなかった。
ホウリもそのままプロレタスの隣に腰かける。
「……アオイさんからこれを着てほしいと言われたのです」
「へ~、なんで?」
「分かりません」
二人の会話はそれで終了した。そのまま無言でアオイの事を待ち続ける。
プロレタスは体を動かしながら視線を動かし続ける。
ホウリは足をそろえて全く動かずに待ち続ける。
結局アオイが部屋に入ってくるまで2人は一言も発しなかった。
「ごめんなさい、お待たせ、……え、静か」
扉を開けたアオイは部屋の中の空気を察して顔を引きつらせる。バイオリンケースを持った彼女の足が止まった。
「アオイ~」
「アオイさん」
プロレタスとホウリはそれぞれ顔をほころばせてアオイの事を出迎える。
先ほどまでの雰囲気が嘘のようだ。
「あなた達、もしかして仲が悪いの?」
「え~?」
「別に」
明らかに仲が良くない、というよりお互いにどうでも良さそうな返事だった。
「お願いだから仲良くしててね?」
この2人が喧嘩しようものなら地球が崩壊する、とアオイはどこか確信をもって言葉を告げる。
「は~い!!」
「分かりました」
2人の返事は良かった。返事だけは。
「それよりアオイさん。今日は何を?」
「え、あぁ。あまりに部屋の雰囲気が悪いからびっくりしちゃった」
アオイはそう言って近くのテーブルの上にバイオリンケースを置いた。
「ようやく納得出来たから」
そう言って中からバイオリンを取り出して構える。
「……聴いてくれる?」
「へぇ!! それがバイオリン!? もちろん!!」
「えぇ、私も是非」
2人に躊躇は無かった。
心配そうなアオイの不安を吹き飛ばすような声が返ってくる。
「……そう」
アオイの顔も思わずほころんだ。
「なら、聴いた後で後悔しないでね?」
彼女はそのまま弦を動かし始める。
パッヘルベルのカノン。
プロレタスはそもそも知らず、ホウリも音楽を聴くのは初めてだった。2人にとって未知の音楽が奏でられ始める。
「あぁ……」
「これは……」
プレロタスが感嘆の声をあげる。ホウリも目を見開いた。
技巧的にはさほどではない。そもそもさび付いた杵柄に付け焼刃で数日練習を重ねただけである。
数年のブランクのでせいで彼女は技術的な全盛期には程遠い。
けれどそれ以上に、彼女はそんな事関係が無いとばかりに楽し気だった。
最低限、自分が納得できるだけに錆を落とした彼女は麗らかに音を響かせていく。
天城アオイの本領がここにある。
彼女はそもそも技術よりも何よりも、その感情を音に乗せる事が得意だった。
体を揺らし、笑顔を咲かせ、全身で今が楽しいという事を表現している少女がそこに居た。
数年間閉じ込められていた感情が花開く。
プレロタスにホウリにとっても、そして何よりアオイのとって幸せな数分間が経過する。
「——ふぅ」
曲が終わった後、3人とも声を出すことができなかった。
しかしやはり、一番最初に動いたのは余韻など知らないプレロタスである。
「凄い凄~い!! それがバイオリン!? 」
椅子から立ち上がって飛び跳ねながらアオイに近寄っていく。
「貴方は、本当に……」
ホウリもホウリでプレロタスに呆れながらも拍手をしながら立ち上がった。
「けれど本当にすごかったです、アオイさん」
「そう、良かった……」
2人の竜の満足げな様子にアオイは胸をなでおろした。
そのまま彼女はバランスを崩したようにふらつく。
とっさに近くにいたプロレタスがアオイを支えた。
「おっとと、アオイ?」
「アオイさん!?」
ホウリも驚いた声をあげて二人に近づいてくる。
しかしアオイは手で2人を制した。
「だ、大丈夫。この頃ずっと練習をしてたから……」
「大丈夫、アオイ?」
「食事は摂ってました!?」
「……えと、最後に食べたのが、あれ?」
アオイは宙に視線をさまよわせたまま首を傾げる。
