ネーミング
名前は実に不思議だ。
甲子園の高校野球をみていると、選手の下の名前が、まあ8割程読めない(苦笑)。ここ数年は特にそうだが、俗に言うキラキラネームというかやつか、ルビをふっている。
青波 (せいは)あたりは、ギリなるほど。
昊澄(そらと)、うん、なるほど。そうか。
しかし、空駈斗(たかと)となると、絶対読めない(笑)
2022年に産まれた子供の名前、人気ランキングでいうと、
男の子は「蒼=アオイ、ソウ、アオ」
「凪=ナギ、ナギサ」
女の子は「陽葵=ヒマリ、ヒナタ、ヒナ」
が1番らしい。
(明治安田生命調査資料より)
人の名前は、確かに「時代」の空気を表す代表的なひとつである。
大正時代は、「正一、三郎」と漢数字が名前に入る事が多い。昭和に入ると1930年代、40年代は「清、勝、勇、博、茂」あたりの一文字が人気だ。1950.1960年代になると、「誠」人気が暫く続く。同時に「健一、大輔、伸一」など、二文字も多くなっていく。
1970年、1980年代は、「大輔」人気に続き「達也、和也、翔太」となる。「健太、拓也」なども増え始めるが、統計的には同じ名前を持つ人と出会う数は非常に多くなる。(団塊ジュニアの人口割合より)
今の高校生の親世代が、1975年生まれから1985年あたりが多い。ここに関係するのだと思う。
没個性の反動、自分らしさの追求、マンガやアニメあたりからの影響もあって、DQNネーム、キラキラネームをつけたい気分は、風潮というより、当たり前になっていくのではないか。世界にひとつだけの名前が多くなっても不思議なことではない。
時代の空気によって、「みんなと同じ自分」と「みんなと違う自分」のどっちに比重がいくか、また「意味を持たせたい」欲求の強度が変わっていく。official髭、ゲスの極み、シャ乱Q、のようなミックスバンドnameが個人にも波及するかもしれないし、はたまた、2代目、3代目の山本太郎や小沢一郎が出てくるやも。
まあ、いずれにしても、「親」のエゴと愛情と期待と意味付けが子供の「名前」を決める時代が続くような気がする。
名は体を現す
(読み)なはたいをあらわす
といったのが誰かは知らないが、その人の名前に宿るイメージが現れるのは本人というよ常に「受け手」「相手」「他者」の方である。
かまちのりこは、松田聖子だし、さえきまおは、空海であり弘法大師、秋本貢は千代の富士、開發光はヒカキンなのだ。
柿本人麻呂が複数人いたと言われるように、浅草弾左衛門の名前が何代も続いたように、源氏名だろうが、芸名だろうが、同じ。
日本人というのは、こうしたように、「良い加減」で名前と付き合ってきたのだろうと思う。
時代の空気に名前は「あらわれる」。