親友と幸せについて考えた
ここ最近の私はいい意味で自分の置かれている環境がガラッと変わり、常に実力以上の事を求められながらそれに必死で応えていく日々。
苦手な事に挑戦し、期待され、褒めてもらう事だってある。今のままじゃダメだと自分に言い聞かせ、ずっとずっと全力で走っているような毎日を送っていた。
頭の中の自分がもっと出来るだろ、甘ったれるなと喝を入れてくる。日に日に頭の中の自分の厳しい言葉がエスカレートしていった。それに耐えきれなくなったのか、心や体が頭の中の自分について行けなくなっているのを感じた。
私はたまには自分を休ませてあげようと思った。
そんなことを感じたからなのか高校時代からの親友から久しぶりに2人で飲みにでも行こうと連絡がきた。
久しぶりに会った私たちはお互いガチガチに装備した重たい鎧を少しずつ剥がして行くように、今まで誰にも相談できなかった悩みを話しては心を軽くしていった。
私たちの悩み事は似ていた。
今自分のやっている事や、これから進んで行こうとしている道が本当に自分のやりたい事なのだろうかとか、これから自分の未来をどのように切り開けばいいのだろうかとか、とにかく不安や迷いでいっぱいで答えの見えない難題に頭を抱えた。
そんな話をしているうちに、私たちは今、幸せなのか?ってなって、じゃあ、私たちにとっての幸せって何?ってなって幸せについて考え始めた。ずっと話して、その日は結局大好きな友人や家族と一緒にいたり、寝てる時だよねという当たり前すぎる結果に落ち着いた。
しかし、それから数日経った今、私は幸せって”これ!”って定義できないな〜とこれまた当たり前すぎる考えに行き着いた。なぜなら、今日、このnoteを書いている”今”の私にとっての幸せは余計なことを考えないで努力してる時かな〜という気がしているから。 日々移り変わってゆく私の感情により何を幸せに思うかの定義やら考え方やらも変わってゆく。 まぁ、それでいい。というかそうであるべきだよなって思う。
きっと、幸せはこれだ!って、ただ一つに絞り込もうとするから「自分はいま幸せなんだろうか」と不安になって、不幸に感じてしまうんだと思う。幸せは定義するものじゃないのかも。 みんなそれぞれの幸せを持ってるはず。それにただ気づけばいいだけかもしれない。
今の私の現状はただひたすらに高い壁をよじ登っているような努力の日々。これも、捉え方によれば幸せだ。 うん。私は今すごく幸せなんだ。