天使に祈りを
らぷりアドベントカレンダー20日目の記事になります。
19日目の記事
コワレテシマッタワタシノトモダチ|S1romaru@らぷりす
21日目の記事
上記の記事も是非ご覧になってください。
以下に『羽ばたく君へ』を題材にした二次創作小説が続きます。
せつな①
しんしんと、窓の外には雪が降っている。
部屋の中にある勉強机には桃色のランドセルがかけられていた。机の上のデジタル時計には12月24日、13時13分と表示されており、その横には友人と撮影したのだろう写真や可愛らしい鞄や小物が並べられている。
冬休みに入ったばかりのクリスマスイブ、しかも雪が降りつもり始めている。
その部屋の小学生にとって、さぞ喜ぶだろう要素がそろっていたが。
「はぁ……」
先ほどから部屋にこだましているのはため息ばかりだった。
少女が赤い花柄の掛布団を被って不安そうに窓の外を眺めている。しかし彼女がいくら見つめようとも窓の外の景色が、その天気が変わる事は無い。
「はぁ…………」
少女がもう一度大きなため息を吐く。そのまま布団を頭まで被った。
どうか晴れますように、せめて雪が止みますように。
彼女はそんな願いを頭の中で唱えるが、人間に天候をどうにかする力などありはしなかった。
しかし。
「――え?」
少女が布団から顔を出すと雪が見えなくなっていた。
部屋の中、いつの間にか少女の視界を遮るように女性が浮かんでいる。
薄く赤みがかった茶色の髪。その顔には優し気な瞳が閉じられている。
服装は桃色のフリルで飾られた白いブラウスに、こちらもフリルが着いた黒いハイウエストスカート。それはまるでアイドルのような女性だった。
しかし、何より少女の目を引いたのは、雪の様に純白な羽である。
その姿はを見て、少女は頭に思い浮かんだ言葉を吐き出す。
「て、天使?」
少女の言葉で女性が目を開く。
その瞳は人間ではありえない澄んだピンク色をしていた。
少女はその姿に恐怖よりも先に心奪われてしまった。呼吸も忘れて天使を見入る。
そんな少女へ、天使が口を開く。
「こんにちは」
少女は自分が話しかけられたと気づかずに返事も忘れてしまう。
天使は少女の様子に気分を害した様子も無く、そのまま言葉を続けた。
「私はなゆた。せっかくのクリスマスイブに、ため息を吐いている子の悩みを聞きに来たよ」
なゆた、と名乗った天使はからかう様に微笑んで少女に声をかける。
「まずはお名前を聞いてもいいかな?」
そう言ってなゆたは右手で少女に促した。
そこでようやく少女は天使が自分に話しかけているのだと気が付いた。
「え、あ、その……、せ、せつな、です」
「うん。せつなちゃん。良い名前だね」
せつなは言葉に詰まりながらも返答した。
そして、なゆたはせつなに改めて問いかける。
「それで、せつなちゃん。そんなにため息を吐いてどうしたのかな?」
クリスマスイブ、悩める少女の元に天使が舞い降りた。
またそれはこの少女の元だけにとどまらない。
クリスマスイブの日。世界に何の影響も及ぼさない、小さな小さな奇跡が起きようとしていた。
陽太①
カリカリと、鉛筆の音が部屋の中に響く。
部屋の中心にローテーブルが置かれ、1人の少年が問題集に向かっている。眼鏡をかけ、神経質そうに瞼を細めた彼は一心不乱に問題を解き続けていた。
そのすぐ脇には『中学受験問題集』『中学受験過去問集』等、付箋が張られた冊子が重ねられている。
「……ふぅ」
少年は一区切りついたのか、鉛筆を置いて大きく背伸びをする。
そしてチラリと背後の窓を振り返った。
雪はまだ降り続いているだろうか、と外の天気に関心を向けようとしたが。
「ひっ!?」
窓の外にそれはいた。
青みを帯びた白い髪に雪の様な白い肌、そして人間ではありえない蒼い瞳。
