幸せなセカイ(ENIGMA二次創作小説)⑥今の幸せ

以下の記事の続きとなります。

以下より本文開始です。



 風の中に僅かだが秋の涼しげな色が混じってきていた。
 昨今は夏が長く続き、ある時を境に急激に寒くなる事が多い。
 日本に四季がなくなってしまったと言われて久しく、今日は珍しい日だ。
 朱納神社の居住区の縁側で外を眺めていると、聞き馴染んだ声が降ってくる。
「や、千桜ちゃん。お待たせ」
 逸先輩がお盆に緑茶と羊羹を2人分準備している。
 彼女はそのまま私から少し距離を置いて腰かけ、私たちの間にお盆がおかれた。
「ありがとうございます。いただきます」
 私は早速羊羹に手を付けた。
 竹作られた菓子楊枝で切り分けると、しっかりとした重みが伝わってくる。
 しかし口に含むと重たい感じは感じず、程よい甘さも相まって、するりといくらでも食べることができそうだ。
「さて。それで千桜ちゃん。HO-RAIについてだけどね」
 逸先輩は私が羊羹を飲み込んだのを確認して声をかけてきた。
 そう、今日朱納神社を訪れたのは羊羹をいただくためではない。
 HO-RAI事件の後始末についての報告だった。
「魔法協会の方でもエニグマ事件だって認定されたよ。まぁ、協会の人間が囚われちゃってたから認定せざるを負えない、って感じだったけど」
「ふん。その苦々しい顔が簡単に思い浮かぶよ」
 自分たちで解決することができなかったげく、解決したのは魔法が使えなくなった私なのだ。
 さぞその権威が傷ついただろう。
 まったく、解決できたのならそれでよかろうに。
「……しかしあれだな。魔法が使えなくなってから、こうしてエニグマ討伐がちゃんと認められるとはな」
 私の魔法の性質上、そもそもエニグマとその被害もろとも無かった事にしてしまっていた。
 エニグマを討伐したというのは私の記憶にしか残らないのだ。
 そのせいで魔法協会の人間とトラブルになってしまった事もあったのだが、こうして魔法使いで無くなってから認められるのも複雑だった。
「ふふふ。魔法協会でも噂になってるよ?」
「噂?」
「あぁ。芹生千桜が魔法を再び使えるようになった。新しい魔法に目覚めた。魔術を修めた。とかね?」
「まったく……」
 あまりの噂に呆れてしまう。なんだそれは。
「エニグマを討伐出来たら魔法や魔術が使えるのか? 頭が固いな」
「それだけすごい事だったってことさ」
 逸先輩は楽しそうに笑っているが、この人は事態を面白がっているだけだろう。
「まぁ、好きに言わせておこう。勝手に私を思い込んでいてくれ」
「ふふっ、ま、そんな訳で千桜ちゃん当てに報酬も出すって」
「ん? いや、それは別に……」
 正直、魔法協会と今更関わりをもちたくないという気持ちもある。
 それにそもそも今回の件は偶然が重なった結果なのだ。逸先輩と病の協力も大きいし、私の手柄と言い張るつもりもない。
「まぁまぁ、もらってあげてよ。ここで千桜ちゃんが報酬まで辞退したら、魔法協会の立つ瀬が無いでしょう?」
「……あぁ、なるほど」
 自分たちはエニグマを討伐できず、魔法も使えなくなった私に討伐されたからか。
 魔法協会が絡んでいた、という形式が必要なのだろう。
「わかった。今後のためにも先立つものは必要だしな」
 私は素直にそれを受け取る事にする。
 魔法使いで無くなった私は今後一般人として生活をしていくことになる。その時にお金はあっても困るものではないだろう。
「……ん? そういえば病への報酬を渡していなかったな」
 報酬の話で病を思い出した。
 彼女は私たちの依頼に巻き込んだ形となっている。
 探偵事務所を経営している以上、報酬の支払いが必要になるだろうと考えたのだが。
「あぁ、そこは千桜ちゃんはいいよ。こっちで話がついているから」
「しかし……」
 逸先輩からやんわりを断られてしまう。
 私が発端な以上、必要があると思うのだが。
「あー……、実はあの子、事件のごたごたの最中になんか、HO-RAIのぷろぐらむこーど?を手に入れたらしくてね?」
「……なんだそれは?」
「なんでもそれがあればHO-RAIと同じ世界を作れるんだって」
「何? それは」
