見出し画像

成長から成熟へ 考察2

自らを「コミュ障」と名乗る若者…
年齢や性別を気にしない…
職業として「何を」やっているか、簡単に説明できない…
…などなど


 

 ◇成熟社会へ向けての転換する人達

 うつ病や、ひきこもり、不登校、一緒くたにはできないけれども、通底にあるのは成熟した社会に向けた最先端な人たちによる現象のように思う。
 

 今、僕らは長い転換の時代、過渡期にいる。 成長時代と成熟時代の「間」、今の日本の状態、端境の今を名づけるとすれば何と呼ぶのがいいのだろうか。

 新旧の価値観の狭間で自らの内面と深く向き合う。塞いだり掘ったり、深める。
やがて、自分のエゴと他人への信頼が解明できたとき、はじめて人は繋がる体験をする。


 多くの日本の年長者は、ムラ社会の秩序を守るために、自己犠牲の精神を持ってきた世代。彼らの勤勉さ、倹約、遠慮、協調性は、長い間ムラ社会の機能を支える重要な要素だった。国家、企業、学校など、多くの組織は、これらのムラの原則を否定せずに、そのやり方を守り続けてきて、今も尚慣習と美徳と倫理が絡み合ったまま。

 個人は学校や職場で、常に自己評価や社会的な序列に気を配る。自己評価が低いと感じると、劣等感に苛まれ、自分を奮い立たせることもあるが誰もが同じように成功するわけではない。一部の人はドロップアウトし、引きこもることもある。不器用な人もいれば、協調性に欠ける人だっている。
 無理に順応しようとして自分の感情を無視することが、心の健康を損なう原因になる鬱病や自律神経失調症などの精神疾患は、この現代社会の特徴を象徴するとも言われている。



 私たちが他人を凌駕しようとするこの風潮、他者の欠点を見つけ出し、自らを優越的に感じるこの傾向は、いわば近代が生んだ「正解主義」の奇妙な副作用、そしてバブル経済が育んだ「成功主義」の風変わりな反応かもしれない。

失敗、敗北、反省、後悔、脱落、失墜、陥落、欠落、挫折、負い目、弱み、、、

僕ら私たちの弱点や欠点が、実は他人にとっての強みになることだってある。

歴史を振り返れば、中心と周縁の関係のように、入れ替わる。おそらく、今の時点で「ダメ」とされている欠点は逆転することもあるだろう。
 
 刷り込まれた「成功」みたいな概念から多くの人が解き放たれた時、それは雪崩のようになる。

 今の時代のマイノリティはずっとマイノリティではない。コミュ症の微細さがやがて多くの人を救う。どこにも属さないフリーターがメインとなった社会に明るさを感じた時、
居心地の良い世界は確実に増える。

まだ、上手く説明できないけれど、成熟社会へ向かう転換点の今、こういった内面の考察にコソ意味を感じている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?