美しい女性が窓から部屋の中を覗き込んできていた。
少年の頭に不審者と言う単語が思いついたが、すぐに否定する。
ここはアパートの2階なのだ。しかも外はベランダでは無い。
つまり。
「う、嘘だろ……」
腰が抜けた少年が這って後ずさろうとする。しかしテーブルに腕を打ち付け、態勢を崩してしまった。
そのままの勢いで彼は頭をテーブルにぶつける。
「――っつ~~っ!?」
頭を抱えて床を転げまわる少年。
「うわ~、痛そう……、大丈夫?」
そこへ、少年が聞いた事が無い声がかけられた。
透き通るような声はまるで純度の高い水のようだ。痛みに悶える彼の耳にもはっきりと染み渡っていく。
少年は涙目になりながら瞼を空ける。
目の間に彼女が立っていた。しかし先ほどとは感じられる雰囲気が変わっている。
蒼い瞳は心配そうに細められ、その表情は生きている人間そのものだった。服装も蒼いフリルが着いた白いブラウスに、黒い紐ネクタイが蝶々結びで飾られている。その下も蒼いフリルで彩られた黒いハイウエストスカートである。
よく見るとその姿は幽霊と言うよりは、まるでアイドルのようだ。
しかし、何より人間でありえないのがその背にある白い羽だった。
天使、という単語が彼の頭に思い浮かぶ。
少年はその美しさに引き込まれそうになってしまうが、彼女が窓を開けずに部屋の中に入ってきている事に気が付いた。
彼は息を飲んで女性を見上げる。
「陽太ー? 大丈夫ー?」
部屋の外から声がかけられた。
陽太、と呼ばれた少年が我に返る。
「か、母さん!! 実は――」
彼が言葉を終える前に部屋の扉が開いた。
トレーナーを着た眼鏡の女性が扉から顔をのぞかせる。
しかし。
「んー?」
陽太の母親は怪訝な表情で部屋の中を見渡した。
「あんた大丈夫? 何を1人で騒いでたの?」
「は!? い、いや……」
陽太は傍らに立った女性に横目で視線を向ける。母親もその視線をたどるが。
「……虫でも出た?」
その口からはこぼれた言葉は陽太には信じられない物だった。
「はぁ~!? 虫じゃ無いが!?」
そして大声で反論したのは正体不明の女性だった。しかし母親はその言葉が聞こえていない様に言葉を続ける。
「ちょっと待ってな。殺虫剤持ってくるから」
「虫じゃありませんー!! 天使ですー!!」
陽太はまるで寸劇の様に繰り広げられる母親と自称天使の様子を虚ろな目で見上げる。
彼はこれから自分がどんな出来事に巻き込まれるのか、と自らの頭を抱える事になった。
緑①
トントンと、不安そうな足音が部屋に響く。
「だ、大丈夫かな……」
少年が窓から外を眺めつつ、不安そうにつぶやいた。
心配そうに体を縮こまらせている小柄な彼は、ともすれば女の子とも見られそうな少年だった。
そのゆれる瞳には雪がちらついている。少年は視線を机に移す。
まるで会社のようなシンプルな机にはランドセルと几帳面な字で『冬園 緑』と書かれた名札がかけられている。
そして友人同士で撮ったのだろう写真と時計が置かれていた。
写真と時計を確認した緑は再び窓の外に視線を向ける。
「雪さえ止んでくれたら……、で、でも間に合うかな……」
そうして緑は再び不安を言葉にして口に出す。
……しかし天使は未だ現れなかった。
せつな②
「なるほど、友達と喧嘩しちゃったんだね」
なゆたはせつなの涙ながらの言葉を聞き、少女を慰める様に確認する。
「うん……。昨日、急に転校するって聞いて……」
せつなは布団から出て来ていた。椅子に座ってなゆたと向き合っている。
しかしその顔は伏せられており、その声もまだ水音が混ざっていた。
なゆたは膝を折って、せつなと視線を合わせる。
「せつなちゃんはそのお友達の事が大好きなんだね」
