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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

幸せなセカイ(ENIGMA二次創作小説)①元・魔法使い

※注意事項
此方は棗いつきさんの10thアルバム『ENIGMA』の特典小説の二次創作小説となります。
本編終了後のお話となり、ネタバレがございますので未読の方はブラウザバックしてください。
また執筆に当たりオリジナルのキャラや設定が追加されています。ご了承いただける方のみ読み進め下さい。

もし、棗いつきさんや『ENIGMA』を知らずにここにたどり着いた方がいらっしゃれば下記リンクを是非ご覧ください。

以下より本文が始まります。



 千年森の最果てには魔女が住んでいる、というのは空泉町に長く住んでいる人間なら一度は聞いた事がある言葉である。
 古くからある深い森であるため、子供だけで入りこまない様に教訓としてそう言う噂が流れている、というのが一般的が話だ。
 実際、その森に足を踏み入れる人間の数は少ない。
 京都と言う土地柄もあり、府内の観光地には事欠かない事。わざわざ何もない森に足を踏み入れる人間はいない事。
 舗装もされていない自然の道は現代人には抵抗が強い事等々。
 結果として千年森は現代でも禁足地の様な場所になっている。
 しかしそれでも、足を踏み入れてはいけないと言われれば、足を踏み入れたくなるのが人間の業である。
 そうして肝試しで千年森に入る人間も居た。しかしそうした人間も原因不明の体調不良に見舞われたと、まことしやかに囁かれている。
 そんな森にわざわざ足を踏み入れるのは肝試しか、人生に疲れた者か、あるいは。
「はぁ……、はぁっ……」
 その少女は息を切らしながら森の道を歩いていた。
 一度も染めたことが無いだろう重い黒髪の下には丸い眼鏡と険しい表情が見える。
 古めかしい夏用のセーラー服を校則通りに着込み、汗をかきながら歩く彼女は真面目と言う言葉が形を成したような少女だった。
 彼女は運動があまり得意では無いのか、足を引きづるように前に進み続けていた。
 徐々に徐々に、その歩みが遅くなっていく。
「はぁっはぁっ……!!」
 そしてついに膝に手をついて足を止めてしまった。
 少女は荒い呼吸のまま周囲を見たわす。そして少しでも緑が多い場所を見つけると、そのまま倒れ込む様に座り込んだ。
「はぁ……」
 少女が大きく息を吐く。
 そのまま彼女は疲れと気候のせいで動けなくなってしまった。
 未だ夏の残り香の漂う9月。
 高い気温と歩き続けた為の少女の熱を涼し気な風が奪っていく。
 彼女はそのまま眠りこけてしまいそうになるが。
「……おい」
「は、はい!?」
 そんな彼女の微睡みを切り裂いたは、少女よりさらに幼い女性の声だった。
 セーラー服の少女が視線をあげると、まず目に入って来たには木漏れ日の様に眩しい金色だった。
 緩く波打った肩程の金髪に、金色の瞳に白い肌。まるで人形の様な少女がそこに立っていた。
 しかしその服装が空泉東高校の制服である事が、彼女が現実の人間であることを示している。
「君は何故こんな場所で寝ている。迷ったのなら森の出口はあっちだ」
 そうして金髪の少女が自らの背後を指さした。
 しかし黒髪の少女は目を見開いたまま返事が無い。
「どうかしたのか? 熱中症か?」
 現実感が無い光景に見惚れている少女と、そんな事に気付かず表情を険しくする少女。
 そして次に口を開いたのは黒髪の少女だった。
「あ、貴方が、魔女、ですか?」
 その問いかけに、金髪の少女は渋い顔で返答する。
「……いいや。違うな。私は魔女では無い」
 否定に言葉に黒髪の少女が肩を落とす。
 そのまま金髪の少女はため息を吐きながら言葉を続けた。
「私は芹生千桜 せりゅう ちお。ただの人間だよ」

