幸せなセカイ(ENIGMA二次創作小説)⑤夢の終わり

こちらは下記記事の続きとなります。

以下より本文が始まります。



『ようこそHO-RAIへ。これより羽化登仙を開始するよ』
 真っ暗な画面にコミカルな高い声が響く。
 HO-RAIは莉麻にやり方を聞いて初期化している。
 これはもう二度目の光景であるため驚きは無い。またこの後の展開も既に思い出している。
 黒い空間の中に、それはすぐに表れた。
真っ白の牛の様な体躯、顔はアリクイの様に長く垂れ下がっている。身体を同じ白いたてがみと、2本の小さな角。
 名前はハクバク。
『私はハクバク。今からHO-RAIへ』
「お前だな」
 私はそいつの台詞が終る前に言葉を重ねた。
 奴の台詞が止まる。
 そのマスコットの様なキャラクターはじっと私を見つめて来ていた。まるで私の言葉の真意を探っているようだ。
 しばらくして再び言葉を発してくるが。
『……何がでしょうか?』
「とぼける必要は無い。HO-RAIに巣くっているエニグマはお前だと言っている」
 私に宣言への返答は無かった。
 だが私は確信をもってハクバクへ追及を続けていく。
「そもそも最初に気が付くべきだったんだ。お前の羽化登仙とやらが終った瞬間に私の屋敷と狛騎とチャコが出て来た。お前がここで私の願いを読み取り、HO-RAIで再現する。それがこの仮想空間のカラクリなんだろう?」
『……へェ』
 ハクバクの口調が変わった。
 にこやかな笑みがへばりつくような薄ら笑いへと変貌する。
『こレはこれハ、おトなしく夢二沈んデいれバ良かッた物を……』
 ハクバクはその小柄な体で器用に肩を落として見せた。
 その発せられた言葉に私は確信を深める。
「夢か、そうだな。やはりお前は白澤ではないな、本来は獏の類か?」
 獏、それは夢と食べると言われる怪異である。エニグマとしても以前はよく確認されていたものだ。
 眠っている人間に悪夢を見せて夢を食べ続け、結果として宿主を衰弱させる下級のエニグマだ。
「という事は、だ。このHO-RAIも、全ての望みが叶う世界では無く、全ての夢が叶う世界、だな?」
『そウそう。正解ダ。そレで? どうするのカな? もト魔法使い如キが?』
 ハクバクは私の質問に素直に答えた。取り繕うつもりもないようだ。
 あまつさえ私を挑発するような言葉も吐いて来る。
 この世界に絶対の自信を持っているのだろう。
「どうする、か……」
 ハクバクの挑発的な言葉に私は悩む。
 悔しいが、その自信を砕く方法を私は持っていない。
 正直これは望ましい方法では無かった。出来るならばとりたくなかった方法である。
 しかし逸先輩と病の3人で考え続け、結局他に良い方法は思いつかなかった。
「……病、逸先輩に魔術を止めてくれ、と伝えてくれ」
「……はい、分かりました」
 私の指示に神妙な声色の病が返事をした。
 これで私は病の機械と逸先輩の魔術的の両方のサポート止めた事になる。
 改めて、私はハクバクに向き直る。
「お前の言う通り、今の私にお前を祓う事は出来ない。いや、どんな魔術師だろうと難しいだろうな」
「そうダろう、そうだロう!!」
 ハクバクが嬉しそうに笑った。
 ハクバクの厄介な所は、一対一で向き合ってはいけないエニグマであるのに、この仮想空間で強制的に対面させられる事だ。どんな魔術師、魔法使いだろうと、HO-RAIに入りためには一度はこいつと会話させられる。そうなれば既にHO-RAIに取り込まれてしますのだ。
 こういったエニグマを祓う際には複数人で対応するのが定石なのだが、ハクバクにはそれが通用しない。
 ゆえに。
「私の要求は一つだけだ。狛騎を作り直してくれ」