「……小学校に入ってから、ずっと仲が良かったの。夏休みには一緒にキャンプに参加したり、休みの日は皆で遊んだりしていたのに……」
「うん」
「けど、何にも言ってくれてなかったの……。引っ越しちゃうって……」
「その事が悲しくて、せつなちゃんはその子と喧嘩しちゃったんだ」
なゆたはせつなを優しくなだめながら彼女の想いを言葉にしていく。
「うん……。皆で、同じ中学に行けると思ってたのに……」
なゆたの言葉にせつなが頷く。
そして、その表情がくしゃりと歪んだ。
「けどね。謝ろう、って思ってたの……。ちゃんとさようならって言おう、って。だけど……」
せつなが窓の外に視線を向ける。
そこには今でも雪が降り続けていた。
「どうしよう……。ちゃんと謝りたいのに……」
雪で電車が動かないのだと、せつなは涙ながらに告げた。
「私、どうしたらいいのかな……」
「せつなちゃんは、どうしたいの?」
「……え?」
せつなは懇願するように告げたが、なゆたが返したのは質問だった。
困ったように見上げて来るせつなの視線をなゆたは優しく受け止める。
そして少女を困らせてしまった事に気が付いた天使は、少し慌てたように言葉を付け足した。
「あぁ、ごめんね。ちょっと言い方が意地悪だったね」
「ううん……、そんな事無い、です。びっくりしただけ……」
「許してくれてありがとう。けど、やっぱり大切なのはせつなちゃんがどうしたいかだと思うな」
「私が、どうしたいか……?」
「うん」
なゆたから告げられた言葉にせつなが首を傾げる。
「私が、したい事は……」
「うん、それはなあに?」
「ちゃんと、謝りたい。こんなお別れはやだ……」
しばし悩んだ後に、せつなは言葉を絞り出した。
その言葉でなゆたが一つ頷いた。
「うん」
「もう一回、お話がしたい」
「うん」
せつなの言葉になゆたの笑みが深まっていく。
泣いていた少女が前を向き出す。
しかし。
「……けど、できないの」
少女の目に再び涙が溜まりだした。
「雪のせいで、電車が止まっちゃって……」
「せつなちゃん……」
「私、どうしたらいいの……っ!!」
せつなが何も出来ない事を嘆く。
それは少女にはどうしようもできない事だった。
そして、それゆえに天使が舞い降りたのだから。
なゆたがせつなへ優しく微笑んだ。
陽太②
「こんにちは。わたし、なくるって言います。天使です」
陽太は目の前で名乗った自称天使を半眼で見上げた。
彼が殺虫剤を持ってきた母親をなだめて追い出したのがつい先ほど。
疲れて頭を打っただけという陽太に母は「受験も近いんだから無理しすぎない様にね」と言って部屋から出て行った。
そして今、名乗られたのが「天使です」という自己紹介だった。
陽太は勉強のしすぎて疲れたか、と頭を抱える。
しかし。
「どうしたの? 頭痛いの? うわぁ、何この問題……。今の小学生ってこんなの解いてるの? そりゃ頭痛くなるよねぇ」
なくると名乗った天使は陽太が解いていた問題集を見て眉を寄せていた。
2階の窓から入って来た事といい、彼の母親が認知できなかった事といい、彼女が普通ではない事は少年にも理解できている。
それでも彼女が口を開くごとにその神秘さも抜けていくようだった。
最初の幽霊の様な恐ろしさも、覗き込んできた時の美しさも、そのどちらもが薄れてしまっていた。
陽太は少し不思議なお姉さん、という印象を彼女に抱く。
「天使って、……本物?」
陽太は怪訝そうになくるに尋ねた。
「もちろん。ほら」
陽太の質問になくるは背中を見せた。彼女の背中の白い羽がパタパタと動く。
その動きに合わせて机の上に置かれていたプリントが宙に舞う。一緒に残り少ない神秘さも飛んで行ってしまいそうだった。
「分かった、分かったから!!」
