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美の論理から学ぶ

私が現在読んでいる書籍、「美の論理」は大変面白い記述や、
興味深い過去の偉人の言葉があるが、これは!と思ったものがあるのでそちらを記しておこうと思う。

「芸術は無用」
芸術家とは、諸々の美しいものを想像する人である。
芸術を表して芸術家を隠すことが芸術の目的なのである。

批評家とは、諸々の美しいものから受けた自己の印象を、別な形、
もしくは新しい材料に移し替えることのできる人である。
最高の批評は、最低のそれと同じように、自伝の一種なのである。美しいものに醜い意味を見出す人々は、腐敗しているだけで魅力がない。これは一つの過失である。美しいものに美しい意味を見出す人々こそ、教養人なのである。これらの人々には望みがある。
美しいものが「美」だけを意味する人々こそ選ばれた民なのだ。

道徳的な作品とか不尊徳な作品とかというようなものは存在しない。作品は巧みに書かれているか、巧みに書かれていないかだ。ただそれだけのことである。

(中略)

芸術家は断じて病的ではない。芸術家はあらゆるものを表現することあgできる。
思想と言語が芸術家にとって芸術の道具なのだ。
悪徳も美徳も芸術家にとっての素材料にすぎない。

形式の観点からすれば、あらゆる芸術の典型は音楽家の芸術である。
感情という観点からすれば、俳優の演技こそがその典型である。

あらゆる芸術は、表面であるとともにまた中小でもあるのだ。
表面の下を探ろうとするものは、危険を覚悟すべきである。
象徴を読み取ろうとするものもまた危険を覚悟すべきである。
芸術が真に映し出すのは、人生を見る者であって、人生ではない。

ある芸術作品に関する意見の相違は、その作品が新鮮で、複雑で、生命力に満ちていることを示す者である。批評家たちが、一致しないとき、芸術家は事故と調査している。有用なものを作る製作者が、それを賛美しない限りにおいて許される、無用のものを作る、唯一の口実は、人がそれを熱烈に賛美する当ことである。

芸術は全て全く無用のものなのだ。

と言う文章だ。
これは世の中のどんな活動にも共通する文脈を持つ。
大切にしていきたい価値観だ。

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