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【前編】「言語」と「生」の思考宇宙:『ウィトゲンシュタインはこう考えた』(著:鬼界彰夫)を読んで

本書『ウィトゲンシュタインはこう考えた』(著:鬼界彰夫)は、2003年に講談社現代新書より出版されたウィトゲンシュタイン哲学の入門書である。新書といっても、417ページあるのでかなり分厚い。しかも、あとがきもなくぎっしりと内容が詰まっている。著者の鬼界彰夫は、言語哲学、ウィトゲンシュタイン研究を専門とする哲学研究者。講談社より2020年に出版された『哲学探究』の訳者でもある。

ウィトゲンシュタインは少し変わった哲学者だ。生前に出版された本は事実上、主著の『論理哲学論考』1冊のみ。いわゆる「後期」ウィトゲンシュタインと呼ばれる以降の著作について(たとえば『哲学探究』1953年など)は、死後に残された2万ページにも及ぶ膨大な「遺稿」を編集し公刊されたものとなっている。彼は生涯を通して膨大なメモ書きを残した。それらは、まず「考察」(ベメルクンク)と呼ばれる最小単位としてノートに書き残される。それに続き、それら「考察」から特定のものを選び出し、分類し、並べ替えて様々な二次的なテキストを製作する。「遺伝子操作」になぞらえられる執拗なまでに操作的な編集工程を日々の執筆活動の基礎と置いていたからこそ、あの特徴的な番号づけられた短い命題の集合を幾何学的に配列した文体が生み出されているのだ。

そこで、本書はウィトゲンシュタインの思考の軌跡を、この「考察」(ベメルクンク)を基礎テキストとして参照しながら丹念に追っていく。いわば、実証的な「ウィトゲンシュタイン文献学」の成果として、彼の思考宇宙を追体験させてくれるのだ。

ウィトゲンシュタインの哲学的仕事は、その生涯を通して「言語」と「生」の問題に関わってきた。誰しもが「語っている」し「生きている」。それが本当に意味するところを真に省みることは少ない。よく、哲学を学ぶ理由について「巨人の肩の上に立つ」というメタファーがある。自分の代わりに考えてくれた偉大な先人たちを参考にすることで、自分自身が課題としなければならないことを省みるのだ。その意味において、ウィトゲンシュタインの思考は、まさにすべての生活動の基盤を成す「言語」と「生」の認識にアップデートを迫るものだ。


『論考』の出発点と彼の生きた時代

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889年4月26日 - 1951年4月29日)が、哲学的歩みを始めたのは彼がケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの学生であった23歳の頃のことだ。彼は、いわゆる「論理学革命」の時代的・地理的な中心地において、その思索をスタートさせた。

「ケンブリッジ、1912年」

「言語」をめぐるウィトゲンシュタインの思考は、ケンブリッジにおいて彼が没頭した「論理とは何か」という問いに始まる。20世紀、論理学は大きな革命を体験した。有名なゲーデルの不完全性定理やコンピュータも、この革命から生まれた。論理学革命の核心は、論理的推論に関わる人間の思考すべてを表現する記号言語(記号論理学)の考案と、それを用いた推論の計算化であった。

思考と推論を計算化するこうした記号言語(概念記法)を、19世紀末に独力で考案したのがドイツの数学者ゴットロープ・フレーゲである。フレーゲが概念記法を考案したのは、数学の全定理を少数の論理の公理から証明することにより、数学を確固たる土台の上に築かれた揺るぎない体系として再構築することだった。これはまた、記号論理学の誕生を意味する。数学に関するフレーゲの構想は、バートランド・ラッセルが有名な「ラッセルのパラドックス」を発見したため、実現を目前としてとん挫するが、その後にラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドに受け継がれ、、アリストテレスの『オルガノン』以来もっとも重要で独創的な仕事の一つとも言われる『プリンピキア・マセマティア』により実現される。ウィトゲンシュタインが、バートランド・ラッセルに師事したケンブリッジ、1912年とは、まさにこの『プリンキピア・マセマティカ』刊行の真っ最中であったのだ。

「論理とは何か」:フレーゲの論理学は何を意味するのか?

