引っ越し
僕がまえに歩いたスクンビット通りのプラカノンから、アソークの間。
タイの冬が訪れそうな、11月のある夜。知り合いとルームシェアをすることになって、住むまえに部屋を見に行った。
部屋のなかで雨の音を聞きながら、ここに住むことを想像した。小さい部屋に、IKEAのベッドと机。新しい生活のことを考えて、また考えた。
部屋を見た帰り、プラカノンに住むことになったことに高揚して、意味もなく、心地良い暖かい風に吹かれて、アソークまで歩いて行こうと思ったあの夜。
僕はプラカノンがそのとき、どんな町かは知らなかったけれど、これまでと違う町に引っ越すことへのときめきは、自ずと生まれた。
引っ越しはもしかしたら、これからも続いていく荒凉とした大地を、歩いていくことを止めないための、強制的な視点の変化なのかもしれない。
いつも見ている風景を、違う視点から見る努力はしているけれど、心の努力だけではいくらがんばってももう無理で、そんなときは物理的に変化を与えるしかない。
ときにタイでの暮らしも、どうしても行き詰まったり、閉塞感を感じたりすることがあるものだ。いくら外国にいようとも、新鮮味は徐々に失われるものなのだ。
そんなとき、引っ越しは手軽な手段で、僕をちょっと違う位置に引き上げたり、引き下げたりしてくれる。
それから、また続いていく道をまた続けていくための新たな視点を取得する。
どこまでも続きそうなBTSの高架線路を見上げても、あまり見えない空の色も星も、もしかしたら、それを見えないと思わないで、その高架がある風景を見ていると思えそうだ。
何もかもを肯定的にうなずきたい夜。連なる車の光の帯。雨粒が反射するバンコクのルビーの夜。
2020年9月28日
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