陽太は母親に聞こえない様に小声で、しかし、しっかりとなくるに聞こえる様に叫ぶ。合わせて両腕を前に出して動きでもアピールする。
「……信じるから」
「ふふん。ね? 天使でしょう?」
陽太は疲れたように俯く。なくるは得意げに胸を張っていた。
「……それで? 天使が一体何のようなのさ? 僕、受験勉強で忙しいんだけど」
陽太はさっさと話を進める事にした。飛んだプリントを集めながらおざなりに質問をする。
「ずばり、君は今悩みがあるでしょう!!」
陽太の問いかけになくるが勢いよく返答した。
しかし。
「何? バーナム効果?」
「……ばーなむこうか?」
陽太はけんもほろろに切り返した。なくるが首を傾げてオウム返しに言葉を発する。
「誰にでも当てはまる事をいう事。悩み何て、誰にだってあるでしょ?」
彼の冷たい反応になくるは目をぱちくりとさせた。
しかし、彼女はすぐに気を取り直したように前のめりになって少年に食って掛かる。
「な、ならその悩みは人間関係によるものでしょう!!」
「誰だってそうじゃない? 人間の悩みは全て対人関係から生じる物、って言葉もあるよ?」
「最近の子ども頭良すぎない!?」
けれど、なくるはさらに鋭く打ち返されて叫びをあげる事になった。彼女の声は外には響かない事が幸いである。
陽太はそんな彼女の様子を冷たく見つめていたが。
「もー!! なら君はお友達と喧嘩してるんでしょ!!」
「それは……」
しかしなくるが放った一言で陽太の表情が歪んだ。
図星を付かれたように眉を顰める。彼の視線が窓際に置かれている写真立てに一瞬だけ移った。
そこになくるはさらに言葉を続けていく。
「けど、この天気のせいで謝りに行けない!! だからせっかくのクリスマスイブだっていうのに、ずっと机に座りこんでる!!」
「……別に。ただ受験が近いから勉強してただけだよ」
なくるの追及に陽太はバツが悪そうに視線を逸らす。
「何度も何度も、窓の外を見てたのに?」
「……寒くなって風邪をひいても困るからだよ」
「素直じゃ無いなぁ……」
しかし、それでも陽太はもっともそうな理由を繰り返してきた。
「だいたい、転校が何だって言うんだよ……。別にスマホで連絡を取ろうと思えば、いくらでも取れるじゃん。会おうと思えば、電車でも飛行機でもすぐに会いに行けるだろ? それくらいで大げさなんだよ」
陽太は調子を取り戻したように肩をすくめながらなくるに言葉を放っていく。
そうして集めたプリントを再びローテーブルに広げた。
「それに、今僕がやらなきゃいけないのは勉強だよ。さっきも言ったろ? 年が明けたら受験なんだ。それに……、そう。今こんな天気で外に行っても電車は動いて無いし、風邪でも引いたら大変じゃないか」
だから、と。
「だから、別に今、わざわざ会いに行く必要なんてないだろ?」
陽太はなくるに背を向けて問題に向き直った。
「僕は絶対に受からないといけないんだ。だから、これが僕が今やらなきゃいけない事なんだ」
そんな彼の背中をなくるは静かに見下ろしていた。
緑②
「間に合ったぁ!!」
「――ひゃっ!?」
静かな部屋に何かが飛び込んできた。緑は急に響き渡った張りのある声に肩を震わせる。
彼が振り返ってみれば、開いた窓の前に見た事が無い女性が浮かんでいた。
まず目に入って来たのは太陽の様に輝く金色の髪だった。その下には勝気な猫を思わせる整った顔と、瞳にはこちらも黄金の瞳が輝いている。
服装は黄色いフリルのついた白いブラウスシャツに黒のショートパンツと、ボーイッシュないでたちであった。
そんなアイドルの様な女性は膝に手をついて荒い呼吸を整えている。
少年は突如現れた人物に目を見開き、そしてさらに彼女の背中に白い羽が生えていることに気が付く。
「……て、天使?」