『……なンだって?』
 その夢を告げた瞬間、ハクバクがじっと私を見つめて来る。
 しかし、しばらくするとその体が小刻みに揺れ始めた。
『ふフ、フはは。あはハはハハ!!』
 ハクバクが空間全体を震わせるような声で笑う。
『そうカ、そウか!! モと魔法使イにもこのHO-RAIはお気二召しタか!!』
「何がだ? 私は出来が気に食わない、と言っているんだ」
 笑い続けるハクバクに私は呆れてしまう。
 きちんと説明しないとこいつは上手く理解できないだろう。
「あの狛騎は違う。大方私に甘い設定にでもしたのだろうが、そんな事は必要ない。私の記憶通りに作れ」
 私は目的をきちんと言葉にしてハクバクへと伝える。
 後はこいつがどう反応するか、なのだが。
『いイだろう、いいだロう!! モト魔法使イ、オ前の夢ヲ叶えてヤろう!!』
 ハクバクは躊躇なく私の要求を聞いた。
『でハこれり、羽化登仙を始メよう!!』
 そうして羽化登仙とやらが開始される。
 この意味は人に羽が生えて仙人となる、という意味もあるが、実はもう一つ意味がある。
 酔って良い気分になる、という意味だ。
 本当に何処まで考えられているのか分からないな。
「……なぁ、ハクバク。少し私の答え合わせに付き合ってくれないか?」
『んン?』
 私はハクバクの羽化登仙が終了する前に声をかけた。
「正直、このHO-RAIには分からない事も多い。お前の正体だって、正直消去法だ」
 ハクバクの正体に関しても、いつ精神変容を受けたのか、という事からの逆算だった。
 HO-RAIの中では全てこいつに手の平の上だったと言ってもいい。
「まず初めにお前が取り付いたのは皐月理咲だった。そして彼女が開発していたHO-RAIに取り付き、そこで人間の数を増やしていった。ここまで間違いはないか?」 
『ソうだね。合っテいる』
 そしてその正体が分かっても、私たちはこいつに手出しする事ができない状況だ。
「ここが理解できない。獏は悪夢を見させてそれを食べるエニグマだったはずだ。お前はどうしてここまでの事ができる?」
『……皐月リ咲は言ってイた。仮想空間デは何でモ叶う、まルで夢の様な世界ダ、とね』
 この状況は偶然の産物かもしれないが、結果として奴は祓う事ができないエニグマとして存在してしまっている。
『夢、であルなラば、獏でアる僕が干渉できナい訳が無いダろう?』
「……驚いたな。そんな言葉遊びの様な理屈でここまでの事態になるか」
 驚きこそすれ、私の魔法だって概念に干渉するものだった。
 元々超自然的な存在がエニグマなのだ。できてしまったのなら、理屈など考えても仕方が無い。
 そもそも魔術や魔法だって、理屈なんかでは説明できない方が多いのだ。
「はぁ、ならばHO-RAIの人形たちが全て皐月理咲を元にしていた理由はあるのか?」
『いヤ、何も? 全てソいつの好きナ様に見えるンだカら、元はドうでモいいだロう? たダあったカら使ったダけだ』
 これは病の予想通りだった。
 HO-RAIで皐月理咲のコピーを大量に作り、ハクバクの精神変容で望む相手に見せる。
 多少の矛盾や齟齬もこいつの能力のせいで気にならない。
『こちらカらモいいか? モト魔法使い』
「なんだ?」
『お前は錫蒔狛騎をオ前の記憶のマまに作り直セ、と言ったガ本当にいイのか?』
「……何がだ?」
 ハクバクからのその質問に現実で冷や汗が出る。
『お前ノ言う通りニすれば、事実と矛盾ガ起きルぞ? そうナった場合、その人物がドんな反応をスるか、予想がツかないが?』
「……ただのエニグマがそこまで考えるか。本当に驚かされる。しかし問題は無い。狛騎はその程度で動じない」
 心の底から驚いた。