『論考』で問われている「論理」とは、何よりフレーゲの論理学のことを指す。『論考』に登場するさまざまな論理記号や専門的用語、「論理形式」、「対象」、「名」などの重要概念もフレーゲの論理学を源泉としたものだ。ウィトゲンシュタインは、フレーゲによって体系されたこの新たな論理学が一体いかなる意味を持っているのか、それが証明する論理の諸定理は何を意味しているのか、それは何についてどのようなことを語っているのか、を問題としたのだ。

では、フレーゲの論理学とはどのようなものなのか。それは、彼自身による「何が論理的推論か」の判別に基づいて、それらを体系的に証明する理論として組み立てられている。そもそも、推論とは、ある前提をもって結論を導く思考様式である。その際に、前提と結論の間にはある種の関係が存在する。その関係によって、前提が真であれば必然的に結論も真であることが自明である推論こそが、論理的推論だ。フレーゲは、論理的推論を考察する際に、その対象を2つに分けた。ひとつは、命題間の論理的関係に関わる部門(⇒命題論理)、もう一つは単位命題の内部的な論理構造に関わる部門(⇒述語論理)だ。

前者は、「否定(でない)」・「連言(かつ)」・「選言(または)」・「条件(もし…ならば…)」の四つの論理的接続に集約される。個々の命題とこれらの関係を記号化することで、論理的推論は記号式として表される。なお、『論考』では、これら四つの論理的接続概念を「論理定項」、「真理関数」、「真理操作」などと呼ぶ。

他方で、述語論理は量化理論をその核心とする。論理式に含まれる変数を量化するわけだ。つまり、「三匹の黒い豚」という際に、「三匹」とは「黒い」のような物の性質ではなく、物の数量である。フレーゲは、そもそも「数学を確固たる土台の上に築かれた揺るぎない体系として再構築する」ことを目標としていたため、量化子の論理的性質を記号で表現し、量化子を含む推論を論理的推論として証明することが目指された。なお、『論考』の命題の論理形式という概念は、この「述語が表す命題の論理的内部骨格」という概念をさらに純化したもので、命題に現れるすべての名を変項で置き換えたときに浮かび上がる究極的な論理的骨格を指す。

ウィトゲンシュタインの哲学的活動の出発点である「論理ノート」期(1912年~1913年)の思考は、「論理定項は何を意味するのか」という問いを主題とした。

命題とは論理空間における場所である

『論考』の序文には、「およそ語られ得ることは明晰に語られ得る」という有名な一節がある。これは、初めの「語られ得る」を「いかなる言語によってであれ語られ得る」と、第二の「語られ得る」を「人間言語によって語られ得る」と解釈するならば、人間言語は「語ることが可能なすべてのことを語りうる言語」であり、それによって思考する生きもの(人間)は「考え得るすべてのことが思考できる存在者」であるという言明として受け取れる。

こうした言語を表現力が極大であるという意味で、極大言語と呼ぶ。人間言語は、極大言語であり、人間言語を極大言語たらしめる構造的性質(言語の極大性条件)こそが、我々が「論理」とか「論理的性質」と呼ぶものである。これが、1913年秋から1914年春にかけてウィトゲンシュタインがたどり着いた一つの結論だ。

ムーアノートの地平
1. 人間の言語は極大言語である
2. 通常「論理」と呼ばれているものは、言語の極大性条件であり、人間言語はこの「論理」を持つがゆえに極大言語なのである
3. 言語の極大性条件を言語によって語ることはできない
4. 極大言語は極大性条件としての論理的性質を示すことにより、世界の論理的性質を映している。