大伴瑞希 おおとも みずきです。空泉北高校の2年生です」
 私の目の前で麦茶で喉を潤した少女はソファに腰かけながら頭を下げた。
 彼女を屋敷まで案内したのがつい先ほど。軽い熱中症の様だったので、回復するまでの間休む場所と飲み物を提供する事にした。
 普段は紅茶なのだが、「夏には麦茶でしょ」という友人の為に作っておいたのが幸いした。
 彼女が一息ついたのを確認して私も口を開く。
「さきほども名乗ったが、芹生千桜だ」
「は、はい。この度はありがとうございました」
 大伴瑞希と名乗った少女が再び頭を下げる。
 礼儀正しい、ともすれば臆病な印象を受ける少女だ。何処か良い家柄の娘なのかもしれない。
 そういえば、と空泉北高校の名前を思い出す。再開発が規制されている京都の中でもさらに保守的な立場を維持し続けている学校、と友人が言っていた。
「気にするな。私の家の前で行き倒られても困るからな」
 私の告げた言葉に瑞希がひるんだように息を飲む。
 どこからどう見ても普通の少女だった。
 だからこそおかしな点が多い。
「それで、君はどうしてこんな森の中に倒れていたんだ?」
「そ、それは……」
 私の言葉に瑞希は視線を逸らした。
「魔女を探していたのか?」
 返答は無い。
 しかし、それこそ返事をしているようなものだ。
 伝統的な学校の女生徒と魔女。
 厄介事の匂いしかしない。
 私が関わるべきではないのだが。
「まったく……。私は魔女では無いが、話は聞ける。場合によっては信頼できる人間を紹介してもいい。何があったか話してみろ」
「……え?」
 私の言葉に瑞希が目を見開いた。よっぽど予想外だったのだろう。
 まったく、と胸の中で再び一人ごちる。このため息は厄介事に対してか、はたまた変わらない自分の性分に対してか。
「私は元、魔法使いだ」

 魔術、という技術が存在している。
 これは呪術、占術と言った超自然的な力をまとめた名称である。
 こういった力は世間一般では存在しない物と扱われているが、その実、極一部の血筋の人間らで脈々と受け継がれている。
 受け継がれた魔術は時代を経るごとに技術体系化され、それを使う人物を魔術師と言う。
 そして魔法とは、技術では再現できず、特定の個人のみが使用できる魔術の事だ。
 魔術にも先天的な素質こそ必要だし、得手不得手もあるが、修練によってある程度身に着ける事ができる。
 しかし魔法は違う。
 そんな魔法を発現させた人物を魔術師たちは魔法使いと呼ぶ。
 私もその魔法使いの1人、……だった。
 
 私の言葉を聞いた瑞希は目を丸くしていた。
 まぁ、いきなり元魔法使いと言われても理解できないだろう。
「……君は魔女の噂を聞いてきたのだろう? だったら魔女も元魔法使いも変わらないだろう」
「えと……、だいぶ変わると思い、ます……」
「ぐっ……!」
 彼女はとても言葉を選んで返答をしてきた。
 明らかに気遣われている。
 何故だ。魔女より良いだろうに。
「にゃあ~」
 不意に、私たちが気まずい空気の中をマイペースな声が響いた。
 声の方向に視線を向けると、いつの間にか窓から茶虎の猫が入ってきている。
「……猫?」
「チャコ」
 私が名前を呼ぶとチャコが駆け寄ってくる。そのまま遊んでもらえるとでも思ったのだろうか。
 足元に来た彼女はそのままソックスにその小さな体を摺り寄せて来た。
「チャコ。今は客がいるんだ。少し離れていろ」
 私はチャコを向こうに行くように指示をした。しかし自由気ままな彼女はそのまま私の膝の上に乗ってくる。
「可愛い……」
 そんな私たちに瑞希は表情をほころばせていた。その警戒心が解けているのが分かる。
 私はチャコに視線を落とす。
 お前はタイミングが良いのか悪いのか、と少し呆れて顎下を撫でた。
「別に信じても信じなくてもいい。ただ悩みがあるなら聞くというだけの話だ。体調が戻ったのならこのまま帰ってもいい。君が好きに選べ」
 私は改めて瑞希に確認する。
 彼女は迷う様に視線をさまよわせていたが、しばらくして真っ直ぐに私を見つめて来た。
 そしてその口を開く。
「と、友達が、ネットから帰ってこないんです……」