 ハクバクはかなりの知能を獲得し始めている。
 話が出来るエニグマは何度も出会ってきたが、ここまでの会話が出来るものとなると数えるほどだ。
 本当に。
「そろそろ準備は出来たか?」
『もうトっくに出来ていルよ』
「そうか。ならば、お前の様なエニグマにはもう会わない事を祈るよ」
『ソうかそウか!! ならバ喜ぶガいい!! もウ会う事ハ無いだロう、元魔法使イ!!』
 全てバレてしまうかと思った。
『それデはこレにて、羽化登仙を――』
 高らかに告げようとしていたハクバクの言葉が止まる。
 白い光は空間を染める事無く、小さなサイズの穴から大きくならなかった。
『――なンだ?』
 奴は怪訝な表情で周囲を見渡した。
 そうして奴の周囲にいくつかの画面が現れる。
 凄いな、仮想空間ではあんな事もできるのか、と私はどこか呑気な思考で考える。
「どうかしたのか? ハクバク? まさか、夢の様な世界に問題でも起きたのか?」
 私は笑みを浮かべてハクバクに声をかける。
 時間稼ぎは既に終了した。
『何をシた!?』
「私は別に何もしていない。お前が言ったんじゃないか? 元魔法使い如き、と。私にできる事など何も無い」
 私には、出来ることは無い。そしてハクバクには、手出しが出来ない。
 ならばどうするのか。
「HO-RAIが壊れ始めでもしたのか?」
『~っ!? あぁ、クそ!!』
 次の瞬間、ハクバクの姿が消えた。
 おそらく原因の元を探しに行ったのだろう。
 せいぜい頑張るといい。それは私でも正攻法では解決できなかったものだ。
 そして私は作っておいたメールを大伴瑞希に送信した。
「さて……」
 私は残された小さな白い穴に足を進めていく。
 こちらもきちんと終わらせなければならない事だった。
 震えそうになる手足を無理やり動かしていく。
 おそらくそう時間も残されていない。
 私は白い穴に、狛騎の元へと飛び込んだ。

 幸せだった。
 学校帰りに友達と遊ぶ。一緒にお弁当を食べる。休みの日に遊びに出かける。
 それが私の夢だった。
「瑞希、次はどこに行く!?」
 水朔が私の手を引いて笑う。引っ込み思案な私と対照的な彼女は溌剌と私の手を引いて進んでいく。
 楽しい。幸せだ。
 明日もこんな日が続けばいいと、そう願う。
 そしてその望みは叶い続けるの。
『メールが届きました』
 そんな私と水朔の幸せな時間に無粋な音声が割り込んだ。
 何なんだ一体、と私は手元を操作してメールを確認する。
 そこには。

 差出人:芹生 千桜
 件名:すまない

 とだけ表示されている。
 不快な名前が見えて顔をしかめてしまったが、その内容はどこか気になるものだった。
 もしかして昨日のやり取りを反省しての謝罪なのだろうか。
 そう言う事なのだったら、話を聞かないでもない。
 あの芹生千桜にも何か都合があったようであるし。
「瑞希? どうかしたの?」
 しかし今優先すべきは水朔の事だった。
「ううん。何でもない。ただの何でもないメール」
 私はそう言って水朔へと顔をあげる。
 その際に、足元を一匹のウサギが通り過ぎた。真っ赤な瞳を持った大きな兎だ。
 一瞬目を奪われたが、すぐに水朔へと視線を移す。
 そこには愛らしい友人の顔と。
「え?」
 目玉がそこにあった。
 彼女の髪の陰から赤い瞳が覗いていた。
 瞬きの隙に消えてしまったが、あれは。
「瑞希?」
 固まった私に水朔が近寄って来た。
 友人にこんな態度を取るべきでない。私は気を取り直して彼女を見て。
「……なに、これ」
 それに気が付いた。
 空、雲の隙間から巨大な瞳が覗いている。
 そして視線を上に向け、私は街に惨状に気が付く。
