見出し画像

変奏曲

ブラームスの変奏曲を聞き流しながら何も考えずに無心に。音に寄り添う為には目を閉じて瞑想すると心地良い。私の場合だけれども、曲を意識的に聞こうと試みて何か行動すると曲が入ってこない。なので、曲が常にあるのがデフォルト、そんな感じの曲。邦楽じゃないよ、「主題と変奏曲」短調、こんなかんじだった気がする。
霊感と悲しさを表現している、どこかに書いてあった気がするけれど、曲を聞いてどう思うかなんて十人十色の答えがでる。私は冷たくて強くて、儚くて美しいと思った。


更新を毎日したいのだけれど、私のもう1つの厄介な病魔、慢性偏頭痛が連日続いていて、とてもつらい。この病気、日常生活に支障きたしまくりで、なんせ寝込まないと治らない。そして強烈な痛み。頭の浮遊感、軽い目眩?のようなものなのかな。うちの家系の女人はこの頭痛を持っていてよく夕方は倒れ込むように寝ている...
この強烈な痛みがない女人はとても幸せだとつくづく感じる。職場で仕事を休みますなんてものはこういう人からしたら理解不能な領域だ。
まず、前兆がきて、頭がちかついて、イライラしてきて、だんだん気持ち悪くなってくる。動くと悪化するから動けない。光や匂いに過敏になって、とにかくこの目の奥の強い痛みが月8日以上あるもので、更に今は仕事のトラブルで精神状態も不安定、しかも外は寒いし、天気は荒れている。偏頭痛もちの人が体調を崩さずに週5っとおしで働けるの、凄いとおもいます...

実は今日、仕事の元パートナーと会って。話をした。
結論、彼女は考えるのを辞めてしまう、自分だけの価値観で全てを判断するから。「私にはそれがわからないからどうしたらいいかわからない。
それで考えるのを辞めて今まで生きてきたと思った。思い通りになるこの世の中。
いいよね。
私は逆だよ。学校、職場、家。どこでも味方なんていなかった。だから自分で決めるしかなかった。怖かった。でも怖いからしないのは逃げてるから。
聞いてくれるような人はいなかった。自分を信じるしか方法がなかったから私は自分を信じて、こんな人もいるんだ、あんな人もいるんだ、と肯定的に人と関わることによって逃げる生き方はしてこなかった。
経験って価値観を形成する立派な要素だよね。

私は怖いと言われてしまった。
私が色々分析するから、深く考えるから。
「私はしない。」それでおしまい、だとそのまま。

人間は非常に頭が良い動物なので、言語が使えるけどこれは人を救うために使えればいいけれど逆もある。

次々と遠慮なしにくる言葉に私は疲弊し、ちょっとこの世界から離れたいからiPhoneでブラームスをかけて目を閉じて瞑想する。どこにでも連れてってくれるし、タイムスリップしたみたい。私がもし明治や大正に生まれていた人間だったらどんなふうだったんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?