 大伴瑞希の話をまとめるとこうだった
 同じクラスの友人がとあるメタバースワールドに入ったきり戻ってこなくなった。
 学校も長期で休んでおり、他の人間達も何も聞いていない。
 しかし彼女のアカウントはネットにログインのままになっている。そしてどれだけ連絡をとっても返事が返ってこない。
 そして彼女が最後にログインしたと言われているワールドが。
「HO-RAIか……」
「は、はい。一部で話題になっているメタバースです。最後にそこで会ったきりで……」
 HO-RAI、ほうらい、蓬莱と頭の中で文字を変換していく。
 しかし名前だけではそれ以上の情報は出てこない。
 瑞希に続きを話してもらう事にした。
「それはどんな物なんだ? 悪いがデジタルには疎くてな。初めて聞くんだ」
「……何でも望みが叶う世界、です」
 しかし彼女が続けた言葉はさらに意味が分からない物だった。
「どういう事だ? 何でも、というと際限無くか? 全ての望みが?」
「は、はい……」
「ふむ……」
 手慰みにチャコの背中の毛に指を通しながら思考を巡らせていく。
 何でも望みが叶う世界、と。そしてHO-RAIという名前。
 蓬莱、空想上の仙境から来ている可能性が高い。曰く、異界の理想郷。
 しかし、そんな物を現実に考えても馬鹿げているとしか思えない。
「それは無理だろう。人の望みを全て叶えるなんて無理だ」
 それが出来ていれば、人間の苦しみも存在していないだろう。
「……けれど、HO-RAIならそれが出来るんです」
 しかし瑞希は譲らず反論をしてくる。
「仮想空間の中なら可能です。望む物が手に入りますし、嫌な物も全て消すことが出来ます」
「む……」
 私自身、デジタルな物には詳しくない。出来る、と言い切られてしまっては反論が出来なくなってしまう。
「……最近はネット引きこもりという言葉もあるだろう。その可能性は?」
 インターネットが高度に発達した結果、現代は生活でのデジタル部分の比率は大きくなっている。
 東京等では学校に登校せずにネットを活用しての学習が多数になっていると聞いていた。
 家から出ずに生活が完結もするそうだ。
 それに伴って出て来たのがネット引きこもりという人間だった。
 格差が酷い現実に嫌気がさし、生活の主体をネット上に移行した人々の事だ。
 食事、排泄などの必要最低限の生理的な行動以外全てネット上で過ごしているという。
 社会問題にもなっていると耳に入っていたが。
「ううん。彼女はそんな人じゃない」
 それも瑞希はきっぱり否定する。
 絶対に違う、と確信を持った目で見つめて来た。
「ふむ……」
 私はしばし頭を悩ませる。
 エニグマ、という存在がいる。それは古くより怪異として人間に害をなしてきた存在だ。
 それを祓う事が魔術師、ひいては魔法使いの目的である。
 私が大伴瑞希の話を聞いていたのも、そのエニグマの可能性があるかもしれなかったからだ。
 奴らは人々の伝承にある妖怪か化生として姿を現す事が多い。
 しかしエニグマや魔術は仮想空間と相性が悪い。
 ゆえに可能性は低いとは思う。
 思うのだが。
「芹生、さん?」
 私は一度だけ、仮想空間上のエニグマに遭遇した事があった。
 もう既に無かった事になった事例であるのだが。
「……瑞希、その友達の写真かなにかあるか? それと連絡先も教えてほしい」
「え? ど、どうにか出来るんですか?」
「すまないが約束はできない。けれど、相談できそうな相手は心当たりがある」
 1人、魔法使いとして働いていた時の先輩の姿を思い出していた。
 その姉妹が探偵業を営んでしたはずだ。
 逸先輩に相談すればエニグマに関係あろうとなかろうと進展があるだろう。
「仕事としてだからお金がかかるかもしれないがな。それでも良ければ紹介する」
「は、はい!! ありがとうございます!!」
 瑞希は勢いよく頭を下げて来た。急に放たれた大声にチャコが膝の上で飛び跳ねる。
 そのまま逃げ去り、部屋の隅から私たちの様子をうかがってきた。
「……あ」
「……そんなに慌てなくていい。チャコが驚くからな」
「す、すいません」
 瑞希は今度は体を縮こまらせて顔を伏せる。
 落ち着いているようだが、感情が大きくなると態度に出てしまうだ。
「あ、写真と連絡先でしたね……。えと、何のアプリ入れてますか?」
 瑞希は気を取り直してスマホを取り出した。
 そうして私に確認をしてくる。
 何のアプリと来たか。
「……何の、アプリが入っているんだ?」
「は、はい?」
「い、いや、私のスマートフォンに」
「え? え?」
「一体、何のアプリが入っているんだ?」
 私は鞄の中に入れっぱなしにしていたそれを取り出す。
 購入の際、そして購入した後に友人に、色々とやって貰ったのだが。
 私は未だにそれの操作方法を理解していなかった。
 先月までデジタルな物にほとんど触れて来なかった私には、それは高度過ぎる物だった。