緑は驚いて放心したように女性を見上げる。見知らぬ天使、という未知の状況に彼の緊張は最大まで高まってしまっていた。無意識に口から漏れ出た言葉以降、何もいう事ができなくなってしまう。
「いや、ほんっとうにごめんね!! 雪で方向が分かんなくなっちゃってさ!!」
しかし息を整えた天使はそんな彼の目の前で両手を合わせて頭を下げた。
自分よりも大人な女性に謝られた少年は先ほどとは別の意味で驚く。
「え? え?」
「事情は友達に聞いてるから。私いつき。天使をやってます。よろしくね」
いつきと名乗った天使は未だ思考が回っていない少年に手を振る。緑は一拍遅れて挨拶をされていることに気が付いた。
「あ、えと……。冬園緑、です」
「おっけー、緑君。君は友達と喧嘩しちゃった。謝りに行きたいけど、雪にせいで行く事ができない、という事でいいかな」
「……う、うん」
「よし。だったら急ごう。遅れた分はきちんと取り戻すからね」
いつきはてきぱきと状況を確認していった。
そうして彼女は自分が入って来た窓に向き直る。
しかし。
「……緑君?」
緑はその場で俯いたままだった。
少年の様子にいつきは首を傾げる。
「どうかしたの?」
「……な、仲直りできるのかな?」
緑は視線を床に向けたまま、ぽつりと呟いた。
そんな少年の様子にいつきの表情が僅かに曇る。
「……それは、やってみないと分かんないね」
「できなかったら……?」
転校する友達と仲直りが出来なかったらどうなるのか、という緑の疑問。
その答えを二人とも口にはできなかった。
もう二度と会う事はできない、というのは未だ10数年しか生きていない子供には重いものだったから。
「……けど、仲直りしないと、君はずっと後悔するんじゃない?」
「それは、そうだけど……」
いつきは緑を励ます様に目線を合わせて言葉をかけた。
しかしそれでも少年の表情はすぐれない。
「……でも、やっぱり無理だよ」
そして緑はいつきから視線を逸らす。
「な、何て言ったらいいのか、分からないんだ……。そもそも、間に合うかどうかだって……」
緑の視線が窓の外に向く。
空からは未だに雪が降り続いていた。
「だから、仲直りなんて、無理なんだ……」
うつむく少年にいつきはまっすぐな視線を向けていた。
せつな③
「せつなちゃんは凄いね」
「……え?」
涙を溜めだしたせつなになゆたが優しく声をかける。
その暖かな声に少女が顔をあげた。
「ちゃんと自分のやりたい事が分かってる。それは凄い事だよ」
なゆたがせつなの頭を優しくなでた。
両親から撫でられるのとは違い、手の感触を感じない。それはお日様の様な穏やかな温かさであった。
そのぬくもりにせつなの涙が止まる。
しかし。
「でも、出来ないんだよ……」
再びせつなの涙が零れそうになった。
謝りたいと思っている、しかしそれは出来ないのだと、悔しさと後悔が溢れそうになる。
「ううん。そんな事無い。きっとまだ間に合うよ」
それをとどめたのは、やはりなゆたの言葉だった。
泣いている少女へ、天使が右手を差し伸べる。
「だからね、後はせつなちゃんがどうするかだけだと思うな」
「私……?」
せつなは差し出された手を見上げた。
少女の不安そうな視線を、なゆたは優しく頷いて受け入れる。
貴方はどうしたいのか、と天使の視線が問いかけていた。
「わ、私は……」
「うん。せつなちゃんは?」
そして少女は言葉に詰まりながらもその望みを口にする。
「ちゃんと、謝りたい……っ!!」
「……うん」
せつなの望みになゆたの笑みが深くなる。
「お話がしたい……、ちゃんと、さよならって……、ううん。……またね、って言いたい!!」
少女は天使の手を握った。
「うん、じゃあ行こう!!」
なゆたはせつなに満面の笑みで頷いた。
