日本人になりたかった

小さい頃、自分のことは日本人だと思っていた。

自分の声が、他人と自分では違って聞こえるように、肌の色も、自分の色だけ暗く見えるものだと、みんなそういうものなんだと思っていた。

だから、保育園のお絵かきの時間では、なんの疑いもなく、いわゆる肌色で自分の似顔絵を描いた。

でも、「なんでそんなに黒いの?」「色が普通じゃないね」そんな言葉をかけられる内に、自分だけみんなと違うことに、日本人では無いことに気がついた。

何色のクレヨンを使ったらいいのか分からなくなって、お絵かきの時間は毎回生きた心地がしなかった。


小学校に入学すると、髪がボサボサだと笑われた。「実験が失敗した博士みたいだね」と言われて、恥ずかしくなった。

毎日夜になると、頭にタオルや毛布をかぶって、髪に見立ててクシでといていた。

そんなわたしを見かねてか、親は縮毛矯正をさせてくれた。

少し日本人に近づけた気がして嬉しかった。


小学校中学年になると、男子からは「うんこ」と呼ばれ、女子からは「ガングロたまごちゃん」と呼ばれた。茶色いから。

うんこはシンプルに嫌だったけど、ガングロたまごちゃんは、なんとなくの嫌悪感を抱く自分と、気に入っている自分がいた。

たくさんのたまごちゃんの中に1人だけガングロたまごちゃんがいるから、目立ってしまうんだ。
たくさんガングロたまごちゃんがいるコミュニティに行けば目立たずに生きていけるのでは無いかと思って、黒ギャルになることが夢になった。

黒ギャルの日本人の中に混ざれば、私も日本人だと思われるのでは無いかと期待をした。


中学生になった。
周りの女の子が美容に興味を持ち始めて、皆が皆、美白を目指すようになった。

この辺りから、無意識に見下される日々が始まった。

白ければ白いほど人間は美しい。黒い人間は汚れていて醜いと、気づけばそんな考えが自分の心に定着していた。

そして無意識に、自分よりも黒い人の事を見下すようになってしまった。


高校生になる頃には、自分の肌の色やルーツを恥ずかしいとは思わなくなった。

学校で友達に肌の色を適当にいじられても、黒人のステレオタイプを押し付けられても、何も感じなくなった。

ただ単に傷つかなかっただけなのか、感覚が麻痺してしまっていたのかは、正直今でもよく分からない。

大抵の事には傷つかなくなったけど、たまに面をくらうことがあった。

高校の仲の良いクラスメイトは日光アレルギーのすごく白い女の子だった。

その女の子と私が並んで写っているクラス写真を見た他の友達に、「その子の隣にいると余計黒く見えるから、隣に並ばない方がいいよ!!」と、笑顔でアドバイスされた。

顔が引きつって、言葉も出なかった。

やっぱり黒いということは醜い事なんだと、強制的に認識させられるような感覚だった。

何日もその子が放った言葉が脳内を埋め尽くしていた。


その心の傷もほとんど思い出さなくなるほど時間が経ったある日、足の無駄毛を剃っていたら、うっかり皮ごと剃り落としてしまった。

肉が見えた。「肌色」だった。

傷ができてしまったショックや、痛みよりも、何よりも先に、喜びの感情が沸き起こった。

初めて自分の中に日本人の要素を見つけられた!全身の皮膚を削ぎ落としていけば、日本人になることが出来るかもしれない!

本気でそう思った。

でもその数秒後に、まだ自分が肌の色をコンプレックスに感じて、「日本人になりたい」と思っていたことに対する絶望感が、痛みと共に襲いかかってきた。


他人から意図的に差別されることも、無意識に差別されることも、もちろん苦しい。

それでも、自分で自分の存在を差別して、醜い存在だとしか認識できないことの方が、私には何倍も辛かった。


今は、色々な人との出会い、言葉や音楽との出会いによって、すべての人間がそれぞれ最高の美しさを持った存在だと本気で思えるようになった。

今の私は自分の肌の色が世界で一番好きだし、縮毛矯正もやめて、可愛すぎる地毛を伸ばしている。周りに何を言われても、無理に痩せようとする事もやめた。

「日本人になりたい」という願望も、完全に消えた。そもそも、日本人だった。誰に否定されても、私は日本人だった。

もはや、日本人だとか、コンゴ人だとか、宇宙人だとか、何者でもないも含めて、その日の気分で生きている。

誰がなんと言おうと、私は私のまま美しいし、あなたもあなたのまま美しい。

そもそも地球が美しいんだから、人間も美しい。


美しさの基準を周りに合わせる必要はないし、自分の美しさを大事にしてください。

すべての人が自分らしく生きられますように。


#ミスid2020

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