どうやら寝食を忘れてバイオリンに励んでいたようだ。
「あー、もう!! とりあえず座ってください!!」
ホウリはアオイを座らせてバイオリンを受け取る。そのままバイオリンケースに収納した。
「……大丈夫だって言ってるじゃない」
「ふらついておいて大丈夫な訳無いでしょう!?」
「大丈夫よ、大丈夫。ふふっ」
アオイは徹夜明けのような上機嫌さででホウリにほほ笑む。普段の冷静な様子が見る影もない雰囲気だった。
「あぁ、けど本当に酷い。やっぱり何年もやってないと駄目ね。何か所間違えちゃったかしら?」
「アオイ、楽しそうだね~」
「そう? そう、かもね?」
プロレタスは微笑みながらアオイに声をかける。アオイもアオイで笑いを堪えきれない様に笑顔で返答した。
和やか、と言うよりは緩い雰囲気が流れていた。
「また練習しなくちゃ」
「他のも聴けるの~?」
「えぇ、まだたくさんあるわ」
「やった!!」
「……その前にきちんと休憩をですね?」
「ふふっ、分かってる、分かってるから」
ホウリだけはその黄金の瞳をすぼめて心配そうに声をかける。
しかしアオイはそんなホウリの心配の小言も何のそのである。
絶対に分かっていない様子でほほ笑んでいた。
「あぁ、せっかくだから2人にも何かやってもらおうかしら」
「私も~?」
「アオイさん?」
そうしてアオイはこれからを願う幸せな夢を語り始める。
「3人だし、ビオラとチェロの3重奏なんかもいいかもしれないわね。ホウリがビオラで、プロレタスにはチェロをやってもらって、3人で演奏するの」
「私、出来るのかな~?」
「出来るわよ、きっと。これから」
「――は?」
しかしその夢は叶わない。
人の世は、人ならざる者に厳しい物だから。
明らかにこの場に不相応なホウリの険しい声が響いた。
2人がお喋りを止めて視線を隣に移す。
「ま、待ってください!! ここは無人ではありません!!」
「ホウリ?」
「ん~?」
ホウリは何かを叫んでいる。
しかしその甲斐もむなしく全て無に帰した。
今城に居るのは、人間にとっては2匹の竜と呪いの魔女であったから。
「アオイさん!! 伏せて!!」
「え?」
「なに」
音楽室を爆炎が包み込んだ。
「え、……あ、れ?」
「アオイ!?」
「アオイさん!?」
アオイが目を開けるとまず初めに入っていたのは赤色だった。
彼女のかすむ視界の中で赤の中に白と黄が浮かんでくる。
プロレタスとホウリがアオイの事を見下ろしていた。
「プレ、ロタス? ホウ、リ? いった、い、何が……?」
そして彼女は自分の舌が上手く動かない事に気付く。まるで粘度の高い沼の中に入りこんでしまったようだ。
呂律が回らず、また四肢に至っては全く動かす事ができない。
「ごめんなさい、ごめんなさい!! 私が止められなかったから!!」
ホウリが必死にアオイへと謝り続けていた。
アオイは何故彼女がそんなに申し訳無く思っているのか分からない。
分からなかったが。
「作戦が、開始されました!! 白竜が郊外の無人の城を寝床にしているようだと!! そのまま攻撃に移れと!!」
「……あぁ」
ホウリの嘆きをともった叫びでアオイも理解した。
先ほどのホウリの言葉を思い出す。
どうやらこの城は無人だと判断されたらしい。
彼女が耳を澄ますと断続的に爆発音が聞こえて来ていた。
しかし彼女が感じる事ができたのはそれだけだった。
爆発の振動も炎の熱も、身体の感覚がそもそも鈍くなっている。
そんなアオイの事をプレロタスは無表情に、透明な視線を向けていた。
いつもの呑気な様子も無く、かと言ってホウリのように取り乱しても居ない。
ただただ静かにアオイの事を見つめている。
そこでアオイは自分がどういう状況なのかをおぼろげながら理解する。
もはや誰一人としてこの場から離れようとしなかった。
