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シーロムで泡沫の恋をしたことがある

サムヤーンに住んでいたころはシーロムが近かったので、仕事が終わってちょっと散歩するときはシーロムを歩くことが多かった。

シーロムはタイ人と外国人が半々か、もしくは外国人のほうが多いと感じるくらい、外国人が溢れている街だ。

僕はタイ独特の様々な人種が行き交う風景が好きなので、シーロムのような外国人の多い街を見ることも好きだった。シーロムはこれはこれでタイならではの風景なのだ。

隠微さの漂う路地のピンクや紫のネオンが足元を照らして、そこをビルの隙間の闇から現れた猫が駆け抜ける。

そういうシーンを切り取ると、片隅になにか恋の残骸の結晶のようなものがきらめいているように見える。

僕もシーロムで泡沫の恋をしたことがある。

出会って間もない二人はバーを出たあと、にわか雨のスリウォン通りをなるべく濡れないように走り抜けていた。いよいよ雨脚が強くなってきて、カシコン銀行の軒先に逃げ込んだ。そして不意に背後からの低気圧の熱風に押されて、大きな大きな柱の影で短くみじかいキスをした。

そういう恋がこの街で、毎日いくつ生まれ、消えているのだろう。ここはそれが始まっては止むにふさわしい条件が揃い過ぎている。

全てが日常からかけはなれている。人の歩くリズムも靴音の響きも、地上から見える月の満ち方も星の瞬きも、トゥクトゥクのクラクションの音色も。

人の波に飲まれて見失いそうになる。ここで手を放すことは、もう一生会えなくなるのに等しい。砂浜に落とした銀のピアスと同じくらい、二度と見つからない、儚く脆い、泡沫の恋。

DJがこのシーロムのフロアで聴かせてくれる音楽と今降っているこの雨が、どうかせめて朝までは止まないでと、願いながら柱の影で強く手を握る。

今日もシーロムのどこかで恋が生まれては消え、その残骸の結晶が行き場をなくし、ネオンと闇の境目をうろうろしている。誰かに気付いてほしいような、放っておいてほしいような煮え切らない態度で。

2020年10月4日

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