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試行錯誤のチェンジメーカー:延原令奈(後編)

先週に引き続き、「試行錯誤のチェンジメーカー」延原令奈さんを紹介するブログの後編を更新しました☺️

教育を良くするために色々なことを考え実行している一方で、人間としての成長も実感している令奈さん。後編では、前編で書いた教員養成大学での事例創出に取り組む中での、令奈さん自身に起こった変化や気づきについてせまります。

\前編の記事はこちら/

デザイン思考と出会って生きやすくなった


(引用:「デザイン思考とは?」大阪工業大学)

延原さんが取り組む今の教員養成課程の問題は、コーチングとファシリテーションの能力を自ら体験して身につけられる機会がないことでした。しかし、これは小手先のテクニックの話ではありません。

むしろ、「まずは先生自身が体験してみて楽しむ」「常に完璧であろうとするのではなく、失敗から学んで修正していく」という、今までの先生像とは違うマインドセットを身につけることを意味します。延原さんは、何より自分自身がこういった考え方に救われたといいます。

デザイン思考では、仮説を立てて、検証し、その結果からより良い仮説を立てて、また検証する、ということを繰り返していきます。前は正解を提示しなきゃいけない・間違ったことを発信してはいけないと思っていたけれど、「これは仮説だから、間違っていてもいいよね」とか「今は改善していくサイクルの中のここにいるんだ」と認識ができたことが救いでした

そもそも正解なんてないし逆に不正解もない。正解は見つけるのではなく生み出すもの。どんどん色んな方法を試してみることで、より良い仮説を立てる材料になる。そのことをわかっていたつもりだったけど、実際に自分の挑戦していく上でのマインドセットとして受け入れられるようになったのが、今年の大きな変化だったと思います。探究授業に役立つフレームとして勉強したデザイン思考でしたが、以前より挑戦のプロセス自体を楽しめるようになるという最高のプレゼントをもらいました(笑)

大学一年生の時に参加した、デンマークへの視察旅行から帰ってきてから、ずっと「学校を夢を叶えるための場所へ」という思いで活動している延原さん。その思いは三年経った今も変わっていません。でも、その手段はどんどん変わっていいと思えるようになったそうです。

一年前の私は、「自己探究、めっちゃいい!」と思ったら、その手段にしがみついていました。それが否定されるような論文を避けたりして……

でも、今は「もっといい手段が出てきたら、今の取り組みを手放してもいい」と思っています。私が最終的に目指しているのは、一つの学校ではなく、全ての学校を、より子どもたちの可能性を広げられる場所にすることです。教員養成のアップデートも、そのための手段の一つとして今頑張っていますが、これもあくまで仮説にすぎません。目的は変わらず、手段は柔軟に、と考えられるようになったのは、今年(2022年)に入ってからですね。

親友の言葉で、ジェットコースターな自分から抜け出せた

活動についても柔軟に考えられるようになったと同時に、自分との付き合い方も上手くなったと話してくれました。

一年前の私は、いつも自分を否定しちゃってたんです。+Torchの活動で何か上手く行かない度に、自分の価値がないっていう思考回路で。極端ですよね(笑)自己嫌悪が始まって、そんな波が2週間とか1か月のペースできて、そのたびに周りのプロジェクトメンバーに迷惑をかけてしまって。直したいと色々試していたのですが、かれこれ高校2年生くらいから5、6年くらい続いていて、受け入れるしかないかって少し諦めかけてました。

そんな時、+Torchをニコイチで4年間一緒に活動している小倉未来に泣きながら相談してたら、「令奈はずっと+Torchのビルにいる感じ」って言われてハッとしました。彼女は器用で、一人の時の自分、友達といる時の自分、ダンスサークルにいる自分、+Torchにいる自分を上手く分けているんです。未来が言うには、私はずっと+Torchのビルに寝泊まりしていて、その中でなんとか遊ぼうとしているから、YouTube見てる場合じゃないのに見ちゃったって罪悪感を抱いちゃう。「+Torchは令奈の一部でしかなくて、+Torch=令奈じゃないよ」「令奈が仮に+Torchや教育系の活動を辞めても、何でも挑戦できる女の子で、私にとっても大事な友達に変わりないよ」って言ってもらえて、自分と活動を同一視していたんだって気づけました

