幸せなセカイ(ENIGMA二次創作小説)②今の日常
こちらは下記の続きとなります。
以下本文が開始します。
――僕を虚構化してくれ。
いやだ。
夢を見ていた。もう何度も見た夢だ。
思い通りにならない夢はあの時の光景を何度も繰り返す。
崩れ落ちた朱納神社の本殿、遠くの町からは何本も煙が上がっている。周囲には鉄の匂いが充満していた。
腕の中の彼の体温がどんどん失われていく。
獅子門才禍の策に嵌り、空泉町が崩壊していた。
町には危険なエニグマが溢れ、私も敗北した。
既に真っ当に事態を収める方法は無かった。
残されたのは私の魔法を使用した反則技とも言える手段。
私の虚構化魔法を使用して錫蒔狛騎を存在しなかった事にするという物。
それにより、その出生が狛騎と深く結びついている獅子門才禍は消滅する。
彼一人の犠牲により、世界は幸せになる。
――千桜が僕の事を覚えていてくれるなら。
止めてくれ。
――君と僕が、救った世界だ。
止めろ。私は魔法を紡いでいく。
止めろ。彼の姿を私の魔法が取り込んでいく。
止めろ。私は本を閉じた。
これにて世界は幸せになった。
「はぁ……」
照り付ける日光が痛く感じる。頭の奥が妙に重い感じがあった。
気だるい体は一歩進むごとに文句を伝えて来るようだった。
しかし足を前に動かし続ける。
何故か。
それは今日が平日で学校があるからである。
「はぁ…………」
再びため息が漏れ出た。
千年森は既に抜け、周囲には同じ空泉東高校の制服の学生がちらほらいた。
今日は登校してすぐに保健室で横になってしまおうか、と悩んだ。
不調の原因ははっきりしている。
昨日のHO-RAIでの出来事で夢見が悪かったのだ。そのせいで碌に眠れず朝を迎える事になった。
出来れば学校は休みたくなかったのだが、と無理をしてきたが限界も近いようだ。
そのままふらふらと歩いていたのだが。
「おっはよう、千桜ちゃん!!」
「ふがっ!?」
突然襲ってきた衝撃で体勢が崩れた。
私は突撃して来た彼女へもたれかかるように崩れ落ちる。
「……あれ? 大丈夫、千桜ちゃん?」
頭上から心配そうな声が聞こえて来る。
誰が原因だと思っているんだ。
「……これが大丈夫に見えるのか? もし見えるのならば君には真剣に病院に行くことを勧める」
顔をあげると、そこにはやはり予想通りの人間が立っていた。
肩下で切りそろえられた軽やかな髪の下にはまばゆいばかりの笑顔が浮かんでいる。
朗らかに笑う彼女は異性同性問わずに好かれる人柄を持っていた。
雛菊莉麻。私の数少ない友人である。
「ごめんごめん。すごく落ち込んでるみたいだったから」
莉麻は両手を合わせながら頭を下げて来た。そして私の手を引いて立ち上がらせる。
行動も言葉も何故か憎めない人間だった。
初対面の際、いきなり抱き着いて来るという失礼極まりない事をされても、しばらくすると彼女の事を悪く思えなくなってしまったほどだ。
「……って、千桜ちゃん、本当に体調悪そうだね? 保健室行こうか?」
そして、今も莉麻は心配そうに私の顔をのぞき込んできた。
躊躇なく相手のパーソナルスペースに踏み込んでくるくせに、気遣いには人一倍敏感。
人たらしとは彼女の様な人間を言うのだろう。
「……すまないが頼む」
「えぇ? 千桜ちゃんが素直……っ!? 保健室じゃなくて病院の方が……」
「……ストレスが原因だろうな」
「ストレスはため込まない方が良いよ?」
誰のせいだと思っている。
いつもなら強めに言葉を返すところだったが、今日はその元気も無い。
そしてその隙に莉麻は私の鞄を手に取っていた。
彼女は左手に鞄を二つ抱え、右手で私を支えるように腕を組んでくる。
「……すまない」
私は遠慮なく彼女に体重を預ける事にした。少しだけ体が楽になる。
「いいよいいよ。本当に体調悪そうだしね。どうする? 本当に保健室でいいの?」
「あぁ、原因は寝不足だ」
「寝不足って、もしかして昨日のアプリ?」
「……まぁ、な」
彼女の確認で苦々しい記憶が思い出される。HO-RAIに入る際のデバイスの準備を手伝ってもらったのが、他でもない莉麻だった。彼女にはやりたい事が出来たから、と簡単にしか告げていなかったのだが。
