Withコロナ時代のアジアビジネス入門㉞「半端ない“東ティモール愛”と防衛大留学」@毎日アジアビジネス研究所
“飛び地”オエクシ県に「キタハラ港」
駐日東ティモール民主共和国大使のイリディオ・シメネス・ダ・コスタ氏のインタビューに立ち会った際、さかんに「キタハラ港、キタハラ港」と言っていました。気になって大使に聞いてみると、それは東西に分断されたティモール島の西側のインドネシア領にある東ティモールの飛び地、オエクシ県にある港湾施設のことでした。元駐東ティモール日本国大使の北原巌男氏にちなんで「キタハラ港」と呼んでいることが分かり、直接、北原氏に会って話を聞いてみました。
北原氏は開口一番「港は、私が帰国して2年後に完成しました。日本のODA事業としての港湾整備なので、人の名前をつけるのはふさわしくないのではないかと思いました。日本政府もその旨申し入れたようですが、グスマン首相(当時)が閣議で決めたと伺っています・・・」と遠慮がちに語りました。
小泉首相と自衛隊PKOで初訪問
しかし、北原氏の話が進むにつれ、半端ない“東ティモール愛”を感じました。
現在、日本東ティモール協会会長を務める北原氏は防衛省出身です。防衛省運用局長時代の2002年3月、小泉純一郎首相(当時)とともに自衛隊PKOの責任者として内戦の傷跡が残る東ティモールを初めて訪問しました。同5月20日の独立をお祝いする会場は自衛隊が整備しました。こうした縁もあったのでしょう、北原氏は防衛施設庁長官を最後に退官した後の2008年9月に駐東ティモール日本国大使に就任しました。
私が北原氏の功績で素晴らしいと思うのは、「キタハラ港」整備に尽力したこともさることながら、何といっても同国の若い軍関係者を日本の防衛大学校に留学させたことだと思います。「国造りは人造り」と言われますが、まさにそれを体現しています。2020年3月現在、東ティモールからの留学生11人(うち女性1人)が防衛大を卒業しています。
日本で民主主義時代の幹部養成
尊敬する政治学者の五百旗頭真氏(神戸大学名誉教授)は防衛大学校校長時代、防衛白書(2010年版)に次のように書きました。少し長いですが、紹介します。
「本年、防大は新たに東ティモールから男女4名を迎えた。昨年、北原大使の案内で同国のグスマン首相が来校し、全防大生に講演した。(中略)東ティモールといえば自衛隊がPKO活動を行った地である。住民に銃口を向けるのではなく、住民のお役に立つことを進んで行う有能で軍紀の確かな自衛隊、その評判を得た活動あればこその要請であろう。民主主義時代の軍幹部を養成するには日本留学がよい、そうした期待に応える4人のよき防大留学となることを望みたい」
住民に銃口を向けるのではなく、住民のお役に立つことを進んで行う――。東南アジアではクーデターが起きたミャンマーをはじめ、タイ、インドネシアなどの軍隊はエリート集団ですが、東ティモールは「貧しい層からも志願しており、必ずしも裕福なエリート階層出身ではない」(北原氏)といわれています。それだけに民主主義時代の軍幹部に育ってほしいと願います。
山椒は小粒でも・・<g7+>リーダー国
一方、北原氏は国際社会で東ティモールの役割を日本は認識すべきだと主張します。東ティモールが主導して組織化し活動を続ける<g7+>です。南スーダンやソマリア、アフガニスタンなど脆弱なポスト紛争国20カ国を相互に連携させ、主体的に自国の開発に取り組むとともに、主要7カ国(G7)などによる都合の良い支援の押し付けを防ぎ、真に必要とする支援を獲得していこうとしているからです。北原氏は「持続可能な開発目標(SDGs)実現に向けても随時<g7+>会合を主催するなどしている。20カ国に対する東ティモールの影響力の大きさを看過してはならない」と呼びかけています。まさに「山椒は小粒でもぴりりと辛い」の言葉通りです。
北原氏が会長を務める日本東ティモール協会は司馬遼太郎著「坂の上の雲」から引用し、<まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている>の言葉を掲げています。アジアで最も若い国である東ティモールも今、当時の日本のように急速に変化を遂げていることをアピールしています。これもまた、“東ティモール愛”のひとつです。
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毎日アジアビジネスレポートのトピックなどをもとに、所長としての視点をNOTEでまとめています。イリディオ・シメネス・ダ・コスタ駐日東ティモール民主共和国大使のインタビューは毎日アジアビジネスレポート2月号に掲載されています。レポートの購読や問い合わせなどはメールで毎日アジアビジネス研究所 <asia-biz@mainichi.co.jp>までお寄せください。
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