では、こうした言語は物事をどのように描写するのだろうか。そこで、重要になってくる概念が「論理的足場」「論理的場所」「論理空間」である。

「論理的足場」「論理的場所」「論理空間」

命題は一見すると独立して、ある事態を描いているように見える。しかしすべての命題の周りには見えない足場が張り巡らされており、この足場を伝って我々は次々と関連したほかの命題へ移動できる。

たとえば「秀吉は大阪城を築いた」から「否定」という踏み板を通って「秀吉は大阪城を築かなかった」へ、さらにそこからもう一度否定を通って「秀吉は大阪城を築かなかったのではなかった」へと移動できる。また「ならば」という継ぎ板を用い、「家康は江戸城を築いた」という別の命題と結合して「秀吉が大阪城を築いたなら家康は江戸城を築いた」という第三の命題へも移動できる。

否定、連言、選言、条件といった「論理定項」とは、命題に後から加えられる何かではなく、あらかじめ命題の周りに配置された思考の道を組み立てる装置(論理的足場)として捉えられる。その際に選択できる「安全な通路」が存在する。ここでいう安全とは、はじめの二命題が真であれば、第三の命題も必ず真となるような通路のことだ。命題によって事態を描くとは、こうした論理的足場によって思考の世界を構成することなのだ。

さらに、可能な全思考というものを考えようとすれば、すべての要素命題を集めるだけではなく、すべての要素命題をその論理的足場とともに集め、足場を繋ぎ合わせて、それらが組み立てるあらゆる思考からなる巨大な、無限に巨大な全体を考える必要がある。この巨大な空間が「論理空間」だ。「論理空間」とそこに漂う「要素命題」そして命題間を繋ぐ無数に張り巡らされた「論理的足場」(安全な通路)。この観点に立てば、一つ一つの命題はもはや独立した存在でも、一個の像でもない。巨大な論理空間における格子の中の一つの格子点に過ぎない。命題によって事態を描出することは、思考の宇宙(論理空間)の中の一つの論理的場所を指定することなのである。

論理の命題は世界の足場を記述する、いやむしろ描出する。論理の命題は何にも関わらない。論理の命題は名が意味を持ち要素命題が意義を持つことを前提としている、そしてこのことがそれと世界との結合なのである。シンボルのある結合、すなわち一定の特性を本質的に持った結合が同語反復であるということは明らかに世界についての何かを表示しているに相違ない。

『論考』6.124

語られた言葉はどのように短いものであれ、思考の全宇宙とともに与えられる。語られた言葉について考えるとは、思考の宇宙の中の一つの論理的場所について考えることであり、その場所から無数の思考の場所へと伸びる経路について考えることである。言葉で何かを語るとは、無限に広がる思考の経路への入り口を示すことなのである。

全論理空間にはどれだけの可能的思考が内包されているのか

さて、語られた言葉はどのように短いものであれ、思考の全宇宙とともに与えられる。では、その思考の全宇宙(全論理空間)はどれほどの大きさなのだろうか。

論理空間が内包する可能的思考は、単位命題(『論考』では要素命題と呼ぶ)を否定や連言といった論理操作によってつなぎ合わせていくことで形成される。つまりこの問いは、論理空間にどれだけの単位命題が存在するかを問うことに等しい。これは一見すると、あらゆる述語と固有名の総目録を作ることによって応え得るものであるように思われる。しかし、『論考』はそれを不可能であると結論付けた。その理由が言語の根源的私的性格と呼びうるものであり、「私の言語の限界が世界の限界である」(『論考』5.6)という言葉の意味することである。

単純な対象とは何か?:ラッセルの「分析」問題

ウィトゲンシュタインがまず答えようとした問いは「単純な対象とは何か」というものである。「論理空間にどれだけの単位命題が存在するか」を把握するためには、まず単位命題を構成する「対象」の定義を見極めなければらなない。言語化された世界の最も単純な構成要素は何かを問うことにより、語りうる事柄の総体を限定しようという試みである。