HO-RAI、一体あれが何なのかが分からない。どうすれば存在しない事になった人間を再現できるのか。
「何だっけ、ほ、ほー……」
「HO-RAI、聞いた事はあるか?」
「んー? あるような、無いような……。そんなに面白いの?」
「いや、絶対にするな」
ゆえに私は莉麻からの質問にきっぱりと告げた。
私の強い言葉に莉麻が軽く驚いて見下げて来た。私はそのあどけない瞳を見つめて口を開く。
「おかしな事が起きている」
「……おかしな事? おかしな事って、何かバグでも見つかったの?」
「ばぐ……、虫(バグ)? まぁそんな感じだ」
何故虫、とは思ったが、莉麻がHO-RAIに近寄らなければ何でもよい。
「だから絶対に入らないでくれ」
「うん。分かった」
私の念押しに莉麻は素直に頷く。
そのまま再び学校へとゆっくり歩き出した。
「……私が言うのもなんだが、何故とは聞かないのか? 手伝いをさせておいて莉麻は近寄るな、と理不尽な事を言っている自覚はあるんだが」
「んー? まぁ、千桜ちゃんが凄く真剣な事は伝わるし」
私の質問に莉麻は何でもない事の様に答える。
「それに、今は千桜ちゃんを保健室に連れていく方が先かな?」
そう言って、莉麻は私の腕を引いて歩く。
「……ありがとう」
「お、千桜ちゃんからのお礼だ~。嬉しい~」
私の俺に莉麻は満面の笑みを浮かべる。
本当に、敵わない。
結局、学校は午前中を保健室で過ごす事になった。
莉麻に連れられ、保健室で横になるとすぐに眠りにつき、目を覚ますと昼食の時間になっていた。
昼食に迎えに来た莉麻に「千桜ちゃん、ずっと腕を離してくれなかったんだよ~」とからかわれながら売店で購入したパンと紅茶を食べた。
そして午後の授業を受けた後の放課後、学校近くに住んでいる莉麻と別れると、千年森とは別の方向に歩き出す。
そこは本来、自転車で移動するくらいの距離なのだが、歩けない訳では無かった。
また9月の太陽の時間は未だに長い。
私は日が暮れる前に朱納神社にたどり着くことが出来た。
その神社は空泉市南東にひっそりと存在している。
以前はかなり名の馳せた神社だったらしいが、現在は参拝者も少ないらしい。
長い階段に鳥居と、いかにもな参道を登り抜けると視界が開けた。
紅い夕焼けに目を細めていると、神社の境内にその人物は居た。
「お、千桜ちゃん。こんにちは」
白い麻の着物に、浅葱色の袴。記憶にある限り、この人はずっとこの格好だった。
背中には長い黒髪が流されており、服装も相まってかなり古風な印象を受ける。
彼女の名前は魂叢逸という。
彼女は箒を払っていた手を止めて右手を振ってくる。
「こんにちは、逸先輩。今日はお時間を取ってくれて助かる」
私は頭を下げる。
この人は以前の私と一緒にエニグマへの対処をしていた人物だった。『怪異現実対策委員会』という仰々しい名前の組織の先輩となる。
もう既に私は組織を抜けており、魔法も使えなくなっているが、それでも個人的な付き合いが続いていた。
「良いよ良いよ。気にしないで」
逸先輩は朗らかに笑って近づいてきた。
見かけこそきっちりとしているが、その内面はかなり面倒見がいい人間である。
おかげで私でも関係が続いているのだが。
「それに、私たちの方に関係ある話かもしれないんでしょ?」
その彼女こそ、瑞希へ紹介しようと考えていた人物だった。
とりあえず客間にあがりなよ、と逸先輩に招き入れられる。
室内に準備されていた座布団に腰を下ろすと、すぐにちゃぶ台に緑茶のボトルとガラスのコップが用意された。
「それで、千桜ちゃん。最近はどう?」
そして彼女が聞いてきたのは本題では無く、世間話だった。
「……どう、というと?」
私はその曖昧な質問に上手く言葉が定まらなかった。
何と返答するのが正解なのか分からない。
「いやさ? 急に魔法が使えなくなったって言って、さらには学校に行きたいって言いだしたから。そりゃ気にするでしょう?」
「……問題は無い。予想通り勉強にはついて行けているし、学校生活にも慣れてきた」
「……ん、じゃあ学校は楽しい?」
楽しい。楽しい、か。
そもそも私が学校に行き始めたのも狛騎の願いからだ。
魔術師、魔法使いは魔法協会で基礎的な学習を終える。正直学校に通う必要は無かった。