少女はその声を合図に、机の上に準備していた可愛らしい鞄を手に取る。
その小さなポシェットには定期や財布など、必要な物は既に準備されていた。
「お父さん、お母さん!!友達に会いに行ってくる!!」
そしてせつなは両親からの返事も待たずに玄関から飛び出した。
空は未だ曇天ではあったが、雪は小降りになっていた。
せつなは駅までの道を走り出す。
道の端には雪が残っていたが、そのほとんどは溶けてしまっていた。
歩道は泥と雪解け水にまみれており、かなり走るのに苦労しそうな状況である。
しかし、せつなが目指している駅方面だけは綺麗に整えられていた。
そして、それだけにとどまらない。
「はぁ、はっ、う、嘘……」
彼女が信号に差し掛かると、指し示したように青信号へと変わっていく。
せつなは家を出てから一回も足を止める事無く駅までの道を走る。
少女は信じられない様になゆたを見上げた。
彼女は走っているため上手く言葉を紡ぐことが出来ない。ゆえに視線で「あなたのおかげなの」と問いかける。
せつなの疑問に、なゆたは口元に指を当てて返答した。
まるで「内緒ね」といたずらが見つかったような仕草にせつなは見惚れてしまいそうになる。
そしていつの間にか、空からは晴れ間が差し込み出していた。
太陽の光を背に飛ぶなゆたの姿に、せつなが思いつく言葉は一つだけだった。
天使、と。
「着いたよ」
なゆたが発した言葉でせつなは我に返る。
いつの間にか駅に到着していた。
少女は駅校内を見渡す。後は電車が動いているかであったが。
「そんな……」
そこにあったには「雪のため電車は運休しています」という文字だった。
せつなはその場に崩れ落ちてしまいそうになるが。
「ううん。大丈夫だよ、せつなちゃん」
「……え?」
『皆様、大変長らくお待たせいたしました。ただいまより列車の運行を再開いたします。一番ホームの電車は空港行き快速……』
せつなはそのアナウンスに信じられない様に顔をあげた。
視線の先でなゆたはやはり微笑むのみである。
せつなは彼女に背を押されるように改札へと走り出した。
陽太③
「やらなきゃいけない事か……、そうだよねぇ」
陽太の言葉をなくるは同意するように繰り返した。
少年は天使の言葉に鉛筆を止める。
「人生なんてやらなきゃいけない事ばっかりだよねぇ……。それも面倒くさくて嫌な事ばっかり。神様は何にもしてくれない。私だって、本当は好きにご飯を食べて、幸せに生きていきたいだけなのに。それすらできない」
「……え?」
そして陽太は背後で怨念の様に絞り出されていく言葉に思わず振り返った。何なんだ一体、と表情でなくるに問いかける。
しかし、なくるはそんな彼にお構いなしに愚痴をこぼし続けていく。
「人生はやらなきゃいけない嫌な事ばっかりがやって来て、しなくちゃいけない事ばっかりが増えてくの。それにどんなに頑張っても頑張っても、報われるとは限らないし、何なら私以外の理由でトラブルが出て来てさらに仕事も増えるし。あー、ほんっとうにもうっ!!」
「あ、あの……?」
陽太は目の前で繰り広げられる生々しい言葉に顔を引きつらせる。
この人大丈夫か、と彼は顔を引き攣らせながらなくるを見上げていた。
しかし。
「……けどね」
なくるの視線が陽太を捉える。彼はその深海の様な瞳に引き込まれてしまう。
「だからこそ、自分のやりたい事すらやらなくなっちゃったら、人生全部嫌な事ばっかりになっちゃうよ?」
「そ、れは……」
そして彼は、告げられた言葉に何も返せなかった。
言葉を失った少年へとなくるは言葉を続ける。
「そんな事、私は嫌。私は私のやりたい事をやりたいの」
その言葉はまるで子供の我儘の様な言葉だった。
やりたい事をやりたい様にやる。
言葉では簡単だが、それを実行する事がどれだけ難しい事は陽太でも理解できる。
