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Withコロナ時代のアジアビジネス入門㊺「西田幾多郎<禅の風景>と設計思想」@札幌「テレサの森」物語(3)

「スタジオ・シンフォニカ」
 札幌市南区真駒内郊外の<山全体の構想>をデザインした建築家(一級建築士)、畠中秀幸さんは「テレサの森」プロジェクトのプロデューサーである。畠中さんは札幌で建築設計・音楽企画事務所「スタジオ・シンフォニカ」を設立し、「音楽のような建築を、建築のような音楽を」を目標に、人々が集う空間づくりを目指してきた。
 所有者である園芸療法士、石山よしのさんが尊敬するマザーテレサの理念を反映させようと思い描いたプロジェクトに共鳴しデザインした<山全体の構想>には畠中さんのいかなる設計思想が背景にあるのか。
<ある>と<ない>の境目を現象化
 そう考えた時、京都学派の哲学者、西田幾多郎(1870年~1945年)の<禅の風景>が見えてくる。
 なぜ、西田の<風景>なのか。そもそも<禅の風景>とは何なのか。
  畠中さんによると、マザーテレサの人生に準(なぞら)えて「テレサの門」「テレサの壁」「テレサの丘」「テレサの道」「テレサの家」を地形に寄り添ってデザインされた<山全体の構想>は、マザーテレサの生涯を即物的に置き換えることに留まらず、その空間がさまざまな人々に追経験されて純粋な意味が生まれることを意図している。
 さらなる主題は、「テレサの家」において<ある>と<ない>の境目を現象化するビニールハウスの可能性を探ることにある――。これこそが<禅の風景>の紐解きにつながると思った。
虚無や空虚とは何かを探る
 畠中さんは私の書面インタビューに自らの設計思想について次のように答えている。
 「北海道の長沼町に17年前に完成したポエティカという詩と芸術のための館があります。オーナーは精神科医の高塚直裕先生で、設計させて頂くにあたって先生との対話から『自然(特に水)の気の流れを変えないこと』『音楽のような、そして楽器の中に入っている感覚をもてるような建築をつくること』『<ある>と<ない>の境目を現象化すること、つまり虚無や空虚とは何かを探ること』がテーマとして導き出されました。この三つの主題は今でも私の設計スタンスの背後を統(す)べている大切な概念です」
 私は<ある>と<ない>の境目を現象化し虚無や空虚とは何かを探ろうとする畠中さんの設計スタンスに、西田の禅的な世界観があると強く感じた。思えば、西田の人生は途中、次女と五女を亡くし、続いて母と長男の死、子供たちの病気、妻の死が襲ってくるという悲劇の連続だった。西田は同郷の石川県出身で禅文化を世界に知らしめた仏教学者、鈴木大拙(1870年~1966年)と生涯にわたって親交があり、禅思想から日本哲学を形づくっていった。
 編集工学研究所所長・イシス編集学校校長の松岡正剛氏は西田哲学の根本思想である「絶対矛盾的自己同一」をコラムで次のように説明している。
 <西田はその悲しみの連続の只中で、ついに自己を「主客がいまだに分かれていない存在」というふうに掴(つか)まえて、その依(よ)って立ったる場所そのものを見つめようとした。それが「絶対矛盾的自己同一」というものだったのである>。
 <われわれは、一と多、「ある」と「ない」、自己と他者、そこにいる自分とそれを支えている場所、見るものと見られるものといった、一見すると対立しあうようなものと一緒に生きている。そこからは逃げられない。だとしたら、どんな矛盾をも包含する決意のようなものが必要なのだ。西田はそれを「絶対矛盾的自己同一」という9文字に凝縮させたのだった>
京大建築学科と「絶対矛盾的自己同一」
 畠中さんの思索をたどると西田の禅的な世界観が形成される様子が見てとれる。畠中さんは京都大学建築学科の研究室配属では歴史を主体とした建築論を専攻するべく、戦後のモダニズム建築家として知られる増田友也教授(1914年~1981年)の愛弟子である加藤邦男教授研究室の門を叩いた。初めて参加したゼミは会話が宇宙語にしか聞こえなかったという。その言語の基礎になっていたのがギリシャ哲学、フッサールの現象学、ハイデガーの実存主義、そして西田哲学であった。畠中さんは3、4回生時には総合大学の利点を生かして文化人類学や宗教現象学の講座をとっていた。その中で最も印象的だったのが「西田幾多郎研究の第一人者、上田閑照教授の講座で、西田の『絶対矛盾的自己同一』を空間論から読み解いた二重世界内存在は忘れられない」という。
圓通寺でバッハの響きを聴く
 大学時代からさらに遡り、高校時代に修学旅行で訪れた京都の臨済宗妙心寺派、圓通寺で霊性(スピリチュアリティ)が宿ったかのように「音楽のような建築を創ってみたい」という漠然とした目標を感じた。畠中さんは書簡で「(圓通寺の)方丈、縁側、庭園、垣根、借景としての比叡山、そして空(「そら」もしくは「くう」)。それらがそれぞれのフェイズを保ち、互いに意味を分かち合いながら重層していることに気づいたときに、そこで確かに壮大な響きのバッハを聴いたのです」と書いている。
プロジェクトとの<必然の出会い>
 畠中さんは建築では六書堂新築工事で札幌市都市景観賞を受賞したり、音楽ではプロとアマの交流と子供への音楽教育に特化した北海道吹奏楽プロジェクトを推進し軌道に乗っていた。ところが、40代になり、突然、畠中さんを脳卒中が襲った。そして、リハビリをしながら建築・音楽の活動を続ける畠中さんが出会ったのが「テレサの森」プロジェクトだった。ポエティカの高塚先生の直感で石山さんを紹介され、プロジェクトに参加した経緯は、まさに<必然の出会い>でなかったかと思う。畠中さんは「(脳卒中という)病の苦しさは個人的な問題ではありますが、その個別性を何とかしてプラス方向に転換し、社会に還元できないかと思っています。そういう意味では理想と現実、構造と現象などを繋ぐのは、行為でありプロセスであると考えます。建築も音楽も名詞ではなく動詞として捉えたい」と語っている。
 「テレサの森」プロジェクトは、<音楽の風景>、<愛の風景>、そして<禅の風景>が重層的にかさなり合っている。
 次回はプロジェクトに参画する若手音楽家たちに焦点をあててみたい。


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