錫蒔駒騎が存在しなくなった世界で、魔法使いで無くなった芹生千桜が普通の少女として生活する。
そのために今の生活を構築してきた。
ゆえに。
「……分からない」
これが本心だった。
やらなければならない、とやり続けて来たのだから、楽しいも楽しくないも無かった。
おそらく理想とは違う返答である事は分かっているため、私の顔は苦々しく歪んでいると思う。
「そ。ならさ」
しかし、そんな私にも逸先輩は笑顔のままだった。
「学校、続けていきたい?」
そしてそんな事を問いかけて来る。
「はい」
その質問への答えはすぐに答えられた。
楽しいかは分からないが、狛騎の事を抜きにしても莉麻等の友人も出来た。
嫌々学校に通っているわけでは無い。
「それなら良かった」
逸先輩は笑って緑茶を一口含んだ。
そこで一度会話が途切れる。
逸先輩は何を聞きたかったのだろうか。
静かに茶をすする先輩は未だに分からない事が多かった。
「よし。雑談もこれで終わり。本題に入ろうか千桜ちゃん」
「は、はい」
そして逸先輩は座り直して私に向き直って来た。その切り替わりに思わず面食らって返答が遅れてしまう。
「それで、エニグマが関わっている案件かもしれない、って話だったけど、何があったの?」
「……とある少女が千年森を尋ねてきたんだ」
私は大伴瑞希の話を逸先輩にした。
友人がネットから戻ってこない事。HO-RAIと言うアプリの事。
そして先輩の反応は予想していた通り渋いものだった。
「……千桜ちゃん。貴方にわざわざ説明する事では無いとおもうのだけど」
「あぁ、分かっている。仮想空間では魔術や魔法、エニグマは存在できない、だろう」
仮想空間には魔力が存在しない。そのため超自然的な物は存在しない。
それが魔法協会の一般的な考え方だ。逸先輩の疑問は何も間違っていない
「なら、千桜ちゃんはどうしてその件にエニグマが関わっていると判断したのかしら?」
だから、この質問が来ることも予想はしていた。
胸の中で覚悟を決める。
これから逸先輩に話す事は、今の世界では私しか知らない事だ。
「……そこには、有り得ない人物がいたからだ」
「んん? 有り得ない人物って?」
「私の虚構化魔法で存在しない事になった人間だ」
その瞬間、部屋の中の空気が変わった。
ひりつくような冬の空気の感じる。逸先輩が目を細めて私の事を睨みつけている。
彼女の腰が僅かに上がった。
言うまでも無く、魔術魔法を使用して人を害するのは協会の違反行為となる。
それらは司法で裁く事ができない以上、教会で内々に処理されるのだ。人と消したとなれば良くて拘束か、死刑でも当然だろう。
私は何も抵抗する事無く逸先輩を見つめ続けた。
しかし。
「はぁ……、千桜ちゃん、それは他に誰にも言っちゃ駄目よ……」
最終的に彼女はため息を吐いて腰を下ろした。
私はそっと胸をなでおろす。
「……すぐに取り押さえられる位は覚悟していたんだがな」
「千桜ちゃんの性格的に悪事は出来ないでしょうし、それに色々と合点がいったからね……」
逸先輩は足を崩して私に向き直る。
「魔法が使えなくなったのもそれが原因ね? 人間は情報量が多くて虚構化できないって言ってたもの」
「あぁ。彼は特別な事情もあり虚構化できたのだが、それでも過負荷で魔力機構が壊れた」
表向き、私は協会に強力なエニグマを対処して魔法が使えなくなったと報告していた。
私の魔法は現実を虚構化、無かった事にする魔法だった。
そのため私以外の人間は結果を認識する事ができない。魔法協会も私の言葉を信じるしかなかった。
「道理で千桜ちゃんが魔法を使えなくなった時期とか理由が思い出せない訳ね……。貴方の魔法の結果だろうとは想像していたけれど……」
「……簡単に経緯を説明する。私の魔法と逆、虚構を現実にするエニグマが居た。名前を獅子門才禍。そいつはエニグマを作り出し、空泉市を一度壊滅させている。逸先輩、貴方も一度死んでいる」
私の説明で逸先輩が渋面を作る。
確かに自分が死んだ事など聞いて面白くも無いだろう。しかし事の重大さを理解してもらうためには必要な事だった。
