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「選択肢が増える」は都合の良い罠

 こちらのnoteでは完全に語ることができなかったことがあるので、そちらの方を本noteで書きたいと思う。

 こちらのnoteは紹介するに留めていたが、本noteで私なりの見解を記したい。


「女性のみ大麻解禁」概要

 そもそも「女性のみ大麻解禁」は、noteを読めば分かる通り、女性の権利を著しく侵害するものだ。

 このツイートが炎上するのなら、同じ理由で女性のみ大麻解禁も炎上して然るべきである。アンチフェミ界隈でこの提案が炎上しないのはアンチフェミが「女の権利を侵害するものであれば構わない」というところまで先鋭化しているからだ。

 が、鈴木氏はこのように反論を述べている。

私の提案に対して『人権的に許されない』みたいなお気持ちを表明してしまう人達は、10年程前に国連が大麻に対しての懲罰的アプローチを絶対的な物で無いとし、各国の解禁についてむしろ権利として容認する方向性になった事すら知らないだろう。

 世界では大麻が合法化されつつあるといえる。

 また、日本は大麻の流入を恐れているが、実は酒や煙草に比べると大麻の危険性は低い。よって危険性の観点から大麻の流入を許可しないというのはお門違いであるだろう。

 もちろん私はたとえ大麻が解禁されようと使うつもりは全くないが、そのような私の権利も保障されている。

選択式夫婦別姓推進派の主張と同じで、新しい『選択肢を増やすだけ』なら今まで通りその選択をしない人の権利を侵害する物では無い…と言う理屈だ。

 最近よく言われている選択的夫婦別姓と同じで、選択肢を増やすだけであれば確かに何の問題もない。

 ではここで視点を変えて選択的夫婦別姓について見ていこう。


「選択的夫婦別姓」賛成多数

 インターネットでアンケートをとったところ、次のようになったという。

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選択的夫婦別姓には賛成の人が多い。

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 賛成派の理由としては、「選択肢が増える」というのが最多で、反対派の意見としては「子供にとっては同姓がいい」というのが最多だ。


「選択的」のメリットとは

 この記事には、選択的夫婦別姓のメリットが実はメリットではないということを語っている。

 まず、夫婦で姓が違う場合、夫婦であることの証明が求められる。これは姓を変える手間よりも大きいだろう。

医療機関での配偶者の手術同意書や、保険金受取、子供の幼稚園お迎え、お墓の管理、他にも至る所で夫婦である事を証明する書類を求められるでしょう。一生です。
最初に頑張って、苗字を変える手続きを済ませてしまった方が楽だと思いませんか?(免許証の変更なんて10分ほどで出来ますし旧姓併記も可能です)

 さらにこのような問題も指摘している。

夫婦別姓を選択した人達だけが夫婦証明書類を求められる事で「差別だ!」と言い出し、同姓夫婦まで平等に書類を用意しなくてはならなくなる可能性も多いに考えられます。
「選択的だから誰も困らない。」なんて都合の良い話はありえないのです。デメリットはゼロだなんてセリフは詐欺師の常套句だという事を肝に銘じましょう。

 また、選択的夫婦別姓を導入することで男女平等に繋がるという考え方があるようだが、結婚したときに男性の姓にしなければならないという法律はない。これについては記事では次のように述べられている。

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選択的夫婦別姓が実現した所で「夫が姓を変えてくれなかった」と嘆く女性がいなくなる訳がありません。
相手から「俺(私)、結婚するなら同姓が良いんだけど…」と言われる可能性は考えないのでしょうか。
いくら貴方が別姓を選んでも相手が同姓を望んだ場合、同じ問題が発生してしまいます。
選択的とは、貴方だけでなく相手にも選択する権利があるのですよ?
結婚は2人でするもの。選択制が実現すれば確実に問題解決出来るというのは短絡的すぎます。

 また、この記事の著者であるhacciさんだが、以下の記事でも選択的夫婦別姓の問題点を挙げている。

 最も強調されているのは、「子供の姓で揉める」「子供に選択を強制させられる」というものだ。


子供の姓の問題は大きいし、そもそも家族が同じ姓である必要はないと主張するのに子供を自分の姓と同じにするというのもおかしな話だ。


「選択的」なのにヘイト?