 山に巨大なムカデがとぐろを巻いている。
 周囲は茫然としている人と、逃げている人と2種類存在していた。
 遠くの方では高い建物が崩壊している様が見える。
 「ひっ!?」
 私の口から悲鳴が漏れ出る。
 目の前で起きている状況に理解が追いつかなかった。
「み、水朔……」
 友人に声をかけるも、彼女は能面の様な無表情のまま立ちすくんでいた。
 恐怖している様子では無い。
 まるでこの状況でどう行動すればよいか理解できずに茫然としているような。
 次の瞬間、視界の端の建物が粉砕する。
「な、何なのよ……」
 煙に中から人影が飛び出した。
 白い中華風の衣装を着た少年が次の建物に突っ込み、その建物が瓦礫の山となる。
 おおよそ現実感の無い光景に、しらず足が一歩下がった。
「水朔、……水朔!?」
 いつまでも返答しない友人に業を煮やして叫んだ。
 しかしそれでも彼女は動かない。
 周囲には同じように動きを止めた人が大勢いた。
 皆同じように固まっている。まるで電源の抜けたロボットの様に。
「……っ!!」
 私はついに水朔を置いて駆け出した。駆け出したのだが。
「おやおやおやぁ?」
 白いチャイナ服を着た女性が目の前に立ちふさがった。
 白い髪をお団子にしたものが二つ。前髪が目を完全に隠している。
 まるでアニメや漫画の世界から飛び出してきたキャラクターのようだ。
 しかし。
「あぁ、貴方はどうやら違うようですねぇ~!! いやはや何なんですかこの世界は? 人間達を殺そうにも何故か触れる事も出来ない。そのため吽形は街の破壊の方に目的を変えたのですが~、いや~、私は直接的な暴力は苦手でしてね~?」
 その女性は一方的にしゃべり続けた。いや、私は喋る事ができなくなっていた。
 その存在の恐ろしさに飲まれていた。
「貴方ならば、もしかして殺せるのではないかと、ね?」
 女性に背後に影が生まれる。
 いや影では無く、無数の化物の集合体だった。
 人より大きな獣や、鋭い嘴を持った怪鳥。
 人を殺す生き物達。
「いやぁああ!?!?」
 HO-RAIが地獄と化していた。
 私は即座にHO-RAIからのログアウトボタンを連打した。
 
『なんダ!? 一体何が起きテいる!?』
 HO-RAIの街が崩壊を始めていた。
 ハクバクが上空に向かうとそこは地獄も同然の状況だった。
 その原因はエニグマだった。
『ナんだあのエニグマ共ハ!? 一体ドこかラ現レた!?』
 HO-RAIにおいて人間にはダメージなどは存在しない。
 しかし建物や物質はその対象ではない。何故なら物を壊したいという欲望も存在しているからだ。
 そんな夢を叶えるため、HO-RAI無いにおいて何かを壊す事は出来る。
 出来るが、建物をこうも壊せる人間などハクバクは想定していない。
『あァ、くソ!!』
 ハクバクは上空から事態の原因を探し始める。
 暴れているエニグマの数が多すぎて、個別に対処していては先にHO-RAIが完全に破壊してしまう。
 またHO-RAIをロールバックしようにも、原因が分からなくては意味が無い。
 何よりハクバクはようやく多くの人間を取り込めたのだ。ここでトラブルが発生しては彼の目的は全てが無意味になってしまう。
 そうして、ハクバクはエニグマの出現の中心部分を発見した。
 そこに居たのは人間だった。
 いや。人間のはずだった。
 それは白い着流しの男だった。
 彼は風流な姿で散歩をするように神社の境内を歩き、その手からは無数のエニグマを生み出し続けている。
 息をするように破滅をまき散らす彼を、ハクバクは人間と認識してよいか迷う。
 しかし、そいつをどうにかしなければHO-RAIが壊しつくされてしまう。