「うん。けど再現できるのは世界だけみたい。エニグマがいなくなった以上、あそこまでの事は出来ないらしいよ。あくまで現実と同じ世界が作れるだけだってさ」
 それならばいい、のだろうか。
 仮想空間に詳しくない以上、それがそれだけの事なのかもわからない。
「それと、千桜ちゃんに。今回はどうもありがとうございました。今後とも魂叢探偵事務所をどうぞ御贔屓に。そして個人的にも仲良くしてほしいなー、だと」
「はぁ、逸先輩の妹はずいぶんやり手だな……」
 病はぼんやりしているかと思ったが、存外したたかな性格のようだ。
 今回の件では大本のHO-RAIを手に入れ、私に貸しを作った形になる。
 だてに探偵事務所の代表取締役をしていない。
「まぁ、あれで千桜ちゃんの事が気に入ったんだよ」
「それだけならいいが……」
 底が読めずに恐ろしい気もしてくる。
 しかし彼女について考えても無駄なので、話を切り替える事にする。
「はぁ、では次はこちらだな。大伴瑞希についてだ」
 事件後に私が進めていた事を話し出す。
「彼女についてだが、返信は返ってきた。しかし時間が欲しいそうだ」
「ん、そうだろうね」
 大伴瑞希にはあれから何度か連絡を送っていた。
 最初は何も返ってこなかったが、HO-RAIの正体の話をすると、いくつか返事が返ってきた。
 私の説明を聞き終えた彼女が最後に告げたのが、時間が欲しいという物だ。
 彼女にもいろいろと整理する時間が必要なのだろう。
 そして、彼女についてはもう一つ考えがある。
「そして、落ち着いたらだが、大伴瑞希を皐月理咲に合わせてみようと思う」
「皐月理咲? HO-RAIの製作者の? けど……」
「あぁ、わかっている。皐月理咲は卯月原水朔ではない」
 卯月原水朔は皐月理咲のデータを元にHO-RAIが作り出した存在だ。
 あれは大伴瑞希に都合よく作られていた可能性が高い。また、皐月理咲本人も入院中なのだ。
 しかし。
「けれど、大伴瑞希が友達が欲しいと願っているなら、きっかけにはなるはずだ」
 それでも、瑞希にとってそうした方が良いと思ったんだ。
 自分に都合がよい存在ではなく、一人に人間としての相手に向き合ってみてほしい。
「まぁ、なんだ。私も付き添うつもりだし、何なら莉麻を紹介してもいいだろう」
 あの人たらしの友人なら、大伴瑞希の相手でも問題はないだろうから。
 そうして私が今後の計画を語っていると、逸先輩がにやにやとこちらを眺めている事に気が付いた。
「……なんだ、逸先輩?」
 その表情に嫌な予感を覚え、私は半眼で見つめる。
「ううん。千桜ちゃんも立派になったな、と」
「……馬鹿にしていないか?」
「そんな事ないって。本当に、千桜ちゃんがそこまでできるようになってうれしいだけだよ」
「……ふん」
 どうせ私は気難しい人間だよ。
 逸先輩の態度は少し気になったが、これで事件は終わりを迎える事ができただろう。
 ゆえに最後に一つだけ。
「……逸先輩。実は貴方に伝言があるんだ」
「伝言? 誰から?」
 羊羹を食べようとしていた逸先輩が私の言葉に首をかしげる。
 私は彼女からわざと視線を外して正面を向き直った。
「……貴方に助けられて、普通の生活を送らせてもらって。もう少しだけこの生活が続けば良いと、そう思う事ができたそうだよ」
「んん? 千桜ちゃん? 一体何の……」
 困惑する逸先輩だったが、しばらくして。
「……あぁ、なるほど。そうか」
 彼女は納得したように相槌を打った。
 それはもう既に存在しない人間からの伝言だった。
「……それなら良かった」
 逸先輩が穏やかな声でつぶやく
 彼女はその伝言を無駄だとは断じなかった。
 逸先輩が満足そうにうなずき、私たちは静かに茶を飲む。
「なぁ、千桜ちゃん」
「ん? なんだ?」
 そして逸先輩が私に尋ねてきた。
「君は今、生きていて幸せかい?」
 それはいつかも尋ねられた質問だった。
 あの時、私はうまく答える事が出来なかった。
「……そうだな」
 しかし、今は返せる言葉が見つかった。
「今の記憶を忘れたくない、と思う位には」
「ふふっ、そうか」
 初秋の頃。
 これにて私に舞い込んできたエニグマ事件は終わりを告げた。
 

おしまい。

いいなと思ったら応援しよう!