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バンコク家賃2万円のアパートで地域と暮らす

サムヤーンという町がシーロムの隣にある。シーロムは言わずと知れたバンコク随一の歓楽街として有名だが、その隣のサムヤーンは行ったことがないという人が多いかもしれない。殊に観光客がここに行くことはそうそうないだろうと思う。それくらいバンコクの中では目立たないほうの町だ。

ただ近くにはタイ最高峰の大学、チュラロンコン大学があり、その南側にはチャムチュリースクエアという巨大な複合ビルが隣接している。決して派手な町ではないが、ローカル感だけしかないというエリアでもない。さらには近年、ミットタウンという超巨大複合ビルが完成し、ますます都心の様相を呈するようになった。僕が住んでいた頃は、このミットタウンはまだできていなかったので、サムヤーンが刻々と変貌していることを実感する。

しかし、僕が住んでいたフアランポーン寺院側は格別な変化はなさそうだ。細く入り組んだ路地が巡っていて、野良猫たちが好き勝手に屋台のテーブルの下で寝たり、パッタイのエビの殻を拾い食いしたりしている。

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僕のかつての住居は、サムヤーン駅から徒歩5分のところにある、4階建てでワンフロアに3戸しかない、家賃6000バーツ(約20000円)の小さな部屋だった。 小さいけれど、ベッドと机が備え付けられており、洗濯物を干すベランダもある。シャワーとトイレももちろんついているし、クローゼットもある。アパートの入り口には脆そうではあるが、オートロックのドアが設置されていたし、必要最低限のものは全てあった。足るを知るとはこのことだと思ったものだ。

部屋の窓から見えるのは向かい側のアパートだけだったけれど、路地を行き交う人たちの生活の音や寺院から響く鐘の音に包まれながら目覚めるのも、心地よかったなと今は思う。

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こういう場所に住むと、人の暮らしは、人と人の間で営まれるものだということを身に沁みて感じる。1階に住んでいる大家さんとの他愛ないあいさつも、近所の万屋のおばあさんに毎度する会釈も、洗濯屋のおばちゃんからのタイ語のレクチャーも、日々に浸透していて、もはやそれなくしては生活は成立しない、と言えるほど、彼らが僕に居場所を作ってくれていたように感じる。よくぞどこの馬の骨かもわからない異国のモンスターを、こんなローカルな地区に受け入れてくれたものよと、その懐の深さに尊敬の念が生じるほどだ。

そういう意味でも僕はやはりタイの生活において、タイ人に助けられ、許され、認めてもらいながら、地域と共に暮らさせてもらったと、改めて感謝の気持ちを抱かざるを得ない。

こういう経験をしたからか、日本に住む外国人を見ると、まるで自分を見ているような気分になる。できるかぎり優しくしてあげようと思えるのも、あの頃の彼らの優しさのおかげだと思っている。

2020年10月5日

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