 じゃらじゃら、と児童餌やり器が時間通りに動く音が聞こえた。
 その音を聞きつけたチャコが駆けていくのが視界に映る。
 現金な猫に私は思わず頬を緩めてしまう。
 「まったく……」
 元から欲望に忠実ではあったが、主人に目もくれないのには笑ってしまうな。
 そうしてしばらくしたら私にお代わりをねだってくるのがお約束になっているのだ。
「さて」
 チャコを見送った後に私は手元に視線を戻した。
 手元のスマートフォンには茶髪の少し気が強そうな少女が映っていた。
 服装は瑞希と同じ学校のセーラー服である。
 名前を卯月原水朔 うづきはら みさと言うそうだ。
 彼女こそ、HO-RAIに入ったまま帰ってこなくなった友人らしい。
「友達、か……」
 その言葉で、幸いな事に私には思い浮かぶ人物がいた。
 私自身が友人が多い方では無いと自覚しているので、瑞希の友人の事を助けてあげたいと思っている。
 そしてその数少ない友人の助けを借りて準備を終えた機械が目の前にあった。ヘッドマウントディスプレイとコントローラーと言うらしい。
 曰く簡単な作業、らしいが一時間以上かけてやっとである。
 簡単とはどこがだ。
 そんな事を言えば「千桜ちゃんが苦手すぎるだけだよ」と笑いながら言い返されるのが目に見えているが。
 というか先ほど何度も言われたが。
 ともかく何とかデバイスにの準備を終える事ができた。後はこれを被るだけでHO-RAIに入れるそうだ。
 逸先輩に相談する前に簡単な情報収集を行うつもりだった。
 ふるとらっきんぐそうちが無いから簡単な操作だけ、だのなだのと言われたがよく理解はしていない。
 しかしそもそも、もう既に魔法使いでも無い自分にできる事はそう多くは無いのだ。
 簡単な情報収集、あわよくば卯月原水朔の情報が集まればいい。
 私はそのまま機械を被る。
 そこは真っ黒い空間だった。そしてすぐに何かが現れた。
 デフォルメされた白い牛、だろうか。真っ白な身体に波打つたてがみと、顔には小さな角が二本、鼻はアリクイの様に垂れ下がっている。
 マスコットキャラクターのようだ。
『ようこそHO-RAIへ。これより羽化登仙を開始するよ』
 それは姿通り、遊園地のマスコットキャラクターの様な声で告げて来た。同時に視界へ文字が表示される。
「羽化登仙?」
 表示された文字に首を傾げる。
 人間が仙人へと変わる事を言うのだっただろうか。
 ならばHO-RAIは蓬莱で間違いは無いようだ。
「なぁ、お前はなんだ?」
『私はハクバク。今からHO-RAIへと案内します』
 声をかけると返事が返ってきた。
 ハクバク、元は白澤だろうか。
 魔法使いの時の癖で相手のルーツをつい予想してしまう。
 私は頭を切り替えて情報収集を行う事にした。
「ここでは何をすればいいんだ?」
『何でも』
「なんだと?」
『HO-RAIでは何でもできます』
 瑞希が言っていた言葉を思い出す。「HO-RAIでは全ての望みが叶う」と。
 困惑する私にハクバクは言葉を重ねて来た。
『貴方は何が望みですか?』
