アシュリーです! | はじめてのNote
こんにちは。ようこそ、アシュリーの妄想か現実かの世界へ。
波瀾万丈まではいかないですが、結構自由の魂を宿っているので、思うがままに自分が考えていること、伝えたいことを文字に起こしたいと思います。少しだけ付き合ってください。
自己紹介
最近の MBTI のテストの結果を引用すると、ISFP の人です。(いわゆる冒険者という分類です。)
香港出身で広東語、中国語、英語、日本語ペラペラです。
日本語の発音がうますぎて目を瞑ったまま聞くと、いつも日本人と間違われます。まあ、顔は日本人ぽくないので、見たらすぐ分かりますが。
旅行好き、言語好き、
人とコミュニケーションをするのが好き(ストリーを聞くのも好き)、ただそれは私が話が合うかもしれないと思う人とだけ、全ての人じゃない。
コーヒーショップ好き(1 日 6 時間も座れる人、しかしそんなに飲めない)
大学を卒業後、ずっと会社勤めだったんですが、2年前に自分で事業をやりたいと思い、今はオンラインで日本語の先生をやっています。
経歴 - 幼少期
子供の頃から、ずっと香港という繁盛していているシティーで生きてきた。
私は裕福な家庭で生まれたわけではないから、世界はとても狭かった。
ローカルの学校に行って、素晴らしい友達に巡り会えたけど、みんなは香港のことしか知らなかった。それと、性格も極端的奥手だったし、笑わなかったし、コミュニケーションできなかったから、友達は少なかったせいで、世界は広いということを知らなかった。その時、ネットはもう発達していたのに、自分で探そうとも知ろうともしなかった。なので、私は香港以外の場所も文化も触れる機会はなかった。
人生の転機① ー 日本語との出会い
そのとき、香港のテレビで見たものは全て香港のドラマだった。英語のニュースや番組もあったけど、家族は英語を喋れないから、あまり見なかった。唯一興味を持った文化は台湾のものだった。
しかし、2010 年、ある日突然、日本のドラマを見たきっかけで、日本という世界に入った。
その時、「日本」が私の人生を大きく転覆させてくれたとも知らずに。
花より男子というドラマを見て、映画まで見たら、最後に流れてきた歌に惹かれて、探してみたら、「嵐」というアイドルグループを知り、そこから、日本語をより知れることができた。「嵐」の番組を見始めて、私の耳がいいから、聞いた言葉や文をそのままコピペで話してみたら、話せるようになって、聞けるようになって、なんと一年半で日本語能力試験のN1を取った。
その時は香港で働いていた、まだ世界に飛び出したいと思わなかった。
人生の転機② ー 初めてのワーホリ(日本)
2018 の年に、やりたくない仕事を続ける意味はないと思い、後先を考えず、とりあえずやめた結果、ワーホリというプログラムを本気でリサーチし始めて、色々準備したら、最後に、日本のワーホリを申請して、合格。
元々 1 年だけ住む予定だったが、最終的に 4 年も住んでいた。人生の中で一番最高の時だった。この中に経験していたことはありすぎて、この中では全て語れないので、また今度その時のストーリーを書きたいと思う。
人生の転機③ ー ドバイの旅
日本に住んで 4 年、最高な時だったけど、ドバイの旅を通して一つ気づいたことがあった。
シェアハウスに住んでいて、そこで知り合った日本人と付き合った。しかし、付き合って 4 ヶ月後に彼はドバイに仕事をしに行くことになった。そこで遠距離になったが、この人のおかげで、私もドバイに旅行に行くことを決めた。
(もしこの人と出会ってなかったら、その時にドバイに旅行に行きたいと思わないと思う。)
12 月にドバイにまるまる 1 ヶ月旅行した。その 1 ヶ月で、色々変わった。コーヒーを飲めるようになったし、生活のスピードも少し遅くなったし、一番大事なのは自分の悪い習慣を見つかったこと。
日本の習慣、いつも「すみません」という言葉を使っている、1 日で数えていると、知らないうちに、何十回、何百回も言っているかもしれない。そして、日本に長く住んでいると、私もその習慣を身につけた。日本にいた時は全然気づかなかったけど、ドバイに行って、ある日、街で歩いてて、向こうから歩いてきた人にぶつかられた時、私は思わず英語で「I'm sorry」と言った。
その瞬間に思った、なぜ「すみません」を言ってしまったんだろう?私のせいでもないのに、突如「すみません」を声に出した。これは習慣になってしまったと気づいた。このような行為は自分のことを低く評価することに繋げる。自分のせいでもないのに、すぐ「すみません」を言うので、自分のことを信じてない、もしくは自分のことを否定している可能性があると思った。
初めて気づいた、そこからずっとこのことを考えていて、そのまま日本にいたら、恐らく自分はどんどん自信がなくなってしまうと思う。だからこそ、日本から出なければなりませんと思った。
そう思ったら、行動するのみ。
日本に戻って、仕事を辞め、一旦香港に戻ることを決めた。4 ヶ月以内で色々な決断をしてた。自分でもすごいと思ってた。
そんな中で、2021年5月、日本から離れた。
冒険はまだまだ続く
日本から離れて、また違う国に行って生活した。どんなストーリーが出てくるか、気になる方、また今度ここで読んでみてください。
ではまた〜