『何ダ!? オ前は!!』
「ん? 君は?」
 ハクバクが空から降り立って男に叫んだ。
 そのマスコットキャラクターの様なハクバクを、彼は小首を傾げながら迎えた。
 それはまるで鳥が空から下りて来たな、位の軽い物であったが。
「ふむ、ぼくの作ったエニグマでは無いな。なんの用かな? エニグマ君?」
 男はその口からは信じられない事を発した。
 その男の名は獅子門才禍。
 芹生千桜が祓う事ができず、一度空泉市を崩壊させた、人から生み出されたエニグマである。
 その能力は千桜の対となる『虚構を現実化』するものだ。その能力を用い、エニグマの百鬼夜行を作り出した。
 そしてハクバクは知る由も無かったが、その出生が錫蒔狛騎と強く結びついている存在である。
『何の用でハ無イ!! お前ハ何者だ!?』
 ハクバクは才禍に詰め寄りながら彼の解析を始める。
「私か? 私は獅子門才禍という。虚構を現実化する事ができる、……そうだな、エニグマを生み出せるエニグマだ」
『何だト!?』
 明かされた正体にハクバクは面食らう。
 一体何故そんな存在が急に現れたのか、と思考を巡らせるが答えが出るわけがない。
 彼には答えにたどり着くための情報が全く足りていないのだ。
『っ!! お前ノ目的は一体ナんだ!? 何故コのHO-RAIを破壊スる!?』 
「何故?」
 そして、答えにたどり着いたとしても意味は無かっただろう。
「それが出来るからだ。出来る事をして何か問題があるのか?」
『ナっ!?』
 倫理の欠片も存在しない、タガが立ずれた言葉にハクバクが言葉を失う。
「強い者が何故弱い者に配慮しなくてはならない? 私が好きにして、何が悪いんだ?」
 彼は元々、兄の為に生贄にされる人間が死に際に生み出したエニグマである。
 搾取と抑圧によって生まれた化物に常識など通用しない。
 話し合いなどはなから意味が無い。
『――そうカソうか!! なラば話が速イな!!』
 しかしそこで、ハクバクの解析が終了した。
 彼は錫蒔狛騎の生贄にされた人間が「自らが生きていたら」という虚構を現実化した存在である。
 ここでハクバクは千桜の企みに気が付いた。
 もう既に何もかも手遅れであったが。
 それでも、ハクバクは彼の正体に笑みを浮かべる。
『人間、ソうかそうカ!! お前、元ハ人間なのカ!!』
 獅子門才禍は元々人間である。
 人間であるのならば、ハクバクとHO-RAIから逃れる事は出来ない。
 ハクバクは才禍の夢を読み取り、HO-RAIによる再現を始める。
『はハはは!!』
 ハクバクが笑う。人間如き、このHO-RAIでは何もすることが出来ない。
 どんな存在であれ夢に溺れるだけである。
 そして獅子門才禍の夢とは。
「……母さん」
 現れたのは金色の刺繡が施された赤いローブを被った赤毛の女性だった。
 どこかぼんやりとした表情で周りを見渡したのち、獅子門才禍を見据える。
「才花?」
 彼女の名前は錫蒔絵羽。
 錫蒔狛騎と獅子門才禍の母親であり、狛騎への生贄として才禍の元となった人間を殺した女性である。
『何と何ト!? 母親こソお前の夢ダったノか!!』
 自分を殺した母親を願うとは、とハクバクが笑う。
『いイだろウいいダろう!! 好きに願うがいい!! HO-RAIはすべての夢を叶えよう!!』
 すべての夢を叶える世界に嘘偽りは無い。
 HO-RAIはどんな夢でも叶えてしまうのだから。
「あぁ、才花。ごめんなさいね、お母さんが間違っていたわ」
 絵羽が自愛の微笑みを携えながら才禍に歩み寄っていく。
 そうして彼女は才禍を優しく抱きしめた。
「素晴らしい能力だわ。それだけすごい能力を持っているんだもの。狛騎よりも貴方を育てるべきだったのよ」