「魔法協会は空泉市を放棄し、私もそいつを虚構化する事ができなかった。……そして、それを無かった事にするための手段が一つ存在した」
「それが、その人物を虚構化する事だったと?」
「獅子門才禍の誕生に、彼の出生が深く結びついてたんだ。彼を虚構化、存在していなかった事にすることで、獅子門才禍そのものも虚構化できた」
「んー……」
逸先輩は悩ましい表情で顎に手を当てていた。
それもそうだろう。私の魔法はただでさえ概念に作用する物で理解しにくい物であるし、今回は錫蒔狛騎という一人の人間がいなくなったのだ。10数年生きて来た人間とはそれだけ多くの物に影響を及ぼしている。
それこそ、逸先輩にも。
「……錫蒔絵羽、という魔術師を覚えているか?」
「ん? あぁ……」
私が出した名前に逸先輩が苦々しい表情をする。
「子どもを死産した事で発狂した魔術師だったね。ネクロマンサーの能力で、遺児に他者の魂を注ぎ込む事で復活させようと、魔術師や一般人を無差別に襲っていた……」
この世界ではそういう事になっている。
「……本来はその子供が存在していた。名前を錫蒔狛騎。魔術を使えない普通の人として生まれ、そのために絵羽から他者の魂を注ぎ込まれ続けた人物だ」
「……クソくらえね」
逸先輩が珍しく口汚くののしった。その表情には怒りすら見える。
「そして絵羽が狛騎への生贄として捧げたのが魔術の才能があった彼の異父兄弟。そいつが元で生まれたのが先ほど話した獅子門才禍だ」
その内容は狛騎を虚構化する際に彼の記憶からも確認できていた。
逸先輩は話を聞きながらちゃぶ台を苛立たし気にトントンと叩いている。
他人の話にここまで共感を示せるからこそ、この人は狛騎と関係を築く事ができたのだろうな。
「そしてその錫蒔狛騎を保護して育てていたのが逸先輩、貴方だ」
「……ん? 私?」
逸先輩は私の言葉できょとん、と首を傾げた。
これも記憶が無くなっていると理解できない話だろう。
「え、私がその男の子と一緒に生活してたの?」
「あぁ」
「本当に?」
「そうだと言っている」
「……え、本当」
「しつこいな!?」
ついに耐え切れずに叫んでしまった。何故そこにこだわるんだ。
「いや~、私が男の子と一緒に暮らしていたのと、子育てをしてたのが想像できなくてさ……」
「……少なくとも、私の目には立派な保護者として映っていた」
「そっか……」
逸先輩は複雑そうな表情をする。
埒が明かないので私は話を進める事にする。
「そういう事でだ!! そのHO-RAIには私の魔法で虚構化した人物がいるんだ。彼が生きていたのを証明するのは、私の記憶の中でしかできない」
「……なるほどね」
逸先輩は再び真剣な表情で私の話を吟味し始める。
これでようやく話が進む。
「千桜ちゃん、そのHO-RAIの情報を分かっているだけ頂戴」
そしてすぐに次の手に動き出してくれた。
「あぁ」
私はその事に全身の緊張が抜けるのを感じた。
大伴瑞希には専門家が動き出した事を報告しておいた。
後は逸先輩と魔法協会の『怪異現実対策委員会(エニグマタスクフォース)』がどう対応していくかになるだろう。
HO-RAIへの私の対処はこれでおしまいである。
それから数日後の土曜日、私は学校のジャージ姿で自宅の屋敷の中庭に居た。
「まったく……」
口から文句が出るのが止まらない。
しかし、だ。
「何故こうもすぐに草は生えて来るんだ……っ!!」
夏から習慣になってしまっている雑草むしりなのだから仕方が無いだろう。
抜いても抜いても奴らは生えて来る。
なるべく除草剤は使いたくなかったのだが、それもやむなしだろうか。
額に垂れて来た汗をぬぐう。
顔をあげると中庭の中央のそれが目に入って来た。
なるべく日当たりがいい場所に、とそれは作ったのだ。
ひざ下程の小さな長方形の石には『チャコ』と刻んである。これは今のチャコの物では無く、前に過ごしたチャコの物だった。
以前のチャコはエニグマだった。とはいっても姿を現して人を驚かせるほどの力しか持たない弱いエニグマであった。
狛騎と共に解決したエニグマの事件の一つである。彼が消え、チャコとの縁も消えてしまったが、もう一度探し出したのだ。
しかしその時には既にチャコの力は消えかけており、逸先輩に安らかに祓ってもらう事しかできなかった。