小学校4年生の頃から、最高で7つの習いごとをしながら塾にも通っていた延原さん。中高では全国大会でベスト4に行くほどの強豪テニス部に入りテニス漬けの日々を送りつつ、進学校の勉強にも付いていくために、休みが無いのが当たり前の日々が9年間続きました。

遊びに行っても、「今誰かが勉強している」と思って罪悪感が頭のどこかである状態。ボーッとしてるのが良くないってどこか思っていて、最後に心の底から楽しんで遊べたのは、小学校低学年かな。それがここ1年くらいでやっと緩和されました。自分は一人の人間として幸せになっていいんだって許せるようになりました。今はプライベートも心から楽しんで過ごせるようになりました!

本人提供「大好きな親友といったお花見の写真です🌸」

教員養成の内容も大事だけど…、もしかしたら構造的なところに問題があるのかも?

教育大学でのプログラムが成功に終わり、将来的にはこのようなトレーニングが教員養成課程の一部になるよう、今後も広げていきたいと思っている一方で、今の教員養成の仕組みが構造的に抱えている問題にも気づいたと言います。

教育大学で教員を育てて、その人たちがストレートで先生になっていく、という構造自体に限界があるんじゃないかと感じています。受験という枠組みの中で上手く進んできた人が、教育大で過ごしそのまま先生になると、別の分野の方々と交流したり、新しい挑戦したりすることに抵抗が出てきます
「若い先生が何か新しいことを提案しても、40代〜60代の先生たちがNOと言う」というようなことを実際の声を聞くことが多いのですが、これだけ私の身近な範囲でも同じような事例があるってことは、その人の性格じゃなくて、構造上の問題なのではないかと。この構造が続く限り、同じような人を生み出し続けるんじゃないかなと思います。

学校改革が進まない、というのも一つの問題ですが、もっと大きい問題は、生徒の可能性にフタをしてしまうことです。

延原さんのブログ記事「偏差値が、成績が、自分の価値を測るすべてだと思ってました。」より

最近新聞の記事で「赤い花は赤く咲け 白い花は白く咲け」というある学校の先生の言葉が紹介されていたんですが、私の目指す理想の教育はそんなイメージです。

というのも、(上のイメージの右側のように)私自身が中高時代に「なぜか緑色に惹かれる、緑色が自分に合っている」と気づき始めたけれど、周りの人から認められるために自分の価値を保つためには水色にならないといけないと思っていて水色になりたい振る舞いをし、緑色に惹かれる本当の気持ちに蓋していました。でも、私は今、色んな人のおかげで自分がありたい色に気づけて、自分が生きたいようにワガママに生きています。私自身が、学校の構造に苦しめられたからこそ、自分が解放してもらったように、みんなにもその人の色を知って、その色で生きてほしいと思っています。

色んな経験を持った人が先生になることで

では、偏った色を理想像として立てて寄せていくのではなく、「自分の色を知ろう」「自分の色でいいんだよ」という環境が、学校で当たり前になるにはどうすればいいのか。

今、ANCHOR KOBEというコワーキングスペースのコミュニティマネージャーもしている延原さんは、教員免許を持っているものの今はベンチャー企業の社長や、教育学部出身で今カフェのオーナーをしている人などのキャリアを持った方に予想以上にあったことからヒントを得ました。

一回は教師を志した人が、「別の道を選んだけれど、色んな経験や知識を得た後で、教壇に立てるんだったらやりたい」って言う人が結構いるということにコワーキングにいて思いました。

色んなキャリアを経験した人が気軽に先生になれるようになったら、教育が大きく変わると思います。学校の中に色んな経験を持った大人が常にいることで、色んな人間がいていいんだと学生が思える。自然とキャリア教育みたいなこともできるし、その人脈を使って社会科見学したり。

そして先生同士でも、新しいことを試したり、挑戦しようという空気になりやすいと思います。カリキュラムを変えるのも大事だけど、そういう細かいところよりも、人の流れを変える方がもっと効果的で、学校が「夢を叶えるための場所」になることへも近づくと思います。