「あぁ……」
 才禍が絵羽の肩に顔をうずめる。
 才花は父親が違うという理由だけで、能力を持っていない狛騎の生贄とされた人間である。
 その根底には兄である狛騎へのコンプレックスと母親への執着が強く根付いていた。
 ハクバクはその夢を読み取り、それはHO-RAIによって再現された。
「あぁ、本当に素晴らしい能力だわ、才禍」
『あはハハははハ!!!!』
 ハクバクは笑う。
 人間である限り、夢を持つ限り、ハクバクとHO-RAIから逃れる事は出来ない。
 人間ごとき取るに足らない存在だと、夢を操るエニグマは慢心していた。
 ゆえに、ハクバクが見誤ったのはただ一つ。
「だから、その能力で一緒に世界を滅ぼしましょう?」
『……ハ?』
 自分の幸福のために他者を踏みにじるという、汚泥のごとき人間の業であった。
 埒外の出来事に思考停止したハクバクをよそに獅子門才禍と錫蒔絵羽が笑いあう。
 獅子門才禍が再びエニグマを作り出し始めた。
 錫蒔絵羽がネクロマンサーの能力で死霊を呼び出す。
 HO-RAIに混沌が生み出される。
『あァ……、ぁぁあアアあああ!?!?!?!?』
 もう全てが手遅れであり、ハクバクにはその様子を見ている事しかできなかった。

 白一色から徐々に視界が明瞭になっていく。
 場所は以前と同じ専念森の屋敷の応接間だった。
 そして、前と同じ通りなら背後に狛騎が立っているはずだった。
「――ぁ」
 声が出せなかった。
 なんと言えばいいのだろうか。何を話せばいいのだろうか。
 いやそれよりも、なんと言われるのだろうか。
 もう一度甘い夢に溺れてしまったら振り払える自信も無かったもなかった。
 そうして振り向くことすらできずにいたのだが。
「……驚いた。千桜が仮想空間に居る? これは夢かな?」 
 そのあんまりといえばあんまりな、いつも通りな言葉に私は肩の力が抜けてしまった。
「……まったく君という奴は」
 勢いのまま私は背後を振り返る。
 そこには錫蒔狛騎が困ったように笑いながら立っていた。
「久しぶりに会ったと思ったら第一声がそれか? どうやら何とかは死んでも直らないとは本当だったらしいな」
「酷いな……。千桜こそ相変わらずだ。死んだ人間に対して慈悲の心とか無いわけ?」
「……選択の余地が無い状況で一方的に私に魔法を使わせた君が言うか?」
「わ、悪かったとは思ってるよ……」
「ふん。その割には幸せそうに消えたくせに」
 狛騎はバツが悪そうに視線を逸らす。
 彼が生きていた頃と変わらないやり取りに、私は懐かしさを感じながら涙が出そうになってしまう。
 あぁ、ここが仮想空間でよかった。
 こんな顔は彼に見せたくなかったから。
「だから悪かったって……。はぁ、千桜は変わらないなぁ。これでも君が泣いたらどうしようとか身構えてたんだけどな」
「ふん、人がそんな簡単に……」
 思わず口からついて出かけた悪態を止める。
 これでは前を変わらない。
 後悔はもうしたくないのだ。
「……いや、変わったよ。あんな事があって変わらない訳があるか」
 私は本心を狛騎に告げる。
「私も少しは変わったんだ。変わって、これからの人生を生きていくしかないんだ。だから」
 私の舌の動きが止まった。
 言葉にするのが怖い。今はもう私と狛騎に魔力的なつながりはない。
 彼の心がわからない。この言葉を告げてどんな反応をされるのか予想もつかない。
「……千桜?」
 言葉を止めた私を狛騎が様子を窺うように覗き込んできた。
 恥ずかしさと不安から目をそらしたくなる。
 それでも。
「ありがとう、狛騎。君と出会えて、君と過ごす事ができて良かった」 
 私は狛騎の目を見てその言葉を告げた。