彼女のお墓を作ろうとしていた矢先に出会ったのが、今のチャコだ。以前のチャコとそっくりだったため、そのまま一緒に暮らすことにしている。
墓石も今時作っている所も無いから逸先輩にできる人を探してもらった。
けれど、これなら何年経とうと彼女の居場所がなくなる事は無いだろう。
「……はぁ、猫の手が懐かしいな」
私は無駄口を言いながら草をむしり続ける。
彼女の居場所は出来るだけ綺麗に整えておきたかった。
しかしいかんせん体が辛い。
以前の屋敷の管理は気が向いた時に業者に頼んでいたのが、綺麗にし続けるのならばそうもいかなかった。
「千桜ちゃ~ん!!」
「ん?」
そんな折、何処からか声が聞こえて来た。
私はスマートウォッチに視線を落とす。何件か通知が来ていた。
もうそんな時間だったか、と立ち上がる。そしてスマートウォッチの通話機能を起動した。
すぐに彼女とつながる。
「莉麻。中庭にいる」
『あぁ、良かった~。中々つながらないから心配したんだよ?』
「すまない。作業中だったんだ」
『作業?』
会話をしていると、中庭の入り口に手提げ袋を持った莉麻の姿が見えた。
「……おぉ。ジャージ姿の千桜ちゃんだ」
そういう彼女の姿は動きやすそうなショートパンツにシンプルなTシャツと可愛らしくにまとめられたものだった。
「何をそんなに驚いている。学校でも見れるだろう」
「人形の様な可愛い女の子がちょっとダサいジャージ姿で庭の手入れをしてる、……いいね!!」
たまに思うのだが、莉麻のこの感性は一般的なのだろうか。実はかなり特殊な人間では無いのだろうか。
今の私のどこに目をキラキラさせる要素があるというのだろう。
「はぁ……、ちょっと待っててくれ。シャワーを浴びて来る」
しかしそこに突っ込むと話が長くなる事を知っているので私は莉麻の態度は流すことにした。
ギャップだのエモだの、よく分からない理論を言い出すに決まっている。
「あ、じゃあ私もせっかくだから」
「嫌だ」
そして当たり前の様について来ようとした莉麻に右手を突き付ける。そして半眼で彼女を睨みつけた。
「……入って来たら屋敷の鍵を返してもらうからな」
「は、はーい……」
莉麻は縮こまって返事をしてきた。
これでよい。彼女には初対面で理性を飛ばして抱きついてきた前科がある。
お風呂場に一緒に入ったら何をされるか分からない。
しかし莉麻はそのまましゅんを落ち込んでしまった。
まったく。
「……そろそろチャコの食事の時間だ。彼女の相手をしていてもらえるか?」
「っ!! うん。わかった!!」
私からの指示に莉麻は笑顔で駆けだした。
これで彼女も気兼ねなく待てるだろう。
「チャコちゃ~ん!!」
「にゃぁ~っ!?!?」
遠くから莉麻の歓喜の叫びとチャコの悲鳴が聞こえて来た。
頑張ってくれチャコ。後は任せた。
「待たせたな」
私が身支度を整えて客間に向かうと、そこには満面の笑みの莉麻とぐったりとしたチャコがいた。
これではどっちが相手をしてもらったのか分からないな。
「千桜ちゃん~。ううん、そんなに待ってないよ~」
「にゃぁ……」
どうやら相当待たせたらしい。後でチャコにはおやつにあげておこう。
莉麻はチャコをソファに下すと、持ってきていた手提げ袋を手に取った。
そのまま二人で台所に向かう。
「今日は莉麻の担当だったな。何にするんだ?」
「ふっふっふ~。それは後でのお楽しみ~」
「隠す必要があるのか……?」
含み笑う莉麻に思わず呆れた声が出てしまった。
まったく、と私は台所の扉を開ける。彼女が来るので中は綺麗に整えていた。
以前の様に食器をため込むのは最近ではたまにしかしていない。たまに、だ。
そして二人で台所で何をするのかと言えば、昼食作りだ。
「言われたとおりに炊飯だけはしておいたんだが」
「おっけ~、ありがと」
彼女はそう言って手提げ袋の中から食材を取り出していく。ミックスベジタブルに鶏肉に、ケチャップに卵。
それだけでだいたい作る料理の想像がついた。
「……オムライスか」
「そう。具材をご飯と炒めてオムレツを載せるだけ。簡単そうでしょ!?」
本当にそうだろうか。
「……まぁ、やってようか」
「うん」
