【小説】透明な狂い 1
まるで、ゴミ箱に住んでいるかのようだった。
今日も眉間には人間の糞がへばりついて中々取れない。
両手を使ってどれだけ必死に拭っても、拭っても、どうしても拭いきれないのだ。
六時十五分。
夢から覚めて窓の外を見ると、青みがかった冷たい街に灰が降っていた。
真っ白な壁と無機質な家具が並べられ、十九歳の一人暮らしにしては広すぎる二十畳のリビング、七畳の寝室、人工大理石で出来たアイランドキッチンのある部屋に、山口甦葉(やまぐちそよう)は暮らしている。
壁掛けのデジタル時計には、銀色の板に眩しい白色の光で、6:30の文字が浮かび上がっていた。
黒くて重い革のジャンパーを羽織り、ロビーを通り抜けてやっと辿り着いた濃いグレーの扉を開けた先は、すっかり冬の匂いで埋まっていた。
薄いコンクリートの階段を五段だけおりて左に進む。
散歩がてら、徒歩二十分程離れた珈琲屋に向かうのだ。
白く濁った透明感のない道。片栗粉を踏んづけたような音を立てて七分程歩いていくと、濃い緑色の看板がふと目に入った。
『山口甦葉のステッカー入荷しました!!』
二つ連なった赤いエクスクラメーションマークに、甦葉は異世界の雰囲気を感じた。
今日は二月二十八日。月に二度開催される市場の日だ。八日と二十八日は早朝から流行りの店がオープンし、若者は普段の活動時間との違いにワクワクしながらショッピングを楽しむ。
街を歩けば十体は見るであろう簡単なお洒落をした若い女性や、チャラついた男子校生がその看板を目にしては店に流れていく。
その前を三十代くらいの女性二人が通り過ぎて行くのが目に入った。
「甦葉って流行ってるけど、私には良さがわかんないな。天才ぶってるだけでしょ?」
「わかる。あと流行ってると見る気なくなるしね。」
その二人の会話だけが少し大きく聞こえた気がした。
どこへ行っても自分の描いた絵が飾ってある。そんな時代だった。
全国展開のカフェ、話題の水族館、行きつけの画材屋まで、日本中の人工物を少しずつ彩るのが甦葉の仕事だった。
浅く緩いため息をついてから、前を向いてまた白い道を歩き始めた。