それでも、と天使は少年に告げる。
「お腹いっぱいご飯を食べたいし、友達とたくさん遊びたいし、旅行にも行きたいし、歌も歌いたいし、TRPGだってまだまだ回ってないシナリオがたくさんあるんだから!!」
私はこうして生きたいのだと。
望みを口にして、なくるは堂々と笑った。
「……だから、ね。 君は?」
そうして天使は少年に右手を差し出す。
「ぼ、僕……?」
陽太は差し出された手をぼんやりと見つめる。
二転三転する彼女の感情は既に彼の理解を超えていた。
そんな少年へなくるは優しく問いかける。
「君は何がやりたいの? 君は何が好きなの? 君が今、一番考えていることは何?」
その言葉は陽太の混乱した頭にも染み入ってきた。
彼の視線が写真へと移る。
しかし、陽太の頭に思い浮かぶのは相も変わらずの良い訳ばかりだった。
こんな雪の中行ったところでたどり着けるわけがない、間に合う訳がない。そもそも行って何を話すのか。ただ、友達の一人が転校するだけじゃないか。いざとなったらネットで話すことが出来る。会おうと思えばいつでも会える。
またこんな雪の日に外に出て風邪を引いたらどうするのか。受験勉強にだって影響が出る。そうだ。今病気になったら志望校に落ちるかもしれない。
だから僕が行かない事は何一つ間違っていない。
だから、と。
「……そっか」
しかし、そんな思考とは裏腹に陽太はなくるの手を取っていた。
なくるが静かに頷く。
陽太は驚いたように自らの腕を見つめていた。目を見開いている彼の視線をなくるは笑顔で迎える。
そのまま彼女は彼の手を引いて後ろに下がった。
「う、うわ!?」
「手を離さないでね?」
窓に激突するかと思われたなくるだったが、彼女の姿はそのままガラス窓に吸い込まれていく。
陽太も驚く間も無くなくるに続いた。
「なっ!?」
そこは真っ暗な世界だった。
どれだけ広いのか分からない。陽太の驚いた声が返ってこない。
彼が見上げると、自身の部屋の明かりがどんどん遠ざかっていた。
陽太は本能的に恐怖を感じて自らの体を強く抱きしめる。
「大丈夫」
そこへ優しい声が降りかかる。
陽太が目を開くと、なくるが笑っていた。
彼はその笑顔に目を奪われる。深淵の中、うっすらと光り輝く彼女の姿はまるで。
「天使……?」
彼は今自分が落ちているのか、昇っているのかすら分からなくなってしまっていた。
しかしそれすら忘れて陽太はなくるの手を強く握る。
なくるも優しく握り返してきた。
そして次の瞬間、陽太の視界が光に包まれた。
到着したのか、と思ったのもつかの間。彼がまず感じたのは轟音を水しぶきだった。
「……え?」
視界が回復すると、陽太の眼前には深い色の水面が飛び込んでくる。
そうして彼は自分が滝つぼに落下している事に気が付いた。
「――ぅああああああぁぁ!?!?!?!?」
「あ、間違えちゃった……」
叫ぶ彼と、対照的に笑顔のなくる。
彼らが水面に落下すると、2人の視界は再び暗闇に包まれた。
緑③
「……ちゃんと伝えたの?」
「……え?」
緑は不意に告げられた質問に顔をあげる。
彼の目の前ではいつきは優しく微笑んでいた。
「仲直りしたいって、相手にはちゃんと伝えたの?」
「それは……」
いつきに問いかけに緑は返事が出来なかった。
そんな少年の態度にいつきの笑みが深まる。
「よし。じゃあまずはそこからだね。気持ちはちゃんと言葉にして伝えないと」
そして緑に右手を差し出す。
向けられた手に彼を視線をさ迷わせる。
「で、でも、何て言えば……?」
「それは君が考えてみよ? 君の伝えたい事は、きちんと君が言葉にしようよ。大丈夫、私も一緒に考えるから」
躊躇する緑だが、それでもいつきは態度を変えなかった。