ここでラッセルの「分析」という概念を抑えておきたい。たとえば「薩長は幕府と対立した」という命題があるとして、その真偽を考えてみよう。その際に、「薩長」を字義どおりに捉えると「薩長」という政体は存在しないため偽となってしまう。ここで言っているのは「薩長=薩摩藩と長州藩」という定義による記述である。そのため、元の文は「薩摩藩は幕府と対立し、かつ、長州藩は幕府と対立した」という連言命題として表すことがより厳密だということになる。元の命題の背後に、こうした連言命題を読み取ることで、はじめて命題は適切な形で理解されるのだ。この変形過程がラッセルのいう「論理分析(あるいは単に「分析」)」である。

そこで、可能なあらゆる分析を徹底することで、「完全に分析された命題」を描出できると考えてみることができる。つまり、「これ以上分析できない命題を構成する対象」が「最も単純な対象」であり、これが一意に自明に決定するのであれば、これこそが「言語化された世界の最も単純な構成要素」であり、その総目録表を作ることが、論理空間を把握する手立てとなる。ところがこれは難しい。なぜなら、これは論理において「対象」と「名」とは一体いかなる概念であるのか、論理的分析は一体どこで完結するのかを問う哲学的問題であるからだ。

仮に、対象を分割し分解するという過程の極限において得られる、それ以上分割できないものを「単純なもの」と考えるとしよう。そうすると、この問題は物体はどこまで分割するとそれ以上は分割できないのか、我々の視覚像の最小単位は何か、といった問題と不可分であり、結局物理学や心理学といった経験科学によってのみ決定できることとなる。しかし、我々が通常意味するところの対象は、我々が事物をひとまとめにし「もの」として対象化する作用と、そうして対象化した「もの」に名を付けるという命名作用によって生み出される。私が眼前の時計を「この時計」と呼び、それについて何かを語るとき、それが歯車やゼンマイへと分解できることを私は全く意識しないし、その事実は私がこの時計について何かを語るということと無関係である。

これを「対象化―命名作用」と呼ぼう。人間言語の命名能力の根本とは、この対象化―命名作用である。それは語るを可能としている根本的な作用という意味で、一つの論理的操作と呼ぶことができる。この言語観を採用した際、「完全に分析された命題」とは、そこに登場する対象がそれ以上分割できないことを意味するのではなく、話者の思考においてとらえられたままの対象であることを意味する。

言語の主体としての「私」の発見

「意味する私」が「これ」と指し示し、「私がこれと指示したものに、~~という名を付ける」という論理操作を行う。これが、「対象化―命名作用」である。対象化―命名という基本的な論理操作には、つねに何かを「これ」や「このように」として「私」たる話者に結びつける作用が内在しているのだ。対象化作用なしにいかなる論理操作もないから、論理と「私」は不可分であり、論理によって支えられている言語は「私」と不可分だということになる。すべての対象化に「これ」が隠されているように、すべての言語には「私の」が隠されている。

私的部分が存在するからこそ言語は「私の言語」と「あなたの言語」に分裂するのであり、このように言語が分裂するのに応じて、世界も「私の世界」と「あなたの世界」へと分裂してゆく。ここでいう言語の「私的な部分」とは、我々の言語を言語足らしめているその根本的な性質によって、もともと相互に伝達不可能な部分である。「これ」という表現は、その意味に関して話者の裁量にゆだねられている部分が最大であるのみならず、「私は『これ』によって…を意味した」というように、発話者の話者自身である「私」を含むものでなければならない、という意味においても「最も私的な部分」であるといえる。つまり、最も客観的と思われる「論理」の根底には「意味する私が、『これ』を名指す」という最も主観的な作用が要請されているのだ。

この思考は同時に独我論という全く新しい思考世界を切り開き、ウィトゲンシュタインの今後の思考に大きな問題を突きつける。この問題の深刻さは、それが言語の本質に由来すること、従っていかなる人間も、そして一瞬も、それから逃れられないことにある。