「ねぇ……、プレロタス、ホウリ、お願いが、あるの……」
自分の終わりを理解したアオイは2人の竜へ声をかける。
最後の望みを伝えるために。
「……なぁに、アオイ?」
「なんですか、アオイさん!!」
プレロタスは静かに優し気に問いかける。
ホウリが真剣に焦った様子で問いかける。
「あなたの為なら、世界だって滅ぼしてあげるわよ?」
プレロタスがアオイに静かに問いかけた。
それは、いつか2人にアオイが告げた願いだった。
貴方が望むのなら、こんな世界なんてと告げるのなら、と世界を壊せる2匹の竜がアオイに手を指しだす。
しかし。
「ううん…………、手を」
彼女の願いはそうでは無かった。
「手を、握ってくれる……?」
ただ私の手を握って欲しいと。もう動かない腕に視線を落とした。
「……えぇ、もちろん」
「はい!!」
2人の竜は即座にアオイの手を握りしめた。
ささやかすぎる願いに、しかしアオイは安心したように瞳を閉じる。
「お願い。どうか、最後まで……」
「……えぇ」
「あぁ、アオイさん、アオイさん!!」
その小さな願いにプロレタスとホウリがそれぞれ答えた。
プレロタスの背中に白い翼が現れる。広げられた白い翼が3人を優しく包み込んだ。
地を揺らして黄金の機龍が着地する。鋼鉄の機体が3人を爆撃から覆いかぶさった。
2人の翼の中でアオイは静かに口を動かしていく。
「春には、……ね。ここは、綺麗な花畑になるの……。暖かな風が吹いて、ピクニックに行って……」
「そうなの……」
「……アオイさん?」
囁くように、彼女は言葉を紡いでいく。
「夏には、森と湖のおかげで、涼しい風が吹いて……。一面の緑が……、ごほっ!?」
しかしアオイが血の塊を吐き出した。彼女の胸元とプレロタスとホウリの2人に赤い花が飛び散る。
「アオイ、もう……」
「あぁ、あぁ……!! 血が、血が!?」
「ごほっごほっ……。あ、秋には、ね? 森が、紅葉で綺、麗に染まって、ね? 木の実が、美味しくて……」
2人に止められてもアオイは話す事を辞めなかった。
体温と共に彼女らに告げたい言葉を吐き出し続ける。
もはや手遅れな事は誰の目から見ても明らかだった。
「冬は、雪が、寒いけど……。暖炉で、暖かい、スープを、飲んで……。音の、無い、外を見て……」
すでに彼女の真紅の眼は2人の姿を捉えていなかった。
ただ透明な綺麗なガラス玉のように白銀と黄金を写すのみになっている。
もう既に、彼女の命を証明するのは手のひらの僅かな熱のみになっていた。
「あぁ……、うん。悪くは、無かった。……けど、それでも…………」
2人の手を握るアオイの指に僅かに力が入った。
生まれたての赤ん坊のように微かで、それでも精一杯離すまいと力強い指が。
「それでも、誰かが、居て、くれた、ら、なぁ、って……」
そしてアオイは、誰にも告げていなかった胸の内を呟いた。
悲しかったのだと。
寂しかったのだと。
誰かが隣に居て欲しかったのだと。
ただ一人、ただ一人でも。
ただ一人だけでも、誰かに傍にいて欲しかったのだと。
「ねぇ、プレ、ロタス……、ホウ、リ……」
そうして彼女は笑った。
「わたし、あな、たたち、に、あえ、てよ、かった…………」
笑って、幸せそうに、2人の竜へ感謝を告げる。
アオイが残したのは世界への呪いでは無く、プレロタスとホウリへの感謝であった。
「おかあ、さん……、やっ、と、わたし、も……」
2人はアオイの手を強く握りしめるが、もう既に彼女が2人の事を認識する事は無い。
返事をすることが無くなったアオイを前に、2人の頬に初めての感覚が流れ落ちる。
そして白銀と黄金の慟哭が森の中に鳴り響いた。
6.世界の終わり
人々の頭上を2人の竜が舞っている。
片や鱗が無い細身の美しい白銀の龍である。
その竜は泣く事を知らず、ただ一人で生きて来た。
片や金属で作られた美しい黄金の龍である。