 さらに、恐ろしい事例も存在する。

 これは、朝日新聞が「選択的夫婦別姓」のアンケートをとっていたところ、反対意見が多数だったのでアンケート自体を削除したというものだ。実は私自身かつては「選択肢が増えるのならいいではないか」という考え方から選択的夫婦別姓賛成派だったが、このことを受けて不信感が高まり、いろいろと考えて選択的夫婦別姓反対派に転じた。

 こちらのnoteで述べられているが、

同姓派は別姓派から差別主義者のレッテルを貼られ攻撃対象となることが想定される

 単に選択肢が増えるだけならいいのかもしれないが、選択的夫婦別姓賛成派は同姓派にヘイトを向ける。



保守にとって「選択的」は御法度

 いろいろと述べてきたが、そもそも「選択肢を増やす」ということは保守とは相性が悪い。

別姓論の肯定は、それが何であれ新しい家族観の肯定、称揚そのものであるということである。つまり、現行の「夫婦は同姓でなければならない」という法制度にも、ある程度「家族とはこうでなければならない」という共通理解があり、別姓論はそれを塗り替えるものになるということだ。ただ選択肢が増えるだけ、ということは起こり得ず、それは家族観の変更を迫るものになる。

 「夫婦別姓」を認めるということは、家族の形を変え、引いては家父長制の崩壊にも繋がる。

 そもそも夫婦の姓に関して「夫または妻の姓に改姓する」と定められているのに女性の方が改姓することが多いのはなぜか。その答えもSULLIVAN氏のnoteで述べられている。

現行の法制度の下でなぜ女性が男性に苗字を合わせる傾向が強いのか、ということも理解できよう。つまり、家族の公に対する態度を象徴し、それを子供に教育する役割は、凡そ家族の外で活動することが多い父親によって担われる、ということである。

 別姓を推し進める目的は何か。それは家父長制の崩壊である。それなのに実質的には女性が家父長制を捨てるつもりはなさそうだ。これが何を意味するか。

 実質上は家父長制のメリットを享受しながらも夫の権力を失わせるということだ。

 単に別姓にしたいだけなら簡単だ。事実婚にしてしまえば良い。それなのに法律婚をしてなおかつ姓も別にするというのは、まさに「フェミニズムと家父長制のいいとこ取り」であるといえる。


ダブルスタンダードでは?

 ここで鈴木氏のnoteの話に戻ろう。彼はnoteの中でこのように述べている。

もっとも選択式夫婦別姓については、個々人の権利で物事を考えるリベラル観点なら反していないと言うだけの話でこちらのnoteで語られている様に、保守的な観点を入れるのであれば決して許されない行為であったりもするし、私もどちらかと言うとこうした考えを支持している。

 彼は「選択肢が増えるのなら良い」という立場から女性のみ大麻解禁に賛成している。が、選択的夫婦別姓については同じく選択肢を増やすものであるのにも関わらず反対している。選択的夫婦別姓に関しては彼が保守であるため反対するのも納得だが、女性のみ大麻解禁は最終目標が少子化改善であるため目的としては保守だが、その方法がややリベラルに寄っているといえる。彼はこのダブルスタンダードをどう説明するつもりなのだろうか。ここで次の仮説が立てられる。

仮説1. 鈴木氏は敢えてダブルスタンダードの立場を取っている。
仮説2. 鈴木氏はダブルスタンダードではない。

 仮説1が正しいとすると、鈴木氏は選択的夫婦別姓に関しては保守で、女性のみ大麻解禁に関してはリベラルということだ。

主義的には望む人(フェミニズムなら女性)が未だ手に入れていないだけの権利主張を阻害してはならないと言う話になって来る。

 noteでこのように「大麻を使いたい人の権利を侵害してはならない」と述べているからだ。が、それならこれはどう説明できるだろうか。

 彼は明確に「男女共にだったら解禁反対」と述べている。仮に彼が女性のみ大麻解禁においてリベラルな立場であれば、「男性で大麻を使いたい人」の権利を侵害するのは道理に合わない。つまり彼は女性のみ大麻解禁においても立場は保守であるということだ。

大麻と言うダウナー系麻薬の効能である『不安感や精神安定だけでなく、労働意欲や抵抗感の減退』などまで活用し『労働から降りて少子化改善に専念して貰う生き方』と言う選択肢を女性本人に与えますよ。
ただ出産機能を持たず、労働以外での社会貢献が困難な男性に『労働意欲が減退』して貰っては困るので禁止しますね。

と、彼自身もnoteで大麻は性的役割を果たさせるために用いる、と名言している。

 つまり彼の提案は「選択肢を与える」「使いたい人の権利を守る」などという生やさしいものではない。

 大麻を使って女性が逆らわないような状態にし、その上で女性を産む機械にし少子化の改善を目指す

ということだ。「選択肢を増やす」というのは単なる建前であり、その点では選択的夫婦別姓賛成論者と同じことをしているということだ。

 そもそも彼は「家父長制再興派」を自称し、「女をあてがえ論」も支持していることを表明している。
つまり彼の立場はあくまで保守であり、「女性の権利を守る」などというのは単なる建前でしかないということだ。