ただまっすぐ緑を見つめる。
「でも仲直り出来ないかもしれない……」
緑は先ほどと同じ質問をした。
その不安にも、いつきは迷わず返答する。
「うん、そうだね。確かに仲直り出来ないかもしれない」
いつきの容赦無い言葉に緑が俯く。
ここで仲直り出来なかったらもう会えないかもしれない、という恐怖が彼にまとわりつく。
「けど、仲直りできるかもしれないよ? やってみないと分かんないんならやってみようよ。大切なのは君がどうしたいか、だと思うけどな」
いつきはそんな恐怖を振り払える様に緑を励ましていく。
「……でも」
「絶対、やらずに後悔するよりいいって。ね?」
「……こんな僕でも、できるかな?」
緑が不安そうにいつきを見上げた。
天使は少年の不安を吹き飛ばすために、魔法の言葉を紡ぎ出す。
「それでも、君ならできるよ」
いつきは満面の笑みで緑に告げた。
「誰にだって、やってみる事は出来るんだから」
その笑顔に引き込まれるように、緑が躊躇いながらいつきの手を取る。
彼の腕は震えていたが。
「まずは一歩、だね」
「う、うん」
それでも、緑は自分の意思でいつきの手を取った。
「よし。なら改めて空港に急ごう!!」
ゆえに、いつきは立ち上がってやるべきことを口にする。
「け、けど、どうやって? 雪も降ってるし、そもそも間に合わないんじゃ……」
「大丈夫大丈夫、そこは私が何とかするから」
そしていつきは緑の不安を笑い飛ばした。
「何とか?」
首を傾げる緑の前でいつきが両腕を広げる。
「ご都合主義は好みじゃ無いけど――」
そして、いつきの左手にスケッチブックが現れる。
「――悲しいだけの物語は、もっと嫌いなんだから!!」
さらに、いつきの右手に羽ペンが現れた。
驚く緑の前で、いつきがにやりと笑った。
「ねぇ、君。空飛ぶ車って、興味ある?」
天使の腕が踊りだす。
物語を現実にするために。
辛い悲劇を、ハッピーエンドへ導くために。
羽ばたく君へ
「着いた!!」
せつなが空港内の駅改札を抜ける。
いつの間にかなゆたの姿は見えなくなってしまっていた。
彼女はそのまま空港の搭乗口に向けて走り出す。
そして、その途中で彼らと出会った。
「緑!? 陽太!? なんでここに?」
「せつなちゃん!?」
「せつな!? お前も来れたのか!?」
緑と陽太が驚いた顔でせつなを迎える。
3人は意味が分からない様に顔を見合わせた。
「どうやって二人は……」
「い、いや。俺達もさっき会ったとこなんだ」
「う、うん。まさかせつなちゃんまでいるなんて……」
緑と陽太は気まずそうに言葉を濁す。
そんな二人の様子にせつなは眉をひそめたが。
『~視界不良のため、運航を見合わせております。運航に再開につきましては、皆さま掲示板を』
空港内に流れていたアナウンスに3人全員が顔をあげた。
そして一番最初に動き出したのは緑だった。
「――行こう!!」
緑は陽太とせつなの手を引いて走り出す。
いつもの引っ込み思案な彼からは思いもよらない行動に2人が目を丸くした。
「……うん。ちゃんとまたね、って言わないと」
次にせつなが走り出す。
「い、いや、僕は……」
陽太は躊躇するようにしていたが。
「あー、もう!!」
最後には二人の後を駆け出した。
走り出す3人の少年少女たち。
その様子を空から3人の天使たちが笑顔で見つめていた。
ひらひらと、窓の外を桜が舞い踊る。
「行ってきます!!」
玄関からは真新しい制服に身を包んだ中学生の声が響いてきた。
その部屋の机に上には、制服が違うが、仲睦まじげな4人の写真が飾られている。
写真を確認した天使は満足したように空に昇って行った。
これは世界に何も影響を及ぼさない。
しかし誰かを笑顔にした、小さな小さな奇跡のお話でした。
おしまい。