生世界論に示される「信仰」と「世界を生きること」

我々が発するあらゆる言葉、我々が思考するあらゆる言葉、それらは必ず我々の生の具体的局面において生まれるのであり、生のその局面を刻印されている。同時に我々のあらゆる体験、感情、観念はなんらかの言葉を纏って我々の前に姿を現す。

「全てがあるようにあり、全てが生起するように生起する」(『論考』6.41)世界において、人間は他の動物と同様に一個の生き物として生き、世界の一部として存在する。自然的世界とは、非生物と生物が、ともにあるがままにある世界であり、そこに生きる物をあえて主体や自我と呼ぶ理由は存在しない。それは主体も自我も存在しない世界である。

このような自然的世界に棲む人間という生き物が、世界と生に意味を見出し、単に生きるのではなく自らの生世界を生きるとき、すべては一変する。生世界と自然的世界のこの決定的な違いは、生のあらゆる局面に及び、世界全体を満たす。それらの現象は互いに孤立した者でなく、我々人間が生世界を生きているという大きな出来事の様々な局面である。

自然的世界の一部としてのいかなる生き物も、善悪という意味を帯びることはない。それゆえ人間とその行為が善悪という意味を帯びるに至るということは、善悪という意味を帯びることのできるあるものが新たに「現れる」ことに他ならない。

この「あるもの」を『論考』期の思考は「自我」と呼ぶ。それは、善悪という意味を帯びうる唯一の存在であり、その限りにおいて「意志」という能力と不可分な存在である。

生の問いの起源とトルストイ『要約福音書』

ウィトゲンシュタインがこうした言語と生の結びつきという最も根源的な主題について、取り組み始める時期は1914年8月から、第一次世界大戦下においてだった。ウィトゲンシュタインはこの時期、自己の生への評価は低くなり、「私は燃えかすとゴミの詰まった燃え尽きたストーブのようだ」(MS102, p.65v ;1915.3.7)といった言葉が見られるようになり、自殺をほのめかすほどに生への意欲を欠いていた。1914年9月初頭、偶然立ち寄った書店で、彼はトルストイの『要約福音書』と出会う。

トルストイは四福音書から「イエスの教えそのもの」を導き出す際に、「キリスト教の名を僣した例の醜悪な伝説」から切り離して取り出そうとしている。その「醜悪な伝説」には、イエスの教えを無理に旧約聖書と結びつける教義の一切、すべての黙示思想、すなわちキリスト教の公的な教義の大半が含まれる。ここで示された「イエスの教え」は、一言でいえば「生の哲学」であり、我々の生を意味ある「真の生命」として生きるための教えである。その核心は、一個の私として生きるのではなく、全ての生命に共通ないのちの本源としての霊に生きることによってのみ人は真の生命を生き、永遠の現在に生きる、という点にある。トルストイの解釈では、イエスが繰り返し語る「わが父」とは、生命の本源としての霊に他ならない。

「イエスの教え」はウィトゲンシュタインの生そのものを大きく変える。何よりも彼は祈りを始める。この時期の「日記」からは、常に衰えようとする自らの生の炎を「霊」と「神」への祈りによって懸命に持ち上げようとする姿が浮かび上がってくる。

生世界論と「神を信ずる私」

神と生の目的とに関して私は何を知るか。
私は知る、この世界があることを。
私の眼が視野の中にあるように、私が世界のなかにいることを。
世界について問題となるものがあり、我々はそれを世界の意味と呼ぶことを。
世界の意味が世界の中になく、その外にあることを。生が世界であることを。
私の意志が世界を満たしていることを。
私の意志が善か悪であることを。
それゆえ善悪が世界の意味と何らかの形で関連していることを。
生の意味、すなわち世界の意味を我々は神と呼ぶことができる。
そして父としての神という比喩を個のことと結びつけることができる。
祈りとは生の意味に関する思考である。
世界の出来事を私の意志によって左右するのは不可能であり、私は完全に無力である。
私は出来事への影響を断念することによってのみ世界から独立できる、それゆえある意味で世界を支配することができる。