昨年12月に福岡へ行き、Teach For Japan出身の先生たちに会ったことで、この考えが確信へと変わったと言う延原さん。複数のNGOで働いた経験を活かした授業をし、学校の中で改革を進める先生を見て、こういう先生が増えたらと感じたそうです。

「教育大学や教員養成課程の価値とは?」という問いとも矛盾が発生する部分であり、色んな立場の方の事情などについても勉強が必要で、まだ具体的な方法はこれからとのことですが、どうやって風穴を開けていくのかとても楽しみです。

ワクワクする人・モノに出会える場を後輩に残したい

自分が勇気をもらったステージを後輩にも作っていきたいという想いから、教育の活動で忙しい中でも、さらに別の新しいイベントも立ち上げました。

元々は、石井勇輝さんという方が2020年に始めたKANSAI U25 SUMMITという、「なんか挑戦してみたいけど何からしたらいいか分からないなら、とりあえずここに行ってみて!」と言われるような学生対象のイベントがあったんです。これからやりたいことを見つけて挑戦しようとしている学生や、既に行動している学生がピッチして、参加者同士が交流できるイベントで、毎月同じ場所であるので安心感のあるハブのような存在でした。私もオーディエンスとして参加したり、まだアイディアが固まっていなくて想いしかない時にピッチさせてもらったりして、ジャンルや手段の全然異なる同世代のお友達も沢山できたり挑戦の背中を押してもらった経験があるので、勇輝さんが東京で就職するのでなくなると聞いた時、「なくなるのは絶対にもったいないです!後輩世代にもちゃんと残っていてほしい。私が引き継ぎます!」って衝動的に言っちゃってました(笑)。

そうして勢いで立ち上げたのが「関西夢FES」です。5月から始めて2ヶ月に1回ANCHOR KOBEというコワーキングスペースでやっています。既に4回開催していますが、運営メンバーの変化ぶりがすごくて!!(自分だけの状態から始まって今では15人のメンバーがいます) 第2回が終わったタイミングで、「次から令奈さんなしでやりたいです!」と言われたので、今は全て彼らに任せています。何か挑戦してみたい学生の一歩目の環境として「関西夢FESの運営」を使ってくれているのが嬉しいです。

挑戦する人も、何かモヤモヤしている人も、素敵な人やアイデアに出会える場で、私自身もすごく楽しいし、毎回刺激をもらってます。イベント後もほとんどの人が帰らず夢中になって話し込んでいて、「またこの時間から新しいものが沢山生まれていくんだろうなぁ」っていう感じの空気感に満ちています。

100名以上が参加した第一回の様子

編集後記:優等生からチェンジメーカーへ

延原令奈さんと話す度に、前回とは違うことに取り組んでいる様子や、「次はこういうことしようと思うんです」という話を聞きます。

でもそれは、色んなことに目移りしたり、迷っているのではなく、やってみて「あ、これ違う」と思ったら、その教訓を活かして次の活動をすぐ始めているからです。ぐるぐる同じところを回っているのではなく、確実に前進している。今回もインタビューを文章にまとめながら、そんな「試行錯誤」を繰り返す延原さんのエネルギーと勇気を強く感じていました。

次に話す時はまた10個くらい新しい活動のアイディアが浮かんでいるんだろうな、と思うと、既に「3ヶ月の延原さんはどうなっているんだろう?」とワクワクしてきます。

そして、不完全で中途半端な自分も受け入れられるようになったという言葉がとても印象に残りました。元々は、その時いる環境で誰から見てもすごいねっていう成績や結果が出せないと自分は価値がないと思い込み、周りの自分よりできている人と比較しては自分を責める事を辞められなかったという延原さん。でもそこから、「最初から上手く行かないのは当たり前だから、とにかくやってみる」というチェンジメーカーとしての才能を開花させただけでなく、自分を許せるようになった、という言葉が聞けて、一人の人間としての延原さんの一面を見ることができました。

常に変化し成長している延原さんが、少しづつ教育を変えていくために取り組んでいく姿から目が離せません!

インタビュー日:2022年12月29日


\試行錯誤する全ての若者チェンジメーカーへ/


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