傷心から生まれた信念。

ただただ分からないまま生きてきた。
私が何者か、何故他の人と違うか、でも別によかった。学生を終えるまでは。
社会人になってはじめて生きることの本当の大変さを知った。注目されてる人、偉大な功績を残した人、著名人。そういう人達がどうしても讃えられ、逆に世の中のインフレとかそういうライフラインみたいなのを回している人達はいるのが前提だから、讃えられるなんてことはない。当たり前なんだから。
そうやって思考が働くようになって、心の至る所に傷を負って、ハンデを背負いながら生きていくことへの執着に加え、当たり前が当たり前の人達じゃないと思える人達を支えるために生きることを決めた私、つまり信念。そうやって生きることへの信念。

私はひょっとしたら前世は蛇だったかもしれない。もしかしたら羊だったかも。そもそも私という個は、物事が着かないと認識できない。こうやって自己分析を行って漸く私という個を再認識できた。

転生、私は信じている、信じたい。
後世、私という個の現の記憶がないのは分かっているけれど、今の自分が後世に伝えることは、人間で産まれたらの話限定になってしまうけれど、生きることは大変ということ。
人間は捕食対象がないがゆえに金という生きるための糧を生産し、消費する活動をしなければならない。それが容易く普遍的に出来れば、適応できれば、大変とは思わないだろうけれど。私や何かしらのハンデを背負って生きていくことが難しい人には困難な壁が幾度とある。
定型の人からはどうしてそこまで考えられるの?という疑問を投げつけられたことがあるけれど。
生きることに困難と思わなければそこまで思考を拡げなくてもいいのだから、確かにそこまで考えなくても良い。でも思考を止めてしまったらそこで本当に終わりなのだ。視野が広がらない。

私は人を極力否定しない、肯定する。
人を肯定する事によって知らない世界を知る必要があるから。その知る必要性は私のまだ知らないハンデや生きていくことへの困難に対する解決法、メソッド、知恵...得るものは必ずあるし、金で売買できるようなものではない。傷ついた心でどん底をみた人間は、生きることに困難を抱える人達を少しでも生きやすく導くために信念
を貫き続ける。

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