その竜は泣き方を知らず、ただ一人を強いられた。
2人の龍は空を舞い、熱線を吐き、大地に根ざしている悉くを崩壊させていく。
激情をまき散らしているようでもあった。
全てを憎んでいるようでもあった。
嘆き悲しんでいるようでもあった。
しかし。
泣く事も泣き方も知らなかった2人は今の自分の感情を理解できない。
アオイが死んでしまった事を理解できても、何故死ななければならなかったのか納得できない。自分が納得できていないという状況が理解できない。
そして。
いづれにせよ矮小な人間に出来る事など何も無かった。
もう既に何もかも遅く、アオイが死んでしまった世界の空で、2人の竜は鎮魂歌のように啼き続けていた。
END
あとがき
初めまして、アシアと申します。
今回『Triptych Symphony』を元にした二次創作小説を書かせてもらいました。
『Triptych Symphony』はsoitanさんが14日の記事でも取り上げられていましたね。大変楽しく読ませてもらいました。
折角なので、私も少しだけ『Triptych Symphony』に語らせてもらおうと思います。とは言っても考察などは無く、私が好きな事を語るだけです。
まず作曲がかそかそ先生。
私をらぷり沼に引きずり込んだ曲が『純情アンビバレンス』となります。
作曲:かそかそ先生 作詞:棗いつきたむ の曲です。
今にして思えばそりゃ私に刺さるよ、という布陣なのですが、当時の私は何も知らずに聴いていました。
そして作詞はnayutaさんです。
nayutaさんの好きな楽曲は『時薬』ですね。メンタルが沈んだ時によく聴いてます。
nayutaさんの作詞は喪失と希望というイメージがあります。
そんな訳で『Triptych Symphony』です。
歌詞の中に「灼け落ちた五線譜」や「降り注ぐ戦火」、「終わる世界 奏でる鎮魂歌<レクイエム>」など不穏な言葉が多いのですが、不思議と殺伐とした雰囲気は感じませんでした。
むしろ荒廃した中でも希望を忘れない事、君と出会えた幸福などを歌っているように思えます。
「終わる世界 奏でる鎮魂歌」から「きっと一人では奏でられない」そして「終わる世界 奏でる小夜曲」「終わる世界 始まる終曲は」、最後には「終わりの世界から協奏曲を」なんてもうね。
小夜曲って夜に窓際で恋人に綴った曲というような意味らしいですね。そして終曲、最後の曲が始まる。けれどその後に協奏曲、協力して演奏する曲と。想像力が掻き立てられます。
最後に少しだけ作品の解説を。
それぞれの名前の由来です。
プレロタス:エリンギ 花言葉:宇宙
ハラ・ホウリ:パイナップル 花言葉:完全
天城アオイ:ゼラニウム(天竺葵)
花言葉:友情 君ありて幸福
また作品の下読みをEtris(@bit_Etris)さんとトレミー(@ptoremy)さんにしていただきました。この場でも感謝を申し上げさせてもらいます。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
私はSNSでも低浮上な人間なのですが、せっかくなのでと今回の企画に参加させていただきました。
結果とても楽しく執筆をさせて貰いました。企画してくださったEtrisには重ね重ね感謝申し上げます。
最後に、冬の寒さも厳しくなり様々な感染症が流行りだしました。
年が明けたら『たむ2ndワンマン』『なくちゃ1stワンマン』『らぷりツアー 東京公演』と怒涛の勢いで供給がやってきますね。どうぞ皆様ご健康に。
らぷりえーる、並びにらぷりすの皆様のご健康を祈願してこの記事を締めたいと思います。
おつぷりえーる!!
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