そうして二人で昼食の準備を進めていく。
私と莉麻は休日の昼食を一緒に取るようにしている。それは家族がいない私と、両親の仕事が忙してほとんど家に居ない莉麻での協力関係の様なものだ。
しかしそれは表向きな理由で、彼女は以前エニグマに見入られた事がある。
莉麻の孤独を嗅ぎつけてやって来たエニグマが莉麻の家に住み着いた。ただ主人の精神を変容させ、自分の世話を第一にさせるという下級のエニグマであったのだが。
それでも、それ以降2人で食事を取る事にしている。
孤独を抱えている莉麻と、家事をおざなりにしてしまう私の利害関係だ。
なのだが。
「……これは」
「うわぁ……」
素人の少女二人が料理をしても上手く事の方が少なかった。
私たちの目の前にはボロボロのオムレツを纏ったオムライスがあった。
よく見るとしたのケチャップライスの部分もべっちゃりとしている。
「ま、まぁ、味は良いはずだよ!! 多分!!」
「……そうだな。とりあえず食べよう」
2人で目の前のダイニングのテーブルに出来た料理を持っていく。
ちなみにスープはインスタントを私の屋敷にストックしている。
そこまで用意できると思うほど、私たちは実力を過信していなかった。
「いただきまーす」
「いただきます」
食べられない程酷い味なら冷凍のお弁当を食べればよいか、と私たちはオムライスに手を付けた。
「……む」
「おぉ!!」
一口食べると私たちは顔を見合わせる。
「食べられるな」
「すごいびっくり!! 美味しいね!!」
莉麻、君は今びっくりと言ったか?
先ほどは「味は良いはず」と言っていただろうに。
しかし本当に味は良かった。
卵こそボロボロだがしっかりとバターの味と卵のうま味を感じられる。
ケチャップライスもしっとりとしていたがケチャップの甘味と酸味が食欲もそそっていた。
具材にもしっかりと火が通っている。
そのまま二人で昼食を食べ進める。
次は何を作ろうか、千桜ちゃんの番だね、と会話をしながら食事を勧めていたのだが。
唐突に私にスマートフォンが通知音を鳴らし始めた。
画面を確認すると逸先輩の名前が表示されている。
「ん、すまない、莉麻。ちょっと電話に出て来る」
「うん、行ってらっしゃい」
「……口にケチャップがついているぞ」
「え、嘘!?」
私の指摘に莉麻はペーパータオルで口元を拭き始める。まるで小さな子供の様だった。
その様子を微笑ましく眺めた後、廊下に出て通話を開始した。
「どうかしたのか、逸先輩?」
「お、千桜ちゃん。すまない、昼食中だったかな」
「いや、問題無い」
逸先輩が連絡をしてきたという事はHO-RAIがらみだろう。
何か進展があったのなら早く聞いておきたかった。
「それで、HO-RAIの事で何か進展が?」
「あぁ、それなんだがね……」
私の確認に逸先輩は歯切れ悪く返答して来た。
何かあったのだろうか。
「逸先輩? 何かあったのか?」
「いや、うん。結論から言うとHO-RAIに突入した隊員からエニグマを討伐したという報告があった」
「なんだ。それなら良かったじゃないか」
逸先輩からの報告に私は素直に喜ぶ。先輩は何を悩んでいるのだろう。
「……何だが少し奇妙でね。午後から時間はある? 少し話がしたいんだけれど」
「話?」
なんだか妙な胸騒ぎがした。逸先輩がそう言ってくると言う事は穏やかな事態では無いのだろう。
「分かった。昼食を食べたら向かう」
「ありがとう。助かるよ千桜ちゃん」
私はそのまま通話を切った。
一体何があったのだろうか、と疑問は湧いて来るが、まずは莉麻の相手だった。
「ん、おかえり千桜ちゃん」
「あぁ、莉麻。すまないが食事を終えたら出かけなければならなくなった」
「ん? あぁ、そうなんだ。了解」
莉麻はすぐに納得して了承してくれた。
さて私も急いて食事を食べ終えようと、自分の椅子に腰かける。
その時にふと思い出した。
「そうだ。実は莉麻に一つ頼みたい事があるんだ」
「頼み? なになに?」
私は莉麻に向きなおる。彼女は私のお願いに嫌な顔をするどころか、うきうきと笑顔を浮かべていた。
本当に人が好いというかなんというか。
「空泉北高校の事を知っているか?」
そして莉麻にある頼みごとをお願いした。