 君が大好きだと思っていてくれた目を、私はまだ保てているだろうか。
 私に言葉を聞いた狛騎は目を見開いて驚いていた。
 私自身、似合わない事をしているという自覚はある。
 あと彼がどんな反応を返すのかだったが。
「千桜、やっぱり頭でも……、いや、ごめん。茶化すのは良くないね」
「それはもうほとんど言ってるも同じだろ!?」
 彼の返答に対して反射的に叫んでしまった。
 というかこいつはなんなんだ。人がせっかく素直に言葉を告げたというのに。
「だからごめんって。まさか千桜からそんな素直な言葉を言われるとは思って無くて……」
「ふん。何とでも言え」
 狛騎は両手を合わせて平謝りをしてくる。私は腕組みしつつそっぽを向いた。
 こいつこそ本当に変わらないな、とそう思ったが。
「そっか……。あぁ、やっぱり残念だな」
「何がだ?」
「君ともう過ごすことが出来ない事が」
「狛騎、君は……」
 今度は私が言葉を失ってしまった。
 彼のその言葉が、どんな意味を持つのか分からない訳がない。
 自分に生きる意味は無いと、他者から必要とされる事で生きる意味を見出してきた彼がどんな気持ちでその言葉を告げたのか。
「うん。今でもやっぱり、僕に生きる意味なんてあるとは思えないけど」
 狛騎がはにかむ様に告げる。
「それでも、逸さんに助けられて、普通の生活とやらを送らせて貰って、そして君と出会えて」
 彼は頬を掻きながら、懐かしむように惜しむように言葉を紡いでいく。
「もう少しだけこの生活が続けば良いな、なんて思ったりして」
「……そうだな」
 彼の言葉に頷いた。
 確かにあの日々は私にとっても大切な思い出だ。何があっても忘れたくないほどに。
 そしてもう失ってしまったからこそ、わずかな後悔もある。
「私も、もう少しだけ自分に素直になるべきだったと、そう思うよ」
「僕も、別にいつ死んでも良いと思っていたつもりだったけど」
 私たちはお互いに胸の内に秘めていた後悔を伝え合った。
 もう既に意味は無い事なのかもしれないけれど、伝えられないよりずっとずっとましだと思うから。
 遠くで何かが崩れる音がした。
 二人で窓の外を見ると、空が剥がれ落ち始めている。
 もうHO-RAIは限界のようだった。
「……え、何だこれ? なんで仮想空間が崩壊してるの?」
「ん? あぁ、伝えていなかったな。ここにエニグマが住み着いていたんだ。だから、仮想空間ごと壊す事にした」
「えぇ……? 力技過ぎない?」
「あいにく、誰かさんのせいで無茶をして魔法がもう使えなくなってしまったんだ」
「そ、そうなんだ。ならしょうがないね……」
「あぁ、だから。……これでお別れだ」
 私は彼の隣に並び立つ。
 仮想空間の、仮初の終わりだが、それでも今度は彼と一緒に最後を迎える事ができるように。
「今度こそさようならだ。狛騎」
「……うん。さようなら、千桜」
 世界が崩壊していく。
 森が徐々に白い光になって溶け出した。
 この屋敷ももうすぐ光に飲まれるだろう。
 その時、ふと思い出したことがあった。
「あぁ、そうだ。実は君に一つ言っていなかったことがある」
「……千桜が? 何を?」
 その消え去る刹那に。
「私は、別に君の事を嫌ってなんかないぞ。狛騎」
「——え?」
 狛騎が何を言われたのか理解できないように呆ける。
 それは彼が生前悩んでいた事だった。私に嫌われている、と。
 まったく失礼な奴だ。
 けれど、彼のその面食らったような表情を見て、私の溜飲は幾分か下がった。
 ほんの少し、いい気味だった。

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