『草稿』pp.253-254

6月11日の言葉を起点とし、『論考』6.4-6.45において展開されている『論考』期の生の思考の核心は、「生は世界である」という言葉(『論考』5.621)に示されている。それは生と世界が一つとなるような特別な生のあり方に関する考察であり、生世界論と呼びうるものである。

この生は、生きものに等しく与えられた生理学的生でも、心をもつ生きものとしてのヒトに与えられた心理学的生でもない。それを前提としながらも、その上で、ある条件下においてはじめて成立する特別な生である。生世界が成立する超越論的条件が、ウィトゲンシュタインにおける「倫理」である。

これの第一の条件は、神の存在そのものだ。神とは世界の意味の別名に他ならないから、生と世界に意味があるために神が存在しなければならないというのは、ほとんどトートロジーである。しかし、神は我々の言語と思考の限界外にあるため、そうした神の存在を通常の意味で考えたり、知ったりすることはできない。つまり、神が存在するという条件は、それが成立しているかどうかを知ることのできないものなのである。

「神について考える」と言われるとき、我々はすでに「神」との通常の「考える」とは異なる特別な関係に入っている。この特別な関係に入る行為が「祈り」に他ならない。このような仕方で「神」について「思考し、語る」とき、人は語りえないことを語ろうとして無意味な言葉を発しているのでなく、祈っているのである。こうした「祈り」において示されている神との関係が「信仰」であり、それこそが生世界が可能となるための第一条件に他ならない。「信仰を持つ」とは「生と世界に意味があると考え、そのように生きること」に他ならない。こうした意味で「神を信じること」が生世界が可能となるための第一条件なのである。

生世界の第二の条件は、世界の意味・神を信ずる私が意志を持ち、その限りで世界から独立だということである。より適切にいうなら、圧倒的な世界と運命の前で独立した自己を保ち続けることが、生と世界を意味あるものとする第二の条件である。自分の生が比類のないものであるとは、自分の生が他人の生にはない特徴を持っているということと無関係である。自分の生が比類のないものであるとは、自分の生を比較と離れたところで、比較というものが存在しないところで、唯一無二なものとして生きることに他ならない。この見方をウィトゲンシュタインはスピノザの言葉を借り「永遠の相の下での」見方と呼び、そこに倫理と芸術の間の深い関りを見出す。「倫理学と美学は一つである」(『論考』6.421)という『論考』の言葉の背後にはこのような思考が存在している。

生と世界に意味を見出す者にとって、そのように生きることが幸福であるということであり、「幸福に生きよ」とは「生きよ」ということに他ならない。他方、生をそのように見ることのできないものには、そもそも生きることが、なぜ自殺より善いのかが分からない。幸福とはそのように生の価値を見いだせないものに対して、外から与えられる目標ではない。生きる意味を知らないものは、なぜ幸福に生きなければならないかも知らない。そうした者に生きることと幸福に生きることの意味を教えることはできない。

まとめ:そして、『探求』へ

このように、『論考』を生み出したウィトゲンシュタインの「前期」の思想は、厳密な論理の根底に、拭い難い私的要素としての「意味する私」が存在していることを突き止め、さらにはそれが意味する「世界を生きる私」が「神の存在を信じること」と不可分であることまでもを突き詰めた。しかし、その帰結として導かれる独我論は同時に深刻な問題を抱えている。「論理」や「言葉」というものがそのような意味で、厳密に「私」と不可分であり、私的なものであるとするならば、「他者との関係」をどのようにその体系に組み込むのか、それは机上の観念論に陥りやしないかという点だ。

『哲学探究』に代表される、ウィトゲンシュタインの「後期」思想においては、こうした「私的言語」に対する批判を通して、『論考』の言語観をひとつひとつ解体してゆくことで、「言語と生」の関係はより洗練され包括的な様相を呈する。(後編へ続く)


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