大麻にそこまでの効力はない

 仮に、人権を一切度外視して「女性のみ大麻解禁」が実現したとしよう。

 まず、選択肢が増えたからといって実行するとは限らない

プリンストン大学の行動経済学者エルダー・シャフィール博士は「現状維持の法則」を提唱しました。現状維持の法則は「選択肢が多すぎると、結局いつもと同じ選択肢を選んでしまう心理現象」のことだそうです。<略>人は本能的に変化を恐れ、ストレスに感じる生物です。変化してしまうとリスクがあるからです。同じ場所、同じモノ、同じ人だと知っているので楽です。今までと異なるものを選んでしまうと、今まで役に立った情報がまったく役に立たなくなります。

 大麻は危険性が低いとはいえ、未知の物質だ。仮に解禁されたところで実際に使用する人はあまり多くないと予想される。まして女性であればなおさらリスクヘッジを取るだろう

 また、大麻はその効力に個人差がある。

マリファナの効果にも個人差があります。すべての人が、楽しく、リラックスする体験をするとは限りません。不安症や、パニック症の人にとっては、静けさをもたらすというよりは、むしろ症状を悪化させるものになるでしょう。

 さらに、大麻は他のドラッグと比べても効果は薄いそうだ。

  また、女性を薬漬けにして産む機械とする案には致命的な穴がある。

 薬害によって奇形児が産まれた事件を知る人であればこのように薬漬けにした女性に出産させようとは思うまい。


無謀な提案だが、しかし・・・

 鈴木氏がこのような発想に至ったことそのものは仕方のないことだ。

 私がnoteで既に述べているように、有害な女らしさが野放しになった結果、少子化といった問題も増え、共同体を維持できなくなっているのだから。これも彼なりの共同体を維持したいという気持ちの表れなのだろう。

 ところで、共同体を維持しようという考えに至るのは男性が多いという。

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 男性にとっての共同体とは、「自分たちの手で守っていかなければならないもの」である一方で、女性にとっての共同体とは、「何もせずとも維持されるもの」なのだ。

 このような男女差が生じていることからも、やはり「女には大人しくしてもらうしかない」という考えが生まれてしまっているのだろう。かつての日本の男尊女卑社会は、このような男女差を分かっていたからこその、共同体維持の戦略だったのだろう。

 それを考えると、提案自体は非現実的かつ非人道的ではあるが、私には彼を責めることなどできない。私はどちらかというとリベラルなアンチフェミではあるが、完全にリベラルに傾けないのも、このような男女差が理由だ。

 それでも私がリベラルな立場を取っているのは、以下のような考え方を支持しているからだ。

平均的に見れば男性と女性には様々な違いがあるのかもしれないが、個々の男性の間の違い、そして個々の女性の間の違いは、男女の平均値の差に比べてあまりにも大きい。(女性のいない民主主義  P.13)

 もちろんある程度はホルモン等の関係で違いは出るだろう。そして、身体の性別通りのジェンダー規範になっていくのも当然である。それを無視して性差はあくまで後天的に作られるものであるなどという言説を垂れるのは間違いである。

 しかし一方で、ジェンダー規範に当てはまらない人も確かに存在する。そのような人を包摂するのが男女平等であり、リベラル的視点なのだろう。

 私が鈴木氏に言われたことだが、確かに仰る通りである。女性は確かにフェミりやすい。それなのに法律で有害な男らしさのみ規制され、有害な女らしさは野放し。このような状況で「女性にも権利を」とはお門違いだ。が、先述したように全てを縛ってしまうと、その先にあるのは、人権の概念も楽しみも何もない社会である。果たしてこのような社会を維持して何の意味があるのか。人間と共同体、目的と手段が逆転していないか。私が完全に保守になれないのもそれが理由である。

 ではどうするのが最善なのであろうか。極端にリベラルでも極端に保守でもその先は地獄だ。であるならば、中庸を取るしかないであろう。

 既にnoteで述べてはいるが、厳しい男女平等を突き付けて、そこから逃げる女性に性別役割分業をさせるというものだ。いわば条件付き保守である。

 これが最善というものは恐らくない。だからこそ、正解”らしきもの”で代用するしかない。

フェミニズムも、有害な女性らしさも、全て一挙に解決はできないが、少しでも解決への道に繋がれば幸いである。

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