「……それは」
 全ての望みが叶う、と聞かれて思い浮かぶのは一人の人間の事だった。
 私が魔法使いで無くなった事件。私の失敗。
 私の尻拭いで居なくなってしまった彼の事。
「……っ!!」
 私は逸れてしまった思考を首を振って振り払う。
 それは今関係が無い事である。
 私はハクバクへと質問を続ける。
「違う! 私はこのHO-RAIは何の目的で――」
『羽化登仙が完了しました』
 しかしハクバクが私の言葉を遮った。
 そのまま視界が白く染まっていく。
「お、おい!!」
『ようこそ。HO-RAIへ。どうかお楽しみください』
 そしてハクバクの姿も白に溶けていく。
「くそっ」
 ろくに情報を集められなかった事に思わず悪態がついて出た。
 HO-RAI、羽化登仙、ハクバク。分からない事が多すぎる。
 しかしそうしているうちに視界が明瞭になって来た。
 何処かの部屋の中のようだ。
 そこは。
「……なんだと?」
 その場所は屋敷の応接間だった。
 見慣れた光景に思わず拍子抜けしてしまう。
 一体どういう事だ、と私は周囲を見渡そうとして。
「千桜? どうかしたのかい?」
「――」
 そこで、有り得ない声を聴いた。
 舌が凍り付く。驚愕と困惑と喜びと恐怖が溢れてしまい、自分の感情が分からない。
 体がさび付いたブリキ人形のようだ。
 私は必死の力を込めて、声の方向へ振り向く。
 そこには3人分の紅茶を用意して立っている彼がいて。
「――はぁっ、はぁはぁっ!!」
 私は思わずデバイスを放り投げていた。
 既に視界は自室へと戻ってきている。デバイスを付ける前と何も変わっていない。
 しかし、身体の震えが止まらなかった。
「はっ、はっはっ、はぁっ!!」
 過呼吸になってしまいそうな喉を無理やり押さえつけた。
 意識が朦朧として立っていられなくなる。
 そして。
「にゃあ……」
 いつのまにか、チャコがその体を摺り寄せていた。心配そうに見上げてくる茶虎の猫でようやく正気を取り戻す。
「はっ、すぅ、はっはっ、ぅすぅ」
 必死に呼吸を整える。チャコのぬくもりを目印に現実へと戻ってくる。
 時間にして数分だろうか。数十分にも感じた時間だった。
 私はチャコを抱き上げる。
「……すまない、チャコ。心配をかけた」
「にゃあ」
 チャコは私に抱き上げられたまま顔を舐めて来る。僅かに彼女の食事の匂いがした。
「ありがとう。あとでお前が好きなおやつを食べよう」
「にゃあ!」
 チャコは私の言葉が分かったように大きく鳴いた。
 そして彼女を床に下して、私はデバイスに向き直る。
「なるほどな……」
 触るのをためらうそれを見て、私は確信する。
「確かにこれは、異常事態だ……」
 先ほどの世界、仮想空間上の私の屋敷に居たのは、有り得ない人物だった。
 名前を錫蒔狛騎 すずまき こまき
 私の魔法で存在を虚構化され、生